※デニス監督の経歴、アストロレンジャーズの設立経緯などねつ造入りまくりです。
※タイトルは「21」さま





  
 デニスは裏表のない男だった。若いころはモータースポーツに興じ、レース中の事故で引退を余儀なくされたあとはミニ四駆レースの指導者に転身。とりわけグランプリレースチームの監督として、現役時代と変わらない実直なレース運びで数々の実績を残してきた。
「あなたにアストロレンジャーズの監督を依頼したい」
 そんな彼がN△S△の指名を受けたのは、ミニ四駆世界グランプリが開催されるちょうと一年前。宇宙飛行士を目指す少年少女たちと出会いは、まさに青天の霹靂だった。
「宇宙飛行士の候補生がミニ四駆レースを?」
 デニスがそう尋ねたことを不思議に思う人間はいないだろう。アストロレンジャーズはN△S△のユースの少年少女たちで構成されていながら、ミニ四駆レース参加を目的としていたからだ。
 なぜ、N△S△はアストロレンジャーズを作ったのか、なぜ彼ら彼女たちが選ばれたのか、なぜまるで畑違いのミニ四駆なのか。
 デニスの頭をめぐった様々な疑問の答えは、ひとりの少年が握っていた。
 少年の名は、ブレット・アスティア。彼の名は、六歳で小中学生が参加する数学コンペティションの二位に入賞、翌年には史上最年少でトップの座を得た超秀才として知られていた。その後、十歳でMITへの入学を果たした彼は、宇宙飛行士を夢見てN△S△入りを希望している。
 天才少年の早熟な意思表明を、恒常的な人材不足問題を抱えるN△S△は諸手をあげて歓迎。おそらくユース史上有数の頭脳を迎え入れるに当たり、当局は全く新しい教育プログラムの試行を決定した。
 まず、五人一組のチームを編成し、彼らにミニ四駆を与えてグランプリレースに参加させる。秀才ぞろいのユースたちに全くの専門外の、しかし年相応のホビーグッズを持たせることで彼らがどんな反応を見せるのか。何を学び、チームワークをいかに育んでいくか。年間を通した観察と記録によって、ユースの特性を見極め、今後の指導に生かそうという革新的なプログラムだった。
「あなたにはレースの監督さえしてもらえればいい。保護者や教育者のようなことは求めていません」
 監督就任の席で、N△S△の担当者たちはデニスにそう説明した。宇宙やスペースシャトルなど、SFの世界でしか触れてこなかったデニスは、N△S△からのつきはなされた態度に安堵する一方で背中をひっかかれたような不快感を抱く。しかし、デニスの個人的感情に留意してくれるほど、N△S△の担当者は暇ではなかった。
「『レンジャーズ・プログラム』自体は、以前から計画されていました。ですので、アスティア少年以外のメンバーは選出済みです」
「まずはエッジ・ブレイズ。成績はユーストップを誇りますが、軽薄な性格でムラがある。次点のハマー・デーヴィット・グラントは実技における精神面に懸念が。紅一点のジョセフィーヌ・グッドウィンも、優秀ではありますが男子ユースとの衝突が絶えません」
「見事に問題児ばかりですな」
「加えて、今年のユース試験で首席の成績を出したマイケル・ミラーも候補に挙がっています。彼の社会的な側面は未知数と言って良い」
「年齢、性別、性格、専門分野……、メンバーにはあえてバラつきを持たせました。彼らのリーダーにアスティア少年を、というのがこちらのプランです」
「つまりアストロレンジャーズとは、ブレット・アスティアの統率能力を見極めるプログラムだと?」
 プレティーンの少年にいったい何を期待しているのか、デニスはN△S△の思惑が到底理解できない。デニスは裏表のない男だった。だから感じたことは素直に伝える。それで相手が不快を覚えて監督解任の判断を下したとしても、デニスには毛ほども痛くない。
 ただデニスは思った。この子どもたちが可哀そうだと。
 トップを奪われたエッジ、不測の事態に弱いハマーD、男ばかりの集団に放り込まれるジョー、挫折を知らないミラー。天才とうたわれた少年が彼らをどうまとめあげるのか、とどのつまり、N△S△が知りたいのはその一点のはずだ。そのために、純粋に夢を追う少年少女たちが利用される。
「初めから申し上げている通り、このプログラムは訓練生の教育のためのものです。大人が用意したメニューではなく、子どもたち自身のアクションによって、幹部候補生たちの情操教育の充実をはかりたい。優秀ではあるが同じだけ問題を抱えたメンバーの成長こそ、我々の関心事です」
 立て板に水を流すように述べられるお為ごかし。年端もいかに子どもたちに、大人たちが大義名分を立てて波風をあてる。対象となる少年少女たちがいかに将来有望な存在であろうと、デニスには関わっていて気持ちのいい話ではなかった。
「まるで人体実験だ」
 総括したデニスの一言を、担当者たちは一様に黙殺した。



 

 higher than the sun ―太陽よりも高く-





 デニスの懸念に反して(すなわちN△S△の期待通り)、アストロレンジャーズに選ばれた少年少女たちはうまくやった。すでにユースとして顔見知りのエッジ、ジョー、ハマーDに対して、新参者が監督のデニス、リーダーのブレット、ルーキーのミラーという顔ぶれだったことも功を奏したようだ。宇宙飛行士とミニ四駆という突飛な組み合わせに誰もが戸惑い、我を通すことより助け合うことを選んでいた。
「リーダーと言っても、ユースに関しては君たちが先輩だ。おまけにミニ四駆なんて触ったこともない。肩ひじ張らずにクールに行こうぜ」
「いいね、話のわかる奴は好きだぜ。俺はエッジだ、よろしくリーダー」
 ブレットはMITの学業とアストロレンジャーズのリーダーの二足わらじをはくことになったものの、その双方で如才なく立ち回り、少ない時間の中でもメンバーとの信頼関係を築くことに成功したようだった。エッジは一番の座をあっさりとブレットに譲り、ナンバーツー兼ムードメーカーに収まっている。ジョーは男ばかりのメンバーに選ばれたことに自尊心が満たされたらしく、デニスやブレットの指示には総じて従順だ。ハマーDは、精神的に寄りかかれる相手が同い年であることに喜んでさえいる。一番の不安材料だったミラーも、ませた皮肉屋だとわかってしまえばあしらいようがあった。
 プレティーンによる運命共同体でありながら、深刻な争いごとも生まれることなく、彼らはミニ四駆レースに真摯に打ち込んでいく。ブレットを筆頭に、メンバーの飲み込みの早さにはデニスも舌を巻いた。確かに彼らは、元々の頭の出来が他とは違う。産声をあげたばかりのアストロレンジャーズは、国内の大会を次々と制覇、たちまちアトランティックカップ参戦を決めた。
「クールに行こうぜ」
 ブレットの言葉は、まるで魔法の呪文のようにメンバーに作用する。レンジャーズ発足以来初めての大舞台を前にしても、ブレットはシニカルに笑ってメンバーのはやる気持ちを抑えていた。
 目の前で繰り広げられるプロフェッショナルな光景は、かつてN△S△の担当者に告げられた言葉をデニスに思い出させる。。
『あなたにはレースの監督さえしてもらえればいい。保護者や教育者のようなことは求めていません』
 N△S△が案ずることなど何もない。宇宙少年少女たちは、キャラクター、能力共にばっちりと噛み合っている。プログラムの趣旨に憤りに近いものまで感じていたデニスは肩透かしを食らった気分だ。それでも、順調に進むトレーニング、建設的なミーティング風景に溶け込みながら、監督のデニスだけはひとり、不思議な物足りなさに包まれていた。
 そうして挑んだアトランティックカップ。順調に勝ち星を刻んできたアストロレンジャーズは、ドイツチームにまさかの苦杯を嘗めさせられる。優勝トロフィーはアイゼンヴォルフの手に渡り、人生初めての敗北を喫したブレットを、メンバーたちは遠巻きに見ているばかりだった。
 翌朝、メンバーがまだ誰も姿を見せないミーティングルームで、ブレットはデニスにこう言ったのだ。

「俺は、リーダー失格ですか」

 ゴーグルのない目は赤く腫れ上がっていて、ゆうべ彼が枕を濡らした涙の量を推しはからせる。ブレットの、薄いブルーともグレイともつかない瞳が、充血した白目に浮かびあがるようにしてデニスを見上げていた。
「監督。俺じゃ、アストロレンジャーズのリーダーは務まりませんか」
 デニスがレースの世界に入ったのは、ハイスクールを卒業してすぐのころだ。もちろん、大学には通っていない。そのデニスに、年齢は三分の一ほど、学歴でははるかにしのぐ少年が丁寧な言葉で教えを求めていた。
『あなたがデニス監督? 初めまして、俺はブレット。今日からご指導よろしくお願いします』
 デニスに対するブレットの慇懃さは、初対面の時から変わらない。並の大人より遥かに頭の回転の速い少年は、しかしそれをひけらかそうとはしなかった。大学でもきっとこの調子なのだろう。あくまでも年長者を立て、その口から出る数々の訓示に「慈悲をもって」耳を傾ける。憐れみ深いその行動は、幼いうちから大人に囲まれてきた少年の、無意識の処世術だ。
 だが、見る者が見ればわかる。彼が本当に相手に敬意を持っているのか、知性に裏付けされた傲慢なパフォーマンスにすぎないのか。ブレットの持つ隙に、デニスは強い安堵を覚えた。どんなに賢くとも、子どもは子どもだと。本当に狡猾で利口な大人なら、そんな隙さえ見せないものだ。
「監督の、考えを聞かせてください」
 そして今、リーダーの資質を問うブレットの言葉に、傲慢さは微塵も感じられなかった。
「お前はなぜそう思う、ブレット」
 デニスの問いかけが意外だったのか、ブレットは普段から厚ぼったい瞼をわずかに引き上げる。瞼はすぐにおろされ、長いまつげの下で、拡張した毛細血管に縁どられたムーン・グレイの瞳が揺れた。
 ふた呼吸分の沈黙の後、わずかにかみしめた唇をブレットが開く。クールを信条とする唇からこぼれたのは、頼りない声だった。



 第一回WGPの最終レース、トップを争ったブレットのバックブレーダーは、豪のビートマグナム、ミハエルのベルクカイザーに一歩及ばず、ゴールラインを三番手で通過した。アストロレンジャーズの代表として、表彰台の一番低い場所に立つブレットに笑顔はない。それでも台を下りるその時まで、ブレットはゴーグルで覆った顔を上げて胸を張っていた。
 表彰式に続いた閉会式もつつがなく終わり、寄宿するインターナショナルスクールにレンジャーズのメンバーが戻ったのは日も暮れかけた頃だ。デニスに命じられ、コースの片づけをする彼らは、いつになく静かだった。もう使うことのない体育館は広く、解体されるのを待つ専用コースは大きくて複雑だった。大会期間中、レンジャーズの面々が何度も周回し、飽きるほどマシンを走らせてきた室内とコースが、たった三日ぶりの帰還にもかかわらずひどくよそよそしさを感じさせる。それでもデニスは、レンジャーズたち自身の手で、すべてを片付けさせることに決めていた。
 五人きりの作業は淡々と進む。今日ばかりは、エッジやミラーの軽口も鳴りを潜めていた。このペースなら、二時間とかからずにすべてが片付くなとデニスがその場を去ろうとしたとき、変化が起こった。
「……っ」
 可動式の障害物レーンを取り外していた、ブレットの手が不意に止まった。手にしたレーンを、ボックスにしまうことなくその場に立ち尽くしている。ネジが切れたように動かなくなった彼の様子に、真っ先に気づいたのは隣のレーンにいたジョーだった。レーンを跨いで、ブレットに歩み寄るジョーを追ってポニーテールの長い毛先が揺れる。
「ブレット?」
 勝気な少女にしては、随分と控えめな呼びかけだ。仲間からの声に、いつだってクールに応えるブレットからの返事はない。らしくないブレットの様子に、ジョーは無視されたことに腹を立てたりはしなかった。それどころか、ブレットが握り締めたままのレーンを引き受けるように手を伸ばす。
 子どもには少し大きなそれを両手で包んだとき、ジョーはブレットの震えを知った。きつく力の入りすぎた手はグローブ越しにもレーンを離そうとはせず、ジョーは顔を上げる。表彰式を終えても、ひとりゴーグルに隠されたままのブレットの表情はうかがえない。それでも寄り添う至近距離の中で、ジョーのブルーアイズが何かをとらえて見開かれた。
「ブレット……」
 ジョーの手が、ブレットの二の腕に添えられる。労わる手が、今度はブレットの震えを直に受け止め、それが何かのスイッチであったかのようにジョーの大きな瞳を潤ませた。
「泣くなよ、リーダー」
 いつの間にか、ブレットの、ジョーとは反対の傍らにはエッジがいた。エッジの腕がブレットの肩に巻かれ、引き寄せれば二人のこめかみがぶつかる。ブレットのゴーグルが当たって痛いだろうに、どちらも何も言わない。エッジはジョーとは対照的に、きつく瞼を閉じて何かをこらえていた。
「なあ、ブレット、泣くなよ。お前がないたらさ、ほら、ダメじゃん……」
 そういうエッジの方が、ゴーグルがないだけ、今にも泣き出しそうなのがよくわかる。歯を食いしばるブレットの、唇の歪みが限界を表していた。
 見上げるジョーと俯くエッジにはさまれた、ブレットの足元に小さな影が伸びる。ミラーがブレットの正面に立っていた。その後ろから並んだハマーDの大きな腕が、メンバー全員をしっかりと抱え込む。それを合図に、誰もが自然に、隣にいる誰かの背中を撫で、肩をつかみ、腕を握った。

 広い体育館の中央で、五人の少年少女が互いを抱きしめあう姿は小さく見えた。

 最初におえつを上げたのは誰だったろうか。鼻をすする音が、しゃくりあげる気配が続く。コンサート開始前に調律するオーケストラのように、彼らは共有する悔しさを、つぎつぎと涙の音に変えていく。ブレットは何も言わない。エッジやミラーでさえ、言葉をなくしている。負けん気の強いジョーの涙を、ハマーDの大きな影が隠していた。
 アトランティックカップに続き、またしてもアストロレンジャーズはタイトルを逃した。だが、身を寄せ合い、円陣を組んで、手に入れられなかった栄光を惜しむ姿は、去年には見られなかった光景だ。
 デニスは見守る。野球の試合に負けて帰ってきた息子たちと重なる姿を、デニスは決して邪魔することなく見守り続けていた。



 翌朝早く、デニスが散々バカ騒ぎした大部屋の後始末をしていると、目を腫らしたブレットが顔を出してきた。
「グッドモーニング……」
「よく眠れたか」
「おかげさまで。監督は?」
「歳には勝てんよ」
「まだお若いでしょう」
 大人びた受け答えは天才少年のそれだ。瞼が重い自覚があるのか、デニスの視線に少しはにかんだ様子でブレットは目元を擦る。
「俺はなんだか、目が覚めてしまって……」
 部屋の惨状に目をやったブレットは、すぐにデニスにならって床に散らばるごみを拾い始めた。大きなレースを戦い終えた後のオフに、残りのメンバーは惰眠をむさぼっているころだろう。
 朝食には早すぎる時間帯に、こうして彼と二人きりで話すシチュエーションは、デニスに否応なく一年前の記憶を呼び起こさせる。
「アトランティックカップのとき……」
 この状況に過去を思い出すのは、デニスひとりではないらしい。しゃがみこんだ体はソファやローテーブルの陰に隠れているけれど、聡明で端正な顔立ちは少し俯いたままデニスの視界に居座っている。手慰みに転がしたごみの行く先を、つり目がちなブレットの眼差しが追っていた。
「あの時も泣きに泣いたのに、何だか今回の方がずっといい気分なんです」
 変ですよね、とブレットが笑う。一年前と同じ充血したムーン・グレイの瞳は、窓から差し込む朝日をきらきらと反射していて、デニスはひしゃげた紙コップをまとめる手を止めていた。
『俺は、リーダー失格ですか』
 一年前の敗北の翌朝、リーダーの資質を尋ねたブレットに、デニスはその理由を問い返した。質問に質問で返されると思わなかったのか、ブレットは珍しいためらいの色を露わにする。
 少しして、ブレットは力ない声でデニスに答えた。
『負けたから……』
 デニスには、息子が二人いる。天才でも秀才でもない、どこにでもいるごくごく平凡な子どもたちだが、ブレットたちとは歳が近かった。だから余計に、我が子とはまるで違う、大人のミニチュアのようなブレットたちの扱いに試行錯誤してきた。トラブルは何もないのによくわからない疲労とともに帰り着いた家で、息子たちが取っ組み合いのけんかをしている姿を見てデニスはほっとする。夕食のおかずの数で、テレビのチャンネルの奪い合いで、ちょっとした言葉の応酬で、息子たちはつかみ合い、怒っては泣く。
 ある日、決して弟に譲ろうとしない、上の息子がこう言った。兄貴が負けたら、恰好がつかないと。
『負けるようなリーダーじゃ、チームは勝てません』
 普通ではない、レンジャーズの子どもたち。その筆頭が口にした理屈は上の息子とよく似ていて、デニスはつい声をあげて笑ってしまった。いきなり笑いだした監督に(しかもその人は普段滅多と笑わない)、ブレットのぎょっとした顔がなおさらデニスのツボをついた。
 子どもだ。
 どんなに利口でも、大人びていても、やはり子どもは子どもなのだ。この時デニスは、彼らとの付き合い方がほんの少し理解できた気がした。天才児だろうと、未来の宇宙飛行士だろうと、子どもは子ども。そう信じて接してきた一年だ。
 その成果が、これなのだろうかと、デニスは出会って二年になる天才少年を見つめる。負けたからリーダーとして恰好がつかないなどという言葉を、優秀な彼は二度と口にしなかった。それどころか、
「負けましたけど、俺がリーダーとして間違った判断をしたとか、仲間のミスを責めようなんて気は少しも湧いてこなくて」
 上手くいったこともいかなかったことも、全部踏まえたうえで、彼は自分たちの正しさを疑わなかった。
 アトランティックカップ直後のブレットは、リーダーとしての自分の資質を疑っていた。デニスの一声で続投が決まり、仲間内からも異議が出なかったあとはすぐに気持ちを切り替えたものの、チームを勝利に導けなかったブレットの自責の念は強固だった。そんな責任感と自尊心の強い彼が、今回の敗北を心穏やかに受け止めている。
「やはり、リーダーとしてはいけませんよね、こういうことは」
 たとえ仲間を追いつめ、自分を詰ることになっても、敗因を検証し次に生かすための努力をすべきなのに、そんな気がちっとも起こらないほどすがすがしいのだとブレットは笑う。彼は今、生まれて初めての、敗北のカタルシスの味を堪能しているのだろう。照れを含んだ笑顔は、いっそ誇らしげだ。
 少年たちが円陣を組んでむせび泣いた夜、デニスは、レンジャーズの面々をこの大部屋に集めた。N△S△にかけあった結果、衛星のテレビ電話による本国の家族との通話が可能になったのだと打ち明けると、メンバーは一様に泣きはらした顔を輝かせた。
『まじで!』
『監督サンキュー!』
 電話で言葉は交わしていても、家族と顔を見て話すのは久しぶりのことだろう。親元から離れるのは慣れっこな彼らでも、嬉々とした反応はデニスの期待通りだった。
 日本との時差を考慮して、深夜から未明の時間帯であるアメリカとの通話は東海岸から始められた。ニューヨークのジョー、ワシントンD.C.のブレット、少し休憩をはさんでソルトレイクシティのミラー、ロサンゼルスのエッジ、最後にサンフランシスコのハマーDと、彼らは順番に電話をかけ続けた。深夜までおよんだにも関わらず、誰一人先に眠るとは言い出さなかった。
『ママ、パパ、元気?』
『次のイースターにはゆっくり帰れると思うよ』
『お土産のリクエストなら今のうちだぜ』
 それぞれが見ている前で、少年少女たちは懐かしい家族と話し、泣き、大いに笑った。
 朝日が昇ってもまだ眠りの中にいるメンバーたちは、きっと家族の夢を見ていることだろう。目覚める前の、ブレットの夢も同じだったかもしれない。
「WGPはチーム戦だ。私は宇宙のことはよくわからんが、宇宙飛行士にもチームワークは大切なんだろう?」
「もちろんです。だからこうして俺たちは」
「お前たちは、良いチームだ。アトランティックカップより、ずっと良い負け方ができた」
 デニスの言葉に、ブレットの整った眉がしかめられる。宇宙規模の理論や数式は理解できても、感情的な概念には疎い。デニスの口にした「良い負け方」というものの色や形を、目の前の少年は賢い頭で懸命にイメージしようとしていた。
 そのイメージ形成を後押しするように、デニスは続ける。
「後悔はないだろう?」
 一年前、ブレットは、すべての責任をひとりで背負おうとした。同じ負けでも、今回はそれがない。デニスの言葉に、ブレットは厚めの瞼をぱちぱちとまたたかせる。ひどく幼いしぐさが、似合わないのが愉快だった。
 チームで負けたから。チームで戦い、チームで支え合い、そして、届かなかった結果だから、こんなにも心穏やかに受け止めることができる。
「……そう、ですね」
 小さく、だが何度も頷くブレットに、デニスは肩を寄せ合って泣いていたメンバーたちの姿を見た気がした。
「実はな、帰国まで二三日予定があく。レースもなければN△S△からの指示もない。せっかくだ、日本観光にでも行くか」
 グランプリレーサーと宇宙飛行士候補生の兼業で、レンジャーズのスケジュールは常に埋め尽くされている。多忙な少年少女たちのリーダーは、デニスからの提案がよほど思いがけないことだったのか、薄い青灰色の目を見開いた。半開きの口が、驚くほど間抜けだ。「嫌か」と尋ねれば、勢いよく首が振られる。
「エッジが……」
 しまりのない口が、ようやくナンバーツーの名を紡ぐ。
「日本の野球観戦が出来ないかって、騒いでて」
「そうか」
「ジョーは、ハラジュクで買い物がしたいって」
「お前はどうだ、ブレット」
 また、ブレットの目が見開かれる。驚くブレットの表情を、すでに何度見ただろう。月のクレーターを思わせる瞳は、彼の信条に反してとても雄弁だった。
「…………、東京タワー」
 親に秘密のプレゼントねだる子どもの口ぶりに、デニスは口角が上がるのを抑えきれない。
「よし、決まりだ」
 サングラスと口髭が上手く隠してくれることを願う。雲よりも高い世界を目指すせいか、日頃ツンとすました天才少年が意外にも高い建物好きなのだと、デニスはこのとき初めて知った。



 WGPとN△S△のプログラムの隙間で生まれた二日間の空白は、デニスの提案通りまるまる日本観光に当てられた。本部からあまり離れるわけにはいかなかったが、メンバーのリクエストをかなえるには事足りる。ブレットやジョーが連絡を取った、地元ビクトリーズのアドバイスも大いに役に立った。
 そうして日本観光の最後は、ブレットの希望する東京タワーで締めくくられる。
「ブレットがタワー好きなんてな」
 展望台へと昇るエレベーターの中で、ハマーDが言った。
「高い所から見下ろすと、気分が良いじゃないか。空にも近づいた気がする」
「日本じゃ、『馬鹿と煙は高い所にのぼる』って言うらしいけど」
「へぇ、馬鹿なんだ、ブレット」
 ミラー得意の皮肉にエッジが乗る。チームメイトから馬鹿と連呼されても、大卒の天才少年はびくともしなかった。
「来月のテストで俺に勝ってから言うんだな」
 ゴーグルのないブレットは、特徴的なつり目を眇めて好戦的に笑う。そしてタイミングよく開いたエレベーターのドアから、先頭に立って展望台へと進んだ。真っ赤な斜陽に縁どられたブレットの背中を、メンバーたちが追う。小さな五つの背中に、デニスは最後尾からついていった。
 いつぞや(確かアトランティックカップのさなかだったように記憶している)、デニスはブレットたちから宇宙開発に関する講義を受けたことがある。
『いつもミニ四駆のこと教わってるから、そのお礼』
 などと調子のいいことを言っていたのはエッジだ。
『復讐の間違いじゃないのか』
 星や太陽の話なんて、ハイスクール以来のデニスは苦笑いを浮かべるしかない。案の定、宇宙飛行士訓練生たちによる授業は(本人たちにすれば相当噛み砕いた説明をしているつもりだろうが)、デニスはさっぱり理解できなかった。
『すまん、どうしてもわからん』
 ミニ四駆の場面でレンジャーズの誰かがそんなことを口にしていたら、デニスはすかさず叱咤の声を飛ばしただろうに。星の運行やスペースシャトルの画期性について語っていた彼らが、根気のないデニスに怒りだすことはなかった。ただ一様に、がっかりしたような、遠く離れた存在を見るような目をデニスに向けていたのをよく覚えている。
 本当に、彼らにとって、あの講義はデニスへの恩返しだったのだろう。彼らの気持ちしか受け取れない自分を、デニスは申し訳なく思った。
 この時すでに答えは出ていた、デニスが気づけずにいただけで。
 彼らが年相応の喧嘩や諍いごとを起こさないことを、デニスはずっと気に病んでいた。今回のWGPで、日本代表のTRFビクトリーズと出会ってからはなおさらその気持ちが強くなった。レースの作戦にも何かにつけて言い争い、時には取っ組み合う彼らを見るたびに、彼らの十分の一でもいいから「うちのチビども」にも同じことをしてほしかった。
 だがすべては、デニスの杞憂だった。「N△S△の人体実験じみた教育プログラムに放り込まれた、可哀そうな子どもたち」というデニスの評価は、大人の勝手な決めつけであり、ブレットの傲慢な慈悲と何ら変わらない。
 彼らは喧嘩ができないのではない。喧嘩に頼らずとも、円滑なコミュニケーションをはかり、信頼関係を築く方法を知っていたのだ。それは傍目には、ドライでクールな繋がりに見えたかもしれない。しかし彼らは経験から、または感覚で理解していた。普通ではない子どもだからこそ、彼ら自身の最大の理解者は彼ら自身以外にはありえないことを。
 デニスが見守ってきた「チビども」は、決して孤立無援ではない。そうでなければ、役目を終えたコースの真ん中で、悔し涙を寄せ合う姿が生まれるはずがなかった。
「勝ちたかったなぁ」
 東京タワーから見下ろす、夕日に染まったパノラマを前に、そうこぼしたのはミラーだった。彼らの眼前に広がっているのは東京の街並みだが、心に浮かぶのは最終レースを走った箱根の光景だろう。
「来年はアメリカで雪辱戦か」
「負けっぱなしは趣味じゃないぜ」
 ハマーDの声に、エッジが続いた。一番窓際にいた、ジョーが振り返る。
「ねえ、ブレット」
 呼びかけられたブレットの後頭部が、デニスの正面で揺れた。彼女がこんな風に、信頼を込めて名前を呼ぶ相手は少ない。
「いつものアレ、言ってくれない?」
 ジョーのリクエストに、エッジが、ミラーが、ハマーDが体を向ける。メンバーの視線を一身に受けたブレットの、小さく笑う気配がデニスにも届いた。
「最後に勝つのは俺たちだ」
 エリート意識が強い人間というものは、何事にも敗北の味を知らず、総じて打たれ弱い。ブレットたちも、そうだった。けれど彼らはよみがえる。歳を重ねるごとに、強くなる。その過程を、デニスは目に焼き付ける。
『あなたにはレースの監督さえしてもらえればいい。保護者や教育者のようなことは求めていません』
 彼らの保護者や教育者に、気安くなれると考えることがそもそもの誤りだった。彼らには彼らしか共有できない世界があり、デニスのような大人たちはそれを外側からなんとなく辿ることしかできない。初めから、それで良かった。大人が思うより、子どもはずっとしたたかな生き物だ。並より優れた頭脳や能力をもった彼らならなおのこと、いつまでもN△S△の大人の手のひらで転がされてるはずがない。
 まったく、大したチビどもだ。
 重い重い荷物が、デニスの肩から下りたような心地がした。気持ちが軽くなったついでに、デニスは少年少女たちに教えを乞う。
「お前らの言う『最後』っていうのは何なんだ?」
「そりゃもちろん、次のWGP制覇でしょ!」
「あら、WGPは二回じゃ終わらないわよ。最後にはならないわ」
「あ、そっか。そりゃまじぃな」
 ジョーの指摘にエッジが首を傾げている。顔を見合わせる子どもたちの中で、ただひとりブレットが腕を伸ばして空に向けた。
「あそこだ」
 ブレットの指先がさすのは、沈みゆく太陽のさらに上。夕日に染まる空は、スカーレットとサファイア・ブルーが混じる中で、ルビーともバイオレットともつかない色を散り散りにさせている。東からせまりくるミッドナイト・ブルーの果てに、全員の目が吸い寄せられた。
「俺たちの勝利は、あそこにある」
 そうだ、忘れてはいけない。WGPの勝利もミニ四駆の楽しさも、レンジャーズの子どもたちには通過点のひとつだ。彼らが夢見る先には、いつだって広大な宇宙が待ち構えている。ブレットの指のかなたには、彼らの夢を象徴するような一番星がきらめいていた。
 次にブレットが口にした言葉は、その場にいた全員の心に刻み込まれる。
「行こう、俺たち五人で」
 誰よりも早く一番星をとらえたブレットは、夢に新たな条件を加えた。賢い彼らなら、その条件がどれほど実現困難なことであるかわかるだろうに、誰一人として不可能だとは反論しない。それどころか、ブレットの言葉を心の箱にしまうように、彼らが目指す先から瞳をそらさなかった。

 五人で一緒に、宇宙へ行こう。

「俺たちは、最高のチームだ」
 ブレットが断言する。やはり、彼の口から発せられる言葉は、魔法のようにレンジャーズの子どもたちに作用する。悔しいが、ブレットを彼らのリーダーに選んだN△S△の判断は正しかった。結果論とはいえ、N△S△による「人体実験」は、アストロレンジャーズの少年少女五人の絆という大きな実りを得てしまった。
 いいや、
「だったら行けるさ、五人で」
 N△S△の勝手な企みを、恐るべき子どもたちは自分たちのものにしてしまった。
 五人で一緒。ブレットが夢に付け加えた最高に魅力的なオプションは、これから身に着けていく知識や技術よりもはるかに勝る財産となる。
「だよな」
「行きましょう、一緒に」
 子どもらしい夢の誓いが、彼らが大空へはばたく翼となりますように。夢への大切な階段を足をそろえて踏み出す彼らに、その燦然と輝く瞳に、デニスは祈る。
 彼らが目指す先を共に見上げて、デニスは黙ったまま、サングラス越しの目を眇めた。






++++++++++
原作版のアスレンは、第一回WGPの時点ですでに「5人で一緒に宇宙に行く」という強い約束を持ってました。
でもアニメ版では「5人で一緒」という点があまり強調されていなかった気がして。
豪とエッジの番外対決でもブレットのことのけ者にしていたし。

彼らの約束が1回目のWGPの敗北を経てのものならいいな、と願ったことをそのまま形にしてみました。
あと、円陣組んで泣く彼らが書きたかった。

ブレットの目の色は、ゴーグルの透け感から見るに、青系にせよ緑系にせよ濃い色合いな気がするんですが、今回は私の好みで。
色辞典眺めてたら「ムーン・グレイ」なんて素敵な名前のカラーを見つけちゃったんですもの。かなり薄い色合いの青灰色ですね。
カルロは濃い青だから「ミッドナイト・ブルー」にしちゃえば、深夜の青と月の灰でなんだかとってもお似合いじゃないですか///////
この辺の設定も試行錯誤中です、はい。

ブレットには「クール」とか「パーフェクト」とかの口癖がありますが、私が一番好きな言葉は「最後に勝つのは俺たちだ」です。
カリキュラムの一環ではあるけれど、勝負にかける情熱が伝わるいいセリフだなと。

やっぱりアスレンは良いチームだ^^ 大好き!

時差の計算間違ってないよな……(滝汗)


2015.02.14 サイト初出
2015.02.27 エッジのファミリーネームを間違っていたので修正しました。「ブレイス」じゃなくて「ブレイズ」なのねー。
2015.03.28 加筆修正。

2015/02/17(火) レツゴ:アストロ&別設定カルブレ
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