※アニメ最終話(102話)直後
※超短編です。
※タイトルは「21」さまより





 いま、ここでさようなら




 前歯がぶつかる危険もものともしない、強引なキスにブレットは背中をしたたかに壁に打ちつけた。見開いた視界いっぱいに映るのは、サファイアのような深い青の瞳と色素に見放された痛々しい銀髪。ブレットの鼻の下に吹きつけられる熱い鼻息は、毛を逆立てた猫のそれだ。
 第一回ミニ四駆世界グランプリの決勝戦、三日間におよぶ激走は開催国代表の勝利で終わった。表彰式も閉会式も終えた富士の湖サーキットの片隅で、建物の影にとけていくような細い背中を、ブレットはチームメイトへの言付けもそこそこに追いかけた。最終日序盤はトップグループで豪やミハエルとしのぎを削っていたはずのカルロが、最下位でゴールした経緯をブレットは知らない。しかしどんなトラブルを抱えたにせよ、彼はマシンを労わりレースに復帰した。最後まで走り切った事実を讃えたかったブレットを、黙らせたのがこの粗雑なキスだ。
『カルロ、待ってくれ』
 彼の名を呼び、ユニフォームの上からも華奢な肩に手をかけた。この時点ですでに、カルロはブレットの意図を読んでいたのだろうか。そうとしか思えないほど迷いのないキスは、振るいどころを見極めた拳を正面から喰らう気分をブレットに味あわせた。
 そしてカルロが繰り出した一発のキスは、ブレットの生来の負けん気を揺り起した。日頃は鋼鉄の理性の鎖に繋がれている衝動が、唇を離した後に彼が見せたあざけるような笑みに唸り声を上げる。大勝負を敗北で終えてしまった、彼からの八つ当たりだと結論づけたとたん、言いようのない屈辱にうなじが逆立った。

 なめるなよ。

 そう、言葉に出したかはわからない。ロッソストラーダのオレンジ色のユニフォーム、その襟元からのぞくスカーフを握り締めたブレットは、カルロの細い首を包むカナリアイエローの布を引き寄せた。自然の摂理に従って再接近を果たした彼の唇に、今度は自ら噛みついてみせた。さすがに予想外だったのか、至近距離で見開かれるサファイアブルーに、形勢逆転を悟ってようやく溜飲が下りる。キスで目を開けているのはマナー違反、そんないつぞやの姉同士の会話が一瞬の脳裏をよぎったが今更だ。どのみち、姉たちが話題にしていたキスとこの行為はイコールで結ばれはしないだろう。
「完走、おめでとう」
 胸ぐらは引きとどめたまま、口を離すや否や、告げたかった言葉を低い声とともに押しつける。とたん、カルロの怜悧な顔が醜く歪んだ。
 カルロが先頭グループから下位に転落していくまさにその時、ブレットはジョーとフォーメーションを組んで追い上げをかけている真っ最中だった。サターンフォーメーションの犠牲になったジョーの応援を背中に受けて、一気に順位を上げたブレットは路肩でマシンをバラしているカルロの脇を通り過ぎている。
 カルロを除くすべてのレーサーがゴールし、あるいはリタイアした後、富士の湖サーキットに現れた彼を迎え入れたのは満場の拍手だった。
 あの時のいたたまれなさを思い出したのか、カルロはスカーフにかけたままのブレットの手を蛇蝎のごとく払いのけた。逃げようと後ろに下がる彼の腕に、ブレットは追い縋って彼をこの場に引きとどめた。
「本当に、すごいことなんだぞ」
「てめぇに何がわかる?」
 カルロの眼光の鋭さは折り紙付きで、睨まれれば歳に似合わない迫力を醸し出す。凶悪な青だ。
 サファイア。酸化アルミニウム系の鉱物でルビーのような赤系以外のもの全般を指すが、やはりサファイアと聞いて思い描くのは美しい青だろう。日差しの下で見る、カルロの瞳の色彩を最も的確に表す鉱石の名を、ブレットは歯列の奥に隠した舌の上で転がす。ダイアモンドを除けば、最高クラスの硬度を誇るコランダムは彼の意思の強さを代弁するかのようだ。
 その彼の尖った眼差しに貫かれて、けれどブレットが感じたのは「今にも泣きだしそうだ」という焦りだけだった。そしてブレットの印象に反せず、カルロはピカロに似合わない誠実な色の瞳をさまよわせて呻く。
「俺が欲しかったのは勝利だけだ……」
「お前は勝ったじゃないか。あれだけのコースをリタイアせずに走り切ったじゃないか」
 レースはライバルだけでなく、コースとの戦いでもある。決勝レースでゴールを果たした選手は誰もが、この過酷なコースに対する勝利者だ。だがブレットの励ましなど、カルロの琴線を震わせるには綺麗ごとすぎた。ふん、と鼻を鳴らしたカルロの口元に浮かぶのは、いつものあの不遜で不機嫌で、そして見る者によっては不憫にも映る冷笑だ。
「やっぱりな、てめぇも他の甘ちゃんレーサーと一緒だ」
 そしてカルロの嘲りに悲しみを見いだせるブレットには、彼お決まりの口上が彼の逃げに聞こえてならなかった。

 何を、隠してるんだ。

「言いたいことがあるなら、ちゃんと言葉にしろ、カルロ」
 どんな想いも願いも口にしなければ伝わらない。三歳の子どもだって知ってることが、なぜカルロにできないのか。遠慮仮借なく畳みかけるブレットに、レッドラインを踏み越えるブレットに、カルロの心がついに弾けた。
「そんなに聞きたきゃ教えてやるぜ、ボウヤ。てめぇがちんたら後ろ走ってやがる間、俺はミハエルとマグナム野郎にバトルを仕掛けて自滅したんだ。楽しむだとか、生ぬるいことぬかしてる奴らを叩き潰そうとして、勝ちを逃したんだ。表彰台にも登れねぇ結果なんざ、1リラの値打ちもねぇってのにな!」
 分厚い偏光ゴーグルの下で人知れず目を見開くブレットの胸倉を、今度はカルロの両手が握る。カルロの拳が青臭さを残すブレットの胸にめり込み、彼の角張った指の関節が鎖骨にぶつかって、ブレットに落ち着かない痛みを与えた。
「てめぇもあいつらのご同類だろ? 負け犬の俺に、さぞかし気分がいいだろうな?」
 取り繕うな、偽善者ぶるな、お前の本心など、ゴーグル越しに覗き込むブレットの瞳の形と同じくらいお見通しだと、カルロの青が小刻みに震えている。
「だからな、ボウヤ。お綺麗な顔のまんまで、俺なんざ労うんじゃねぇよ」
 『健闘』など、端から似合わないのだ。サーキットを満たす万雷の拍手も、ファイターの感涙を誘うアナウンスも、受け取る価値はないと、カルロはブレットの気持ちを拒んだ。
 そしてブレットの襟元にかかる力が緩められる。自分のユニフォームから彼の指が離れ、片足が下げられ、肩が遠のいていく様をブレットはスローモーションを眺めるように見送った。遅れて伸ばした手は振り払われ、その手つきの優しさにブレットはかえって彼を繋ぎとめる気力を奪われてしまう。

 そんな、言いようはないだろう。

 まるで触れればブレットの手が汚れるかのように、カルロは自分自身を貶める。勝負に綺麗も汚いもないと、嘯き、罵り、表彰台の一番高い所で胸を張り続けてきたカルロが、バトルとフェアプレイの狭間で揺らいでいる。その揺れを受け止めてやる方法はN△S△の天才少年にも思いつかず、またイタリアの赤い暴れ馬も同情心だけで抱き留められることを望んではいなかった。

 お前の戦いは、まだ、終わってないのか。

 両足を地面に縫い付けられたままのブレットは、カルロの孤独な戦いには加われない。ブレット自身が「お綺麗な」世界しか知らないことは、カルロの指摘通り間違いないからだ。
 だからせめて、去り行くカルロの背中にブレットは叫んだ。この世の影に戻っていく彼の記憶に、せめて綺麗な言葉が残るようにと、雨雲に隠された銀の裏地が見えるようにと。
「たとえこの結果がお前の自業自得だとしても、俺はお前を讃えるぞ! ゴールしたんだ、やりとげたんだお前は!」
 どんな雲にも銀の裏地は必ずついていて、どんな敗北にも、きっと勝利の種が潜んでいる。
 チームを背負って、最初から最後まで、カルロは走りぬいた。一癖も二癖もあるロッソの連中を力でねじ伏せ、まとめあげ、互いに牙をむき合いながらもチームとしての体を保ち続けた。長い長いWGPの戦いの中で、徹頭徹尾リーダーであった四強メンバーはブレットとカルロだけだ。

 誇っていいんだ。勝ったんだ、お前は。

「聞いてるのか、カルロ!」
 そんなお前の最後の走りを認める人間がここにいると、叫ぶブレットの声に、とうとう返事は寄こされなかった。




 いま、ここでさようなら
 (今日に負けても、明日に走り続けるんだろ、なぁ、カルロ)





++++++++++
リハビリ超短編。試合に負けて勝負に勝ったことを伝えたいブレットと、そんな言葉で俺を惑わしてくれるなと耳をふさぐカルロの話。かな?
「それが恋だと気づく前に」の後のブレットなので「忘れている」状態です。
ブレットがそんな状態なもんだから、ホモっぽい展開にできねぇ!と頭を抱えた結果、苦し紛れのカルロからの初ちゅー。ああ、せっかくの初ちゅーをこんな形で果たしてしまってもったいない……orz(カルロごめん)

カルブレ好きとして100話は外せませんが、カルロというキャラを考えたら101話や102話で見せた葛藤の方が考察しがいがあるのでしょうね。
『徹頭徹尾リーダーであった四強メンバーはブレットとカルロだけだ。』っていうのは、烈やミハエルとの対比かな。烈はビクトリーズがあんなチームだし、ミハエルは途中参加だし。やや無理があるなと自分で思いつつも、カルロとブレットの共通点をひねりだしたらこうなりました。

せっかくのドイツ帰り第一作だというのに、ドイツのドの字も出てこない話で申し訳ない。次こそ、次こそは!

2015/05/12 サイト初出。

2015/05/12(火) レツゴ:チョコレートナイフ(カルブレ)
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