※ごく一部ながら、実在する人物がキャラクターと交流する描写があります。苦手な方はご注意ください。
※舞台となりますスミソ二アン航空宇宙博物館には行ったことがなく、展示物の配置がおかしい可能性が高いです。レツゴワールドということで大目に見ていただければ幸いです。
※タイトルは「21」さま






 「少し出ないか」
 ブレットからそう誘いを受けたのは、決勝レース前のオフでのことだった。
「お前に見せたいものがあるんだ」
 緊迫の一戦前でありながらクールに口角を上げる余裕は、開催国代表ならではだろうか。ブレットの得体のしれないたくらみに、カルロは細く整った眉をぎゅっとしかめた。それでも、有無を言わせずナイフを投げつけなくなったあたり、カルロの性格がやや丸くなったのか、ブレットへのあまり認めたくない気安さのおかげなのか。理由はさておくとしても、二人の間に流れる空気は、第一回大会での出会いから二年近い歳月が過ぎたことをうかがわせる。
「何だそりゃ」
「俺と来ればわかる」
 第二回ミニ四駆世界グランプリは、広大なアメリカ国内を転戦するサーカス仕様だ。開会式と初戦が行われたタイムズスクエアを擁するニューヨークに始まり、ロサンゼルスやサンフランシスコ、ソルトレイクシティ、さらに開催国代表であるアストロレンジャーズの本拠地・ヒューストンを含めた数々の大都市を回ってきた。
 第一回大会よりさらにスケールを増した大会の決勝戦レースの場は、閉会式の都合も兼ねる事情からこの国の首都で行われる。そうして参加チームすべてのグランプリレーサーが、ワシントンD.C.に集められた。
 ポトマック川の北岸に位置し、建国の父の名を冠する計画都市は、アメリカ代表チームのリーダー・ブレットの故郷でもある。
「てめーの実家なら死んでもいかねぇ」
 一年前の日本大会では考えられなかった誘いへの、カルロの返答はすげない。だがオフに行動を共にしようと考える分だけ、ブレットもまたカルロの切り裂くような言葉の裏を読み取れるようになっていた。実家以外なら付き合う気があると見て、ブレットは小さく首を振る。
「もっとイイところだ」
 ニッと口角をあげて顎をしゃくれば、分厚い偏光ゴーグルから、つり目ぎみの眼差しが楽しげにカルロを見下ろしていた。
 ブレットの出身地を、彼から直接聞いたことはない。オーナーから渡されたデータブックには記載されているだろうが、レースに必要のない情報(一年前のカルロにとって、それは相手マシンの特徴以外のすべてを指していた)だと一瞥した覚えすらなかった。そんな「いらない情報」がカルロの頭の隅に居座るようになったのは、今大会におけるアストロレンジャーズたちのはしゃぎぶりのせいだ。
 大会を盛り上げるため、レース会場となる都市の選考に彼らの出身地がかなりの優遇を受けた。おかげで行く都市行く都市で、メンバーの身内が必ず顔を出す。その喧騒のさなかに、レンジャーズの誰かがこう口にするのだ。
『決勝戦はリーダーの番だな』
 結果、決勝レースが行われる都市、すなわちワシントンD.C.はブレットの故郷だと、否が応にもカルロの記憶に刻み込まれる。決してカルロが自主的に覚えたわけではない、決して。
 そしてレンジャーズを含めたレーサーたちが首都の地を踏んでから今日まで、ブレットの家族が大会施設に現れたことはなかった。他の選手の邪魔になるだろうからと、アストロレンジャーズが利用する寮を直に訪問したと聞いている。
 実に良識的な対応を耳にした時、(ドイツの貴族勢ほどではなくとも)上流階級の余裕が感じられて、カルロは鼻柱に皺を寄せた。ブレットの家族が衆人環視の中で激励にきたところで、どうせ気に食わないだろうことはわかりきっていたけれど。
「スミソ二アン、博物館……」
 ブレットがワシントンD.C.の中心部に位置する国立公園・ナショナルモールを目指した時点で、実家に強制連行コースだけはまぬがれたことに安堵はしていた。住所を尋ねたことはない。だが、エリートな彼のおそらくハイソなたたずまいの生家が、富裕層の集まる北西地区にあるだろうと言うことは、この都市に関する治安ガイダンスを受けたときに予想済みだ。
 それでもまさか、テレビでもおなじみの観光名所中の観光名所に連れていかれるとは考えてもみなかった。
「正しくはスミソ二アン航空宇宙博物館、だ」
 ブレットの親切な補足に、唖然としていたカルロも納得する。そうだ、彼は、宇宙飛行士を夢見る少年少女で構成されたアストロレンジャーズのリーダーだ。
「レンジャーズ御用達の博物館に、俺連れ込んでどうしようってんだ」
「そういえば、チームの奴らとは来たことがないな」
 近々行ってみるか、お前、良いこと言うぜ、と宇宙少年の筆頭はどこかズレた答えをする。早々にエントランスを抜ける背中に、やれやれと肩をすくませて、それでもカルロは未来の宇宙飛行士の背中を追った。



 「でっか……」
 日系アメリカ人の手によって設計された建物は外観こそシンプルだが、展示場は航空宇宙をテーマにするだけあって奥行きと迫力を両立させている。出迎え役を務めるライト1903年モデルを見上げて、カルロは感じたことをそのまま口に出していた。
 さすがアメリカ、国土はもとより何でもでかい、と半ばあきれ気味のカルロの腕をひいて、ブレットは勝手知ったる迷いのなさで案内をする。まさか馴染みのハイテクゴーグルには館内ガイドまで入っているのかと訝しみかけたが、実のところ博物館に入るにあたってブレットはゴーグルを外している。表情の大半を隠すそれを取り除いたブレットは、普段の大人びた雰囲気とはうってかわった、実年齢通りの十三歳の子どもだった。
「五歳の時、ダッドに連れられたのが初めだ。休みのたびにねだったよ。自力で来れるようになってからは、両手両足の指の数じゃたりないな」
 目をつむっていても歩けると、ブレットは青灰色の瞳を白日ならぬ室内灯の下に晒しながら、お気に入りの古巣にカルロを引き込んでいく。当然のように月の石に触らされ、宇宙開発の歴史を熱く語られた。アポロとソユーズがドッキングしたコーナーでは、シルバーフォックスのユーリに見せてやりたい、お前より良いリアクションをくれそうだと、未来の宇宙飛行士は心底愉快げに笑っていた。
「ここが、俺の最初の夢だった」
 折しも、"Apollo to the Moon"のコーナーでのことだった。サターンV型の巨大なロケットノズルを見上げた、感慨深げな横顔にカルロは魅入られる。
「宇宙飛行士になりてぇって?」
「いや、ここで働きたいって」
「は?」
「スミソ二アンには、航空宇宙合わせて十二万点を超える展示物を保有している。そいつらを復元したり、保存するための作業は膨大で、果てがなくて、人生かけるには最高かなって思ったんだ。だから、MITに行った」
 だけど、と元スミソニアン研究員志望の少年は目を眇める。もともと厚ぼったい瞼のせいで、ほとんど眠りかけているようにさえ見えた。
「MITで宇宙工学に触れて、ここじゃ物足りなくなった」
「それでN△S△かよ」
 普通は逆だろうと、印象先行型のカルロは思う。星空を見上げて、月の満ち欠けを知って、あるいは宇宙ステーションからの中継を見て、中身も知らずに宇宙飛行士なんて漠然とした夢をおっかけているうちに、博物館の学芸員や天文学者、エンジニアあたりに落ち着くのが順当な人生設計というやつだ。けれど、この頭の良すぎるアメリカ少年は、ずば抜けた知性ゆえに人とは違った道のりで生涯の夢を見定めた。
「えらく寄り道したな」
 そして、えらく駆け足の人生だ。
「ああ、レースならスタートダッシュでビリっけつだな」
 シニカルに笑う横顔に後悔は見えない。スミソ二アンの研究員から宇宙飛行士へ、大幅な進路を経てここにいる。NAアストロレンジャーズのリーダーとして、宇宙飛行士の卵として、なぜだかミニ四駆なんて小さなおもちゃに時間をかけさせられながら。
 たった十二歳かそこらで人生の進路を決めてしまった少年にとって、ミニ四駆に奪われる一年や二年は決して短い時間ではないだろうに。そんなことは大した問題じゃないと、彼は胸を張ってチームの名を背負っている。
「最後に勝てばいいんだ」

 最後に勝つのは俺たちだ。

 そのセリフで仲間を鼓舞する姿を、カルロは何度目にしてきただろう。
 アストロレンジャーズは、宇宙開発技術を応用したハイテク機器と情報の収集分析能力が武器であると同時に、ブレット・アスティアという少年のリーダーシップによって成り立っているチームと言ってよかった。日本での第一回大会から引き続き監督にデニスを起用しているが、アメリカ大会に至ってリーダーであるブレットの裁量の幅はぐっと増えている。
 すでに第一回の大会時点で、兆しはあったのだ。初戦ではデニスの指揮が幅を利かせていたようだが、後半になるにつれてブレット自身がゲームメイクする場面が増えている。監督の指示も、人工衛星からの情報もない中でも、ブレットは冷静にチームの引っ張り続けてきた。

 クールになれ。
 作戦を忘れるな。
 前を見ろ。

 時折混線することもあった無線越しに、カルロはブレットのそんな声を聞いたことがある。淡々とした、けれど説得力のある声の響きは、打たれ弱いエリート少年少女たちの耳に心強く響いたことだろう。
 統率者としての才覚は最高クラス、またレーサーとしてもブレットは一流に違いない。一方で、彼は彼自身が口にするほどパーフェクトでもクールな存在でもなかった。詰めの甘さは治りきらず、レーサーとしてもミハエルのような「超一流」には届かない。カルロ自身、コースの上のブレットに、ミハエルに対して感じるような畏怖を覚えたことは一度もなかった。
 けれど、レーサーでもチームリーダーでもなく、ひとりの少年として相対した今、カルロの目にはブレットの佇まいは異星人のように映る。

 カルロには、見えないものが、見えている。

 レースでなら、カルロにも見える。広いコースの中に引かれた、たった一本のベストラインが。ミハエルは、呼吸と同じほどの自然さでそのラインをかぎ分け、カルロはギリギリの一線を踏む間際に見極めてきた。
 かつてそんな話をしたとき、ブレッドはゴーグル越しの瞳を広げた。すました顔を、鮮やかな感情に染めて、「俺には見えない」と、少し悔しそうに、だが、好奇心に満ち満ちた視線をよこしてきた。そしてカルロが垣間見、ミハエルが当たり前のように見つける「超一流」のラインについて聞きたがった。どんなふうに見えるのか、色は、形は、光っているのか、浮かび上がるのか、そのラインにマシンをどうやって添わせるのか。ブレットの興味は尽きることがない。
 ブレットほどあからさまでもなく、しかしカルロはブレットの見た「行く先」とコースで自分がとらえる「ライン」を重ね合わせる。
「見えてるんだな、てめぇは、てめぇの行く先が」
 夢という名のゴールが。夢へのベストラインが。
「星を見上げるようなもんさ。位置も距離もわかってる。だったら走るだけだ」
「まるでビクトリーズのかっとび野郎だぜ」
 そう、人生において、ブレッドは豪と同レベルかそれ以上に単純だ。やりたいことがある、立ちたい場所がある、ならそのための努力を惜しまない。豪と違うのは、努力の方向性を綿密な計算の上で割り出している無駄のなさだ。
 やわらかく赤みの少ない、くすんだブロンドに覆われた頭の中には、カルロが説明されたところでさっぱり理解できないようなことがらが、先人たちが積み重ねてきた数式や理論がぎっしりと詰まっている。それを駆使して、彼は走る。人生のベストラインを。
「俺には見えねぇ」
 いつぞやブレットが口にしたセリフを、今度はカルロが口にする。コースの上ならシンプルだ。これ以上ないほど自分を追い詰めれば、かならず活路が姿を現し、その道の先に勝利の女神の微笑みが待っている。だがそれも、レースの世界に限っての話だ。
 この大会を終えた後、カルロは世界グランプリを引退するようオーナーに命じられている。その先のことを、オーナーは何も口にしなかった。ミニ四駆を続けるのか、そもそもオーナーの元に居続けるのか、それすらもわからない。先の見えなさを振り切るように、この大会を走り続けてきた。
 ブレットは違う。世界大会もミニ四駆も、夢への道のりのひとつだ。この大会が終わればすぐ、彼は次のコースへ走り出す。呆然と立ち尽くす、カルロを置き去りにして。
 寂しいという感情が、ずいぶんと久しぶりにカルロの心の扉をたたく。隣に立つ少年とは、生きる世界だけでなく進む道もまるで違うのだと改めて気づかされる。

 レースは遊びじゃない。

 ミニ四駆で稼ぎを得ているという意味で、カルロは小さなプロフェッショナルだ。生きることにかけてなら、カルロは限りなく大人に近い。そして、月の石にはしゃぎ、アポロ11号への憧れをむき出しにする少年もまた、十三歳の少年であると同時に、完成されつつある大人でもあった。
 同じ小さな大人でありながら、しかしカルロとブレットの視線の向く先はまるで違う。
 明けては暮れる日々を、足元を確かめるように歩いてきたカルロと、空に舞い上がらんばかりに両手を広げ、星を見つめて駆けてきたブレッド。同じ地球という星で、等しく重力に縛られて生きていると言うのに、目指す先はこうも違うものか。
 ゴーグルに阻まれない、ありのままのブレットの横顔を見つめる。厚い瞼、長い睫、切れ上がったまなじりに、月に残されたクレーター色の瞳。こうして彼の素顔を見る回数は、大会参加者に限ればカルロはレンジャーズに次ぐ確信があった。それだけ近しい距離にありながら、カルロは誰よりもブレットと遠い所に立っている。アポロの前に並び立つ今、カルロを勝利へと狂おしいほどまでに駆り立ててきた理由を、ブレットの存在が際立たせるのだ。

 漠然とした暗闇。
 降り注ぐ雨のような視界の悪さ。
 将来への不安。

 俺は、どこに行くんだ。

「すごいだろ」
 先達の果たした偉業の前で、ブレットは手放しで歓喜を露わにする。
 月面車や燃料電池の改良について、ブレットは熱心に語っている。彼はもうこの展示物の類は何百回と見ているだろうし、知識は完璧にそろっているだろうに。
 第一回大会直前、慰問に来たアームストロング船長と直接会話をしたことは彼の人生の誇りだそうだ。こうなればもはやただのオタクだ。そういえば、第一回大会、最終レース第一ステージの湾岸線で、サターンフォーメーションについて嬉々として語っていたことを思い出す。
 なるほど、宇宙は彼の人生そのものなのだ。良いものも悪いものも、何もかもを飲み込んで、無限に広がっていく。あらゆる方向に。途方もない速さで。
 そんな感慨を、言葉に込めた。
「てめぇは、月に行くんだな」
「ああ、行くさ。月だけじゃなくて、もっと遠くにまで」
 才覚と環境に恵まれた少年は、努力という宇宙船に乗って夢に飛び立つ。その姿を想像するのはたやすかった。数々の困難が待っているだろうが、きっと彼は先へ行く。彼には、夢を誓い合った仲間さえいるのだから。
 俺には何があるだろう、とカルロは思った。傍らに立つはずのブレットとの距離が、まるで月と地球見たく、途方もないものに感じられた。大会が終わって国に帰れば、その感覚がリアルに迫ってくるのだ。無限に広がる宇宙のような少年にとって、カルロの存在などスペースデブリのひとかけらに等しい。
 アポロの解説プレートが反射する、自分の姿をカルロは見た。寄る辺もない、目指すものもない、餓えた瞳ばかりがギラついたやせっぽちの子どもだった。
 みじめな自分。
 空はとてもいい天気だ。雨粒ひとつ降る気配もなければ、整備の生き届いた博物館では雨漏りの心配もない。なのになぜ、こうもみじめなのだ。どうして、野良犬同然だった自分がちらつくのか。あれは過去として、日本の雨に流されてくれたんじゃなかったのか。
 レンジャーズの面々と共に、この夢の箱に足を踏み入れるブレットの、ハレーションを起こしそうなほどの明るい笑顔を思い描いただけで、カルロの胸を吐き気が襲う。
「なんで、連れてきたんだよ、こんなとこ」
 ブレットの心の中だけにある、キラキラしたものばかりを詰め込んだスミソニアン博物館。物にあふれ、知識と希望に満ちたその場所に居続けることが、カルロにはどうしようもなくつらかった。
「カルロ!」
 走った。
 呼び止める声を、振り切るために必死で走った。




センチメンタルテロリズム
(てめぇのシアワセな思い出なんて、俺には心臓に埋めたダイナマイトと同じなんだよ)






++++++
自分の好きなものを自分の好きな人にちょっとでも親しんでもらいたい一心のブレットと、互いが違いすぎることにへこむカルロ。ブレットの恵まれすぎるがゆえに無神経さに、彼自身が気づくのも、カルロ自身が劣等感を乗り越えるのも、まだ先の話のようです。
勢いで書いてしまったので、また後日加筆修正します。
2015/02/10 初出
2015/02/11 加筆修正
2015/03/27 加筆修正

2015/02/17(火) レツゴ:チョコレートナイフ(カルブレ)
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