※未来時制、カルロは16歳でイタリア空軍士官学校の士官候補生、ブレットは17歳ですでに宇宙デビューを果たしています。
※マルチアストロノーツに関する記述はデタラメです。
※イタリア空軍・士官学校に関する記述も嘘っぱちです。

※要は全部ねつ造です。
※イタリア空軍の曲芸飛行集団「フレッチェ・トリコローリ」の存在だけは本当です。
※タイトルは「21」さまより。





 「なんで、宇宙飛行士なんだ?」
 キッチンで夕食の後片付けをしていたブレットは、唐突に落ちたカルロの疑問に顔を上げた。
「なんだって?」
「だから、なんで宇宙飛行士なんだよ」
 リビングのソファにいたカルロは、背もたれ越しにふり返ってブレットの視線を受け止めた。
「お前の質問の意図がわからない」
 ブレットが眉を寄せると、厚ぼったい瞼のせいで眉間と眉毛の下に二重三重の皺ができる。つり目がちな目つきと相まって、苦悩の色はかなりのものだ。だが、出会って五年、いわゆるお付き合いというものを始めてから三年になるカルロには見慣れたもの。さして気に留めることなく、思ったことを口にした。
「宇宙飛行士なんざ、ただのフライトエンジニアだろ」
 他人の夢をつまんで脇に捨てるようなカルロの言いぐさに、ブレットの視線がますます厳しさを帯びる。キッチンにはめ込まれたオレンジ色のダウンライトの下で、ブレットのムーン・グレイの瞳がきらりと光った。
「N△S△じゃなくたってよ、スペースシャトルに乗る奴だっているじゃねえか。何つーんだ、ペイ……」
「ペイロードスペシャリスト(搭乗科学技術者)のことか。あれだってN△S△に雇用されていないってだけで、宇宙飛行士は宇宙飛行士だぞ」
「違えよ、俺が言いてえのはそういうことじゃなくて……」
 そこでカルロは言葉を探しあぐねて口をつぐむ。上手く説明できないもどかしさに頭をかいて、二人掛けのソファーの座面に足を投げ出した。あからさまにいらだつカルロに、訝しんだブレットが手をタオルで拭きながらキッチンから出てくる。二人で食事をしたダイニングテーブルにタオルを投げると、ソファの背もたれの後ろから寝そべるカルロを覗き込んだ。
「どうしたんだ、一体」
「俺にもわかんねえよ」
 嘘が下手だな、とカルロは自分自身を哂う。なぜブレットが宇宙飛行士にこだわるのか、そんな今更な疑問を抱いたのは昼間見たもののせいだと分かりきっていた。




 please kiss me more and more




 『来週から七月八月は丸々オフになる』
 カルロがそう告げたのは一週間前、七月に入ってすぐの電話でのことだった。
『ならアメリカ(こっち)来いよ』
『は? 来月にはてめぇがドイツだろ。そんときでいいじゃねえか』
『予定なんかないんだろ、なら来いって』
『俺になくてもボウヤにはあんだろ。部屋で留守番してろってのか』
『いいじゃないかそれで。会いたいんだ』
 率直な言葉に痛い所をつかれたカルロは押し黙る。これではまるで、自分の愛情不足を責められているようじゃないか。
 会いたくない、わけがない。
 けれど、
『……アシ代がねぇ』
 恥も男のプライドも忍んで、真実で返す。若くしてエリート街道まっしぐらのボウヤとは違うのだとぼやいた翌週、カルロ宛にアメリカ行きのフライトチケットが送り付けられた。日付は三日後。チケットに印字された「non-refundable(払い戻し不可)」の文字は、カルロの貧乏性を熟知しているブレットの策謀だ。
 かくしてカルロは、今日の昼の便でアメリカの地を踏んだ。その足でブレットのアパートメントへ赴く道すがら、彼に一報を入れる。
『一日研究室なんだ。部屋に行っててくれ。夜には戻る。食事をしよう』
 簡潔なメールに、カルロは預かっていた合鍵を遠慮なく使った。
 ブレットの現在の住まいを、カルロが訪ねるのはまだ二度目だ。おかげで一度目の時に託された合鍵も、今日まで使われることなく真新しさを保っている。
 一人住まいのブレットの部屋はデュプレックス(メゾネット)タイプで、ロフト部分が寝室になっている。ひとり身にはやや広い空間はよく片付いていた。ここに越してくる前はハマーDとルームシェアをしていたそうだから、整理整頓が行き届いた空間はその名残なのか、それともブレット本来の性質なのか。たいていのことは平均以上にこなすブレットだけに、どちらともカルロには判じがたい。
 とにかく旅の垢を落とすべく、カルロはロフトへと続く階段下に設えられたシャワールームに向かう。横切ったダイニングテーブルに置かれた「それ」が、カルロの目に入ったのはその時だった。
 モダンなブラックガラスの天板に、ぽつんと置かれた手紙の白が、浮かび上がるようにしてカルロの興味を引いた。自分の領域に他人が気安く触れることを嫌うカルロは、同じだけ他人のプライバシーには手を出さない。にもかかわらず、家主に置き捨てられた手紙にカルロが手を伸ばしてしまった理由は、長く会えない恋人の動向が気になったからなのか、カルロが来ることを承知で放置された手紙にブレットからの赦しを得た気持ちになってしまったからなのか。
 いずれにせよ、カルロは口を切った封筒(手ではなくペーパーナイフで開かれているあたりがブレットらしい)と、そこから取り出された手紙を手にしていた。封筒の隅にはデジタル風にデフォルメされたマークがプリントされている。
『M、I、T……』
 読み取れたアルファベットは、ブレットの母校であるマサチューセッツ工科大学の略称だ。そして、これが単なるOBへのダイレクトメールの類でないことは、差出人の前についた「Prof.(教授)」の文字が示している。
 カルロの英語力は完璧ではない。何につけて優秀な、とりわけ学問的な部分では優秀すぎる恋人のおかげでかなりの向上を見せたものの、怪しいところはまだまだ多い。もとよりスラム育ちで幼いころはろくな教育を受けてこなかった。衣食住と学業に困らなくなった現在でも、あの頃のハンディキャップを補うのは至難の業だ。
 ブレットの母校の教授らしい男からの手紙の内容は、カルロの英語力ではすべて理解しきれない。ある分野に特化した人間の手による、形式ばった文章など眺めているだけで頭痛を引き起こしそうだ。それでも目を通してしまうのは、ブレットへの執着がなせる技だ。ななめ読みでわかったことは、教授と名乗る男が、ブレットに大学へ戻ることを強く要望していると言うこと、自分の研究を手伝って欲しがっていることの二点だけだった。
 なるほど、アストロノーツとして将来有望な恋人は、研究分野でも一目置かれる存在であるらしい。
『ご立派なこって……』
 不貞の証拠でも何でもない手紙に、カルロの興味は一気に失せる。手紙をもとの場所に戻すと、カルロはソファに倒れこんだ。トリエステからヒューストン、約七時間の時差はきつい。
 結局シャワーもせずにうたたねをしている間に、ブレットが帰宅した。
『ただいま』
『おう』
『長旅ご苦労だったな』
『アシ代まで出してもらったんだ、何てことねぇよ』
 カルロがソファから身を起こすと、歓迎の意を表したブレットのキスが降る。バードキスが離れる間際に下唇を噛んで引きとどめれば、ブレットがかすかに笑う気配がした。腕を伸ばして、背中や肩甲骨の形を確かめていると、ソファの脇にブレットの荷物が落ちる音がする。そのままブレットの全身をソファにひきこんで、少し熱めのキスを、ひとつ、ふたつ。
『カルロ……』
 艶めいた呼びかけは、カルロの腰にダイレクトに響く。
 懐かしい体温が互いの体にのっぴきならない火をともすと、ロフトに上がるまどるっこしさにソファの上でワンラウンド。汗と体臭と餓えの濃いセックスに盛り上がって、さきほどは入り損ねたシャワールームで第二ラウンド。そこでようやくひと心地がついて、ブレットが夕食の準備にキッチンへと向かった。
 ブレットがダイニングを通るさなかにテーブルの手紙を拾った時も、カルロは中身を読んだことを告げなかった。ブレットも何も尋ねない。ただ、『一本だけ、電話を入れさせてくれ』と断りを入れ、ブレットは手にした子機に十桁の番号をよどみなく打ち込んでいく。
『ブレット・アスティアです。――教授を』
 そうしてブレットは母校の教授(おそらく恩師と呼ばれる存在)への配慮をにじませながらも、丁重に断りの口上を述べた。宇宙飛行士の訓練を第一に優先したいから、それがブレットが通話の間、幾度となく繰り返した釈明だった。
 その背中を眺めていて、カルロは冒頭の疑問を抱いたのだ。

 どうして、宇宙飛行士じゃなきゃだめなんだ。

 ブレットは、十歳でMITに入学、二年足らずの間に首席で卒業すると言う離れ業をやってのけている。その思考力は研究者や哲学者向きで、だから母校の恩師はブレットに熱心な誘いをかけてきたのだろう。そんな彼がいかに特殊な職業とはいえ宇宙飛行士に、(誤解を恐れずに言えば技術者やパイロットの側面が強い)地上の研究者たちの手足的な存在にこだわるのかが不思議だった。
「宇宙飛行士がただのフライトエンジニアっていう認識は誤りだな」
 カルロの頭側にまわったブレットは、ソファの肘掛に浅く腰を下ろしながら、やんわりとカルロの発言に訂正を入れる。
「自分の理論を証明したくて、宇宙を目指す宇宙飛行士もたくさんいる。まあ、そのためには自分の理論の正しさを上に認めさせるっていう矛盾した壁が立ちはだかるんだが。それはさておき、だ。ボルゾイ氏によって軌道エレベーターが実用化された今、研究者と同等あるいはそれ以上の知識を身につけた宇宙飛行士でないとできないミッションも増えてるんだ。スペースシャトルや宇宙ステーションの操作・保全はもちろん、複雑な実験を指揮するミッションリーダーの資質を兼ね備えた、マルチアストロノーツの育成にN△S△は心血を注いでる。わかるか?」
 まるでブレットの職場に社会見学に来たティーンの扱いだな、とカルロは鼻を鳴らす。
「で、そのマルチアストロノーツの先駆け的存在がお前ってわけか、史上最年少、十五歳で宇宙に出た有名人さんよ」
「軌道エレベーターの外に出て帰ってくるだけの、チャチなミッションだったけどな」
 からかうような拍手をするカルロに、ブレットは肩をすくめる。一昨年は随分とマスコミに取り沙汰され、遠いイタリアのメディアにまでブレットの名前と顔が知れ渡っていた(プレティーンからゴーグルで隠していたキツい目つきも、骨格が凛々しくなるにしたがって知的でミステリアスな雰囲気を漂わせる美青年のそれに変貌していて、イタリアでもえらく騒がれていた)が、当の本人はそんなことにはちっとも満足を覚えていないらしかった。
 旧アストロレンジャーズのメンバーにとって、一番手で夢を実現させたブレットの存在は大きな刺激になっているらしい。残る四人も各分野でがんばっている、とブレットはそちらの方を嬉しそうに語るのだ。
「何より俺は、理論物理学者には向いてない」
 それは意外なセリフだった。顔に出ていたのか、ブレットはカルロに笑いかけると小ぶりな顎をしゃくってみせる。彼の示す先にアルミ製のシェルフがあることは、振り返らずともわかっている。ぎっしりと詰め込まれた専門書の存在も。それに負けない数のSF小説と映画のディスクがおさまっていることも。
 ブレットはSFが好きだった。とりわけ宇宙旅行にかかわるものならどんな荒唐無稽な話であろうと、ジュール・ヴェルヌから始まる、宇宙への憧れを形にしたありとあらゆるものを愛していた。かつて日本出身のミニ四駆レーサーから、日本に伝わる古い物語に月の姫君が登場することを教えられ、ひどく興奮していたのを覚えている。
 宇宙の解明(それはすなわち人類がどこから来てどこへ行くのかという命題)も、異星人との遭遇も、宇宙ステーションの拡充も火星への移住計画も、全部全部やってみたい、関わってみたいという欲深さをブレットは抱えている。
「先人たちへの敬意はあるよ、もちろんな」
 アインシュタイン、シュレーディンガーにホーキング。大学に在籍していたころのブレットにとって、彼らは間違いなくヒーローだった。
「もしも、アストロレンジャーズがなかったら……、そう、考えることもある。どこかの時点でN△S△の限界を知った俺は、大学に戻って理論物理学の研究に没頭してたかもしれない」
 だがブレットはもう、知ってしまった。
 モーターの唸り、レースでの駆け引き、自分の一瞬の判断が仲間の命運を左右するスリル。あの十二歳と十三歳の二年間に刻み込まれたそれは、ブレット少年を、思考の海にたゆたうだけでは耐えられない体と心に作り変えてしまった。

 抽象的な思考を極めるだけでは物足りない。
 実感がほしい。
 世界に、触れているという実感が。

「それはお前も同じだろう?」
 そう、ブレットは逆にカルロに問う。
 三度目のWGPを最後に自分を拾ってくれたチームオーナーのもとを離れたカルロは、現在、イタリア空軍の士官学校に在籍している。生まれ育ったミラノを出て、イタリア北東部のトリエステで寮生活だ。彼の最終目標は、イタリア空軍で最高、いや世界最高峰と讃えられる飛行集団フレッチェ・トリコローリのパイロットだった。そして来月で十六歳になるカルロは、無事に士官学校卒業見通しを与えられた。順当にいけば、この秋にはイタリア空軍の新兵として採用される。カルロがこうしてブレットの元を訪れているのは、卒業前の最後の休暇だった。
「よりにもよって、お前が軍隊なんてな」
 呆れるような、哀しむような響きが、ブレットの小さな笑顔の隅に隠れている。
 士官学校に入った理由を、フレッチェ・トリコローリを目指す動機を、カルロはブレットにきちんと打ち明けていない。あのころのブレットは目の回るような忙しさで、北大西洋をはさんだ恋人の進路に心を割く余裕すらなかった。無論、カルロとて遊んでいたわけではない。文字通り裸一貫、初等教育すらまともに受けていなかったカルロにとっては、他の志望者と同じスタートラインに立つことが最初の難関だった。この準備期間に、第一回と第二回のWGPでオーナーから得た賞金をカルロは使い果たしている。
「これでも、宇宙飛行士よりよっぽどマシだと思ってるんだがな」
「一体、どのあたりが」
「酸素があるだろ、重力があるだろ、いざとなりゃパラシュートで脱出できる」
「アストロノーツは銃は持たないぜ」
「俺が握んのは操縦桿だ。それに、目もおかしくなったりしねぇ」
 カルロの士官学校入学からしばらくして、ブレットは十五歳七か月で宇宙飛行士デビューを果たした。しかし、その軌道エレベーターでのミッションでブレットの身に問題が発生する。彼の特徴的なムーン・グレイの瞳が、宇宙空間おいて損傷を受けることがわかったのだ。その詳細はN△S△のトップシークレットであり、カルロさえ聞かされていない。聞かされていたとして理解できるとも思わないが。
「教授は、俺の現状を知って誘いをかけてるんだ。N△S△にも顔がきく人だから、トップシークレットでも噂くらい耳に入るんだろう」
 ブレットの目の症状は宇宙空間でのみ発生するため、治療法の発見は難航した。
 N△S△としては、世間受けの良い広告塔かつ貴重なマルチアストロノーツ候補生を失いたくなかった。そこに本人の強い要望もあり、治療法究明のためブレットはほぼ一年間、検査漬けの毎日を送る。その間、アストロノーツとしての業務は棚上げとなったが、代わりに学問研究と後進の育成に勤しんだ。目を理由にフライト候補から外される、そんな恐怖から目をそらしているかのような没頭ぶりだった。
「言われたよ。難しい手術なら無理に挑むこともない、地上で生活するなら何の支障もないんだから、宇宙飛行士はあきらめたらどうだって」
 カルロの視界の隅で、ブレットの両手がきつく握られる。恩師でなければ、ブレットは電話を叩きつけていたんじゃないだろうか。そんな憤りが、怒りに敏感なカルロの精神に流れ込んでくる。
 宇宙飛行士じゃなくたっていいだろう。
 教授の告げる的外れな慰めと、ブレットはこの一年間戦い続けてきたのだ、きっと、ひとりで。カルロがした問いかけも、ブレットを傷つけてしまっただろうか。
 ブレットの孤独な闘争が神に届いたのか、一年がかりの精密検査の結果、ブレットの症状はとある眼科疾病と酷似していることが判明した。手術は難しい部類に入るが、完治者は多くいる。来月、その手術のためにブレットはドイツに発つ。ミニ四駆時代の旧友であるミハエルが、その分野では第一人者である医師を紹介してくれての渡独だった。当然カルロも見舞いに行くつもりで、一週間前の電話で「会うならドイツでいいじゃないか」と言ったのはそういう理由があったからだ。
 だがブレットは今すぐにカルロに会いたがった。
 その理由が分かる程度に、カルロの情緒は育まれている。ほかならぬ、ブレットからの愛情によって。
「怖いんだ、カルロ……」
「手術がか」
「それもある。だが、お前のことも」
 これは意外だった。けれど同時に納得もした。自分がよりかかるためにカルロを煩わせることを、克己心の強いブレットはよしとしない。強引な手段でもってでもアメリカに呼び寄せたのは、カルロの先を心配していたからだ。
 あと二か月足らずで、カルロは軍隊に入る。新兵が早々に戦場にほうりこまれることはないだろうが、世界情勢によってはどうなるかわからない。
 ソファに腰かけたまま、ブレットの腕が伸ばされる。カルロの髪にふれ、頬の輪郭をつたい、唇を辿る。カルロはなすがままに身をゆだねた。
 ブレットのムーン・グレイが、自分にだけに注がれている。共にミニ四駆を走らせていた頃の痩せっぽちの自分より、少しは逞しくなれただろうか、月明かりにも似た彼の目には、少しはましになって映っているだろうか。
「教授が俺を誘ってくれるのも、良かれと思ってのことなんだ。俺にはわかるよ」
 まるで、命のやり取りをするかもしれないカルロを、引き留めたいかのような言葉。カルロはブレットの瞳に浮かぶ月面を見据えた。
「てめぇは俺を止めない。俺がお前を止めたって、お前も自分の道を曲げねえからな」
 例え瞳を犠牲する危険をはらんでいようと、空気も重力もない世界にブレットは惹かれてやまない。カルロへの愛情とは、全く別の次元の情熱だ。
「カルロ……」
 ブレットの手をとり、カルロは唇を当てる。ムーン・グレイの瞳が感極まったように揺れ、ブレットの上体が倒れこんでカルロの頭をかき抱いた。こめかみに当てられた唇の冷たさに、ブレットの決意と不安が伝わり、カルロの胸を締め上げる。

 追いついたと、思ったのに。

 寄る辺も目指す先もなかった浮浪児は、衣食住と教育を求めて軍隊を頼った。そこで目にする曲芸飛行が、自分の夢と将来につながるとはつゆとも思わず。それでも、今のカルロには、世界最高の曲芸飛行集団のパイロットになるという目標がある。
 空を飛ぶ。高く、急加速とともに。轟くエンジン音と、潰れそうな重力を全身で受けながら。
 夢を捧げる先が、高度は違えど同じ「空」というのは神のいたずらか。『お前も同じだろう?』と尋ねるブレットの声がよみがえる。
 ああ、そうだとも。俺だって、生きてる実感が欲しいんだ。
 第一回WGPの決勝第二セクション、あの下り坂の急カーブで感じたスリル、ゴールを突き抜けた瞬間のエクスタシーに今も囚われ続けている。
 生まれも育ちもまるで違う二人だが、その根っこは同じだった。だからこそ、思ったのだ。フレッチェ・トリコローリという夢を見つけたその時。やっと、やっと。ブレットの歩く速さに追いついたと。
 なのに、カルロが士官学校の生活になれた頃には、ブレットは宇宙飛行士として次のステップに進んでしまっていた。最少年記録という、パワーブースターをはるかにしのぐ加速装置つきで。
 生まれついてのエリートと、スラム育ちのチンピラは、いつまでたってもその距離を埋められないまま。だいたい、このプライベートルームを訪れるのも、一度目は士官学校の教官のアメリカ出張のお伴をしたときのことで、二度目の今はブレットに金を出させている。大西洋を自力でわたることすら、カルロにはまだできない。
 幼いころのスタートラインが違いすぎたことに、恨み言をぶつけるのはもうやめた。今更どうしようもないことにふて腐れている間にもブレットは先に行くのだから、スタートのハンディを一分一秒でも縮めることにカルロは専念すべきだった。
 それでも今回のようなことが起こると、自分の不甲斐なさが身に染みる。ブレットがつらく苦しいとき、救いの手を差し伸べたのが自分ではなくミハエルだったということが、カルロに己の限界をつきつけてくる。

 俺じゃまだ、お前を受け止めるのには足りねぇか?

「カルロ、カルロ……、カルロ」
 ブレットは、壊れたレコードのようにカルロの名を繰り返す。一年近い足踏み状態を終えて早々、次に現れた手術という難所に怯えている。彼の呼び声に応えることが、今のカルロにできる精一杯だ。何よりブレットに求められることが、カルロを救う。黄金の道を歩いてきたような彼が、どぶを這ってきた野良犬になぜこうもすがるのかわからない。わからないが、彼に求められているという現実は幻ではなかった。
 強引に身を起こしたカルロは、ブレットをソファに引き込んで体勢を変える。座面に押し倒して、覆いかぶさった相手に唇を落とした。
「カルロ」
 ブレットが呼ぶ。甘えた声に、カルロは笑う。
「心配なんざいらねぇよ、ボウヤ」
 カルロは慣れた虚勢を張る。虚勢ぐらいでしか、ブレットの上に立てる手段を知らなかった。
「年下のくせに」
 懐かしい応酬に、ブレットの口元がほころぶ。年下のカルロにこう呼ばれることを、ブレットが好んでいることは先刻承知だった。なんでもそつなくこなすブレットが、ミッションもなにもないプライベートで甘えを赦す人間は何人いるだろうか。
 俺一人ならいい、とカルロは願う。
「悪運の強い俺だ、そう簡単にはくたばらねぇし、てめぇの目だってドイツのお貴族さまの手引きがあるなら絶対ぇ治るさ」
「もっとだ、カルロ。俺にもっと信じさせてくれ」
 ブレットの腕がカルロの首に回される。引き寄せられると、密着したブレットの体が熱を持っているのがわかった。
「俺もお前も生きてるって、大丈夫だって、教えてくれ」
 切羽詰まった、けれどブレットの情熱的な誘いに、カルロは我が意を得たりと動き出す。どうせ今夜は、一回や二回で済ますつもりなどなかった。
 彼が望むなら、一晩中でも。
 大西洋をはさんだ遠距離交際。そばにいられないの承知の上。カルロが飽きるか、ブレットが正気に戻るかすれば儚く自然消滅してしまうはずだった関係は三年目を数える。そのことをまずは感謝すべきなのに、礼を言う神の名前をカルロは知らなかった。
 こうしてブレットを腕に閉じ込めている瞬間も、彼の不安を取り除きたいのか、自分が追い付くまでその場で縛り付けておきたいのか、カルロにはわからない。わからないまま、彼を愛するためのキスをする。瞼に、頬に、唇に、キスを。もっともっと、キスを。
 不安も、距離も、埋めがたい差異も、この時間だけは忘れていられる。
「カルロ……、カルロ、お前が欲しい」
 カルロが言葉にしないだけ、ブレットが囁く。望まれるがまま、カルロはブレットの体と愛をむさぼりはじめた。






 please kiss me more and more
 (どっちがどれだけ求めてるかなんて、考えたって仕方がねぇよな)




+++++++++++
まだカルロさんうじうじ期。
アニメ版のカルロはとにかく神経質っぽくて愛おしいよ。

ブレットからのキスが欲しいのはカルロの方だけど、まだうまく言えないから代わりにブレットがちょーだいって言ってくれるんだよね。
っていうのが作品から伝わってる……気がしないorz

カルロの未来をどうしようか、めっちゃくちゃ悩みました。
候補1. F1レーサー(を目指して、F3とかでがんばってる)
候補2. ロードレーサー(四輪が二輪になっただけ)
候補3. 軍隊
1,2は夢があっていいよね。かっこいいし。スターダムにのし上がってほしい。
カルロは幼少期が大変だっただけに幸せになってほしいよ、二次創作だもん。
なのに結局軍隊にしちゃったのは、「教育もまともうけてない貧困層のガキの受け皿は軍隊だろ」っていう夢もクソもない発想が頭からこびりついて離れなかったから。

で、調べてみましたらフレッチェ・トリコローリに行き当たりまして「これだ!」ってことになりました。
いいじゃないですか曲芸飛行パイロット。かっこいい!
空だし、宇宙にもちょっと近くなるし!
演技科目に「アポロ313」っていうのがあるらしい。アポロって言えばね!ね!!!

まぁこれもキャラ観を作ってる仮定の迷走だと思ってください。

イタリア空軍の制服ってどんなだろ。検索しても良い画像がでてこなくて。
カラビニエリの制服がめっちゃオシャレでかっこいいんで、空軍も悪くないと思ってる……!信じてる……!
しかし、「イタリア」「軍隊」とかで検索すると「弱い」だの「ヘタれ」だの散々な言われようでだなwwww某漫画のせいなんでしょうがw

ブレットについては、一回ぐらい「自分の力じゃまったくどうしようもない壁」にぶつかってほしいなと思ってます。


またしても時差計算が不安。
おいおい微修正入ります、きっと。


2015/02/16 サイト初出
2015/02/17 加筆修正
2015/03/02 加筆修正
2015/03/28 加筆修正

2015/02/17(火) レツゴ:チョコレートナイフ(カルブレ)
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