※カルロ22歳、ブレット23歳。(正確には23歳、24歳になる年の2月)
※ドイツネタ、再挑戦。カルロとエーリッヒ。
※「ラファエルは来ない」にうっすらリンク。「精一杯のポーカーフェイス」に続く。
※ブレット出てきません。
※タイトルは「21」さまより。





 時計が動かないことにカルロが気づいたのは、ハンブルクに着いた夜のことだった。
「チッ、験が悪ぃ……」
 ドイツ・イタリア共同の記念式典に、所属するフレッチェ・トリコローリが演舞に招かれた。ベルリンの郊外の空で一糸乱れぬ曲芸飛行を披露し、お役御免となったカルロはそのまま休暇を取ってひとりドイツに留まる。去年から密かに進めていたロードレースへの転向に、大事なスポンサーとなる人物が商用でハンブルクに滞在していると聞きつけたカルロは、彼と渡りをつけるために後を追った。
 そしてたどり着いた宿で、カルロは時計の故障に気づく。
 シルバーの光沢が美しい、ホワイトゴールド製の懐中時計は古き良き手巻き式だ。だがゼンマイをいくら巻いても、機械式ならではのコチコチ音は一向に聞こえてこない。まさか、北ドイツの冬の寒さにやられたのだろうか。
「バレたら大目玉だな」
 脳裏に描くのは、懐中時計をプレゼントしてくれた恋人の顔だ。以前、連れだって蚤の市繰り出した際、ブレットが掘り出したのがこの時計だった。
 スペースの主と値切り交渉ひとつせず、言い値で買おうとするブレットのセレブぶりにカルロは呆れた(蚤の市の楽しみの何たるかを知れ!)。だが、物の価値を知らない売主にはもっと呆れた。
 蓋のないオープンフェースの懐中時計は、文字盤に細工らしい細工はほとんどされていない。打って変わって、ケース側面やバック部分には繊細な装飾が彫り込まれていた。専門店に持ち込めばそれなりの値をつけてくれるだろう逸品を、明らかに観光客然としたアメリカ人に二束三文で売り飛ばす主人をカルロは哀れに思った。
 ブレットは、スペースから離れるとすぐに懐中時計をカルロに渡した。今年の誕生日は一緒に祝えないからその詫びだ、もちろん、誕生日プレゼントはこれとは別に日付指定で届けてやると言い添えて。一緒に祝えないのはブレットの誕生日も同じだと言うのに(しかも彼の場合はプレゼントも受け取れない場所にいる予定だ)、律儀な奴だとカルロはブレットの思いやりを受け取ったのだ。
 そんなブレット直々のプレゼントが、動かないとあってはまずい。午後にスポンサーとの約束を控えたカルロは、朝一番でホテルのフロントに時計の修理店を尋ねた。ゲルマンらしく体格のいいフロントマンは、街に評判の老舗があると言って親切にも地図を描いてくれた。
「ルーデンドルフ・ウア・マッハー(ルーデンドルフ時計店)……」
 唐草模様をかたどった金具に、大きな懐中時計のレプリカをぶら下げた看板の文字を、カルロは降り積もった雪をよけながら読み取る。営業時間を確かめて、老舗にふさわしい年季のこもった深緑のドアにつけられた、真鍮のノブを引いた。
 カランカランと入店を知らせるベルが鳴り、店の暖房がカルロの冷えた顔を抱きしめる。四方の壁にあらゆるタイプの時計を展示した店内は、懐かしき時計屋の風情を色濃く残していた。
「グーテンモーゲン(いらっしゃいませ)」
 てんでデタラメな時刻を指す秒針の音をかいくぐって、穏やかな声がカルロの耳に届く。店が醸す雰囲気に比べて、随分と若い声だ。入口の正面奥、カウンター代わりのガラスディスプレイの向こう側で、声の主が立ち上がる。カルロより上背のある青年がこちらを向いたとたん、カルロは絶句した。
 カルロより色味の濃い銀髪に、褐色の肌、ネコ科の動物を彷彿とさせるフロスティブルーの瞳。
「……もしや、カルロ、ですか?」
 相手も驚きに目を見開いている。それでもどこか薄く微笑んでいるように見える彼は、ドイツの鉄の狼の三番手、エーリッヒ・クレーメンス・ルーデンドルフその人だった。




 届け!声!




 時計はすぐ直ると言われた。ほかに客のいない店内で、エーリッヒからカウンターのスツールを勧められて、行く当てのないカルロは素直に腰を下ろす。エーリッヒは一度店の奥に声をかけると、カウンターの中に設えられた作業机に戻って、ライトスタンドのスイッチを入れた。
 エーリッヒはカルロの持ち込んだ懐中時計をひと目見て、E.ハワード(160年以上昔に設立されたアメリカの時計会社)の骨董品と見抜いている。やはり見るものが見ればわかるのだ。ひょっとしたら、ブレットはこの懐中時計の価値も、店主の無知も見抜いたからこそ値切らなかったのかもしれない。カルロやエーリッヒ同様、彼もまた「本物」を見抜く目はある男だった。
 ほどなくして店の奥から妙齢の女性が現れ、カルロに温かいコーヒーを給仕し、小さく会釈をするとまた奥へと戻っていった。彼女の銀髪と浅黒い肌に、きょうだいかと尋ねれば、エーリッヒは懐中時計のバックケースを外しながら頷いた。
「妹です。大学の授業がない日は手伝ってもらっています」
「お前の店?」
「父の店です。曽祖父の代からで、三代目ですね」
 ルーデンドルフ時計店は時計の売買はもとより修理の評判がよく、エーリッヒの父親はそちらの依頼で出張中だと言う。教会や公共施設、富豪の館で使われるような「動かせない大物」の修理に呼び出されることはしばしばあるそうで、その間、店の客はエーリッヒに任される。売るにせよ直すにせよ、彼の手に負えないものは父親の帰りを待つ決まりだが、幸いカルロの時計はエーリッヒの手に余るほどではなかったようだ。
「お前は四代目?」
「父が認めてくれれば。僕自身はまだ修行中の身でね」
 エーリッヒはカルロよりひとつ年上で、ブレットと同い年の23歳(エーリッヒの誕生日が1月ならさらに一つ上の24歳だ)。家業の手伝いの傍ら、去年にはハンブルクの大学を卒業し、父親の元で本格的に時計技師の修行を始めていた。4年制の大学に6年7年かけるのは当たり前、三十路前に卒業できれば御の字という欧米の大学を、家業を兼業しながら4年きっかりで卒業したのはかなり優秀だ。現にカルロは、トリエステの3年制の工学部を卒業するのに5年かけている。
「シュミットはスキップで、フランクフルトの大学を三年前に卒業していますよ」
 自分のことより親友に言及せずにはいられないのは、エーリッヒの悪い病気なのだろうか。ブレットがライバル視するだけあってドイツのNo.2も相当なエリートらしいが、カルロはさしたる興味もわかないまま聞き流した。だがエーリッヒはカルロのことが気にかかるのか、ルーペで時計の内部を覗きこみながら会話を続けてくる。
「あなたこそご活躍のようですね。フレッチェ・トリコローリに、大学は工学部だとか」
「なんで知ってる」
 エーリッヒと顔を合わせるのは、ドイツでのWGP3以来のことだ。ブレット経由でシュミットやミハエルの消息をわずかに聞くばかりのカルロと、眼前の見習い時計技師とは接点がない。カルロの疑問に、紳士的なドイツ青年は謎かけのような答えを告げる。
「ブレットの動向は、シュミットが把握していますから」
 皆まで言わずともそれで十分だった。
 つまり、シュミットとブレットは現在も綿密に連絡を取り合っていて、そのためブレットのパートナーであるカルロの事情はシュミットにも伝わり、また、彼の親友であるエーリッヒの耳にも届いてくる。シュミットとエーリッヒは昔と変わらずよろしくやっていて、どちらかが見聞きした情報は片割れに筒抜けであるらしかった。
「僕にとってもブレットは、シュミットへの愚痴に共感してもらえる貴重な存在ですから」
 近頃は貴族と言っても遊び暮らしているわけにはいかないらしく(だいたい共和制の現ドイツに正真正銘の貴族はいない)、シュミットも苦労しているのだとエーリッヒは語る。所有する城や屋敷、庭園の維持費だけでも莫大な費用がかかるというのに、かつての特権は奪われ収入は減る一方。とはいえ家名は汚せず、ドイツ社会を支えてきたセレブリティのプライドもあって、チャリティなどには積極的に貢献する姿勢を見せなければいけない。
 そんな世情を背負わされた若きシューマッハ家の貴公子は、名門貴族の威信を守るために東奔西走していた。
「やっていることはビジネスマンとほとんど変わりませんよ」
 そんなシュミットは、時おりふらりとこの店に顔を出しては何時間も入り浸ったり、エーリッヒを拉致していくのだと言う。困ったものです、と大して困っていなさそうな顔で、エーリッヒは笑いながら指先だけは器用に時計の内部を探り続けていた。
「おぼっちゃんにはおぼっちゃんの苦労があります、ってか」
 同情する気はないが、エーリッヒの語り口にカルロの中にあった貴族への嫌悪感がわずかに薄らぐ。貧富の差は憎らしいとしても、望まずに強いられた境遇の中で戦う苦労は、カルロにも身に覚えがあった。その戦いに疲れ果てた時、シュミットがこの店を訪れるのだろう。老舗が醸すノスタルジックな空気とそこで待つ親友の姿が、何よりの安息だと思う気持ちは、カルロにもわからなくはなかった。
「ブレットとはどうしていますか」
 今度はカルロの番だと話をふってくるエーリッヒに、カルロはしばらく会ってないと答える。淡々とした応えに、エーリッヒは時計をいじる手を止めた。
「……ああ、彼はISS(国際宇宙ステーション)でしたね」
 15歳半で宇宙デビューした当時、くすんだブロンドとミステリアスなブルーグレイの瞳で一世を風靡した若きアメリカ人宇宙飛行士の動向は、異国にあっても少しばかりアンテナを張れば手に入る。
「90分に一度、彼が僕らの頭上を通り過ぎているかと思うと不思議ですね」
 店の天井をエーリッヒは見上げた。つられるように、カルロも上を向く。
「何度目でしたっけ」
「5度目。ISSには3度目だ。短期ミッションが続いてたから、えらくはしゃいでたな」
「さすがは良くご存じで」
 毎度毎度、ブレットはあっさりと宇宙(そら)に飛び立つ。それが彼の夢であり、人生であるのだからと、孤独に耐性のあるカルロは特に引き留めもせず見送ってきた。まるで諦めのついた古女房のようだ。二人の交際期間を考えれば、あながち的外れな喩えでもないから笑えない。ベッドじゃ俺が旦那だけれど、なんて冗談はさすがにエーリッヒの前では憚られた。彼も知りたくないだろう。
 けれど、今回ばかりはすこし遠すぎやしませんか、と宇宙に漂っているだろう彼に詰め寄りたくなる。
『ヒューストンとトリエステがどれだけ離れてると思ってるんだ。地上四百キロなんて大した距離じゃないだろ』
 きっと彼はそう言うだろう。残念ながら、カルロが問題にしているのは物理的な距離ではない。彼がシャトルで打ち上げられる度に、彼の心までカルロの重力圏から飛んでいってしまいそうな気がするのだと、彼に誤解なく伝えるにはどうすればいいのか。
「還ってこれるんでしょうか……」
 エーリッヒの言葉は、カルロの胸に重く響いた。およそ3か月前、去年の11月に起きた、シャトルの打ち上げ事故のことを考えずにはいられないからだ。
 去年の6月、ブレットは自身の誕生日にシャトルで宇宙に旅立った。8月のカルロの誕生日を跨いだ5か月間の長期ミッションを経て、11月に帰還するのが当初の予定だった。しかし予定は未定だ。11月になって、ブレットが帰還に使うはずだったシャトルが打ち上げ直前に大破、還る術を失ったブレットたち数名の宇宙飛行士はISSに取り残されるはめになって今に至る。
「何とかなるって、本人は言ってたな」
 そう、ブレットの声で聞いた、この言葉だけを支えにカルロは立っている。
「話したんですか」
「事故の後、ISSから衛星電話が一回。それっきりだ」
 あの電話から二か月弱、今もN△S△だけでなくロシアやヨーロッパの宇宙機関がブレットたちを地球に生還させるために全力で動いているはずだ。だがその展望は、「関係者」ではないカルロのもとには届いてこない。互いの誕生日だけでなく、去年のクリスマスも年越しも、カルロは結局一人で過ごしている。詫び代わりに持たされた懐中時計と共に彼の還りを待ちわびていただけに、この断絶はカルロには堪えた。
「それっきりだ……」
 意味もなく、カルロは繰り返した。
 ブレットがいない。いつ、還ってこられるかもわからない。それでもカルロは毎日をつつがなく過ごしているし、過ごしていかなければいけない。呼ばれればベルリンでもどこへでもいき、飛行機を飛ばして、よりよい未来を勝ち取るための算段を整えていく。
 彼がいないのになぜそんなことを? それは自分自身にも決してしてはいけない問いかけだった。
 落ちていくカルロのトーンに、エーリッヒは励ますように「大丈夫ですよ」と声をかける。彼の手で解体された懐中時計は、まだ動き出さなかった。帰ってこないブレット、止まってしまった時計。信心深くないカルロですら、まるで関係のない二つの事実が不吉な予兆のように重なって見える。
 嫌な予感を振り払うために訪れた時計店の、若き見習い職人は明るい声で話題を変えた。
「5月にシュミットの誕生会をやります。かつてのWGPレーサーにも声をかけて。今年は出席率が良さそうで、ロシアのユーリやオーディンズのワルデガルド、ARブーメランズのジムも出席の返事をくれました。ああ、それから日本の星馬兄弟も予定を調整してくれているそうです」
 ちょっとした同窓会ですね、と微笑むエーリッヒの意図が分からず、カルロは眉をひそめる。カルロの表情より時計に視線を集中させているエーリッヒは、ペースを崩さずに話を続けた。
「ブレットにも毎年招待状を出していますが、去年と一昨年はミッションと訓練の都合で欠席で。彼からの祝電ににシュミットが随分と立腹していました」
「それで?」
「いえ、今年は来られそうだと伺ってましたが、彼がこの状態では……」
 そこで言い淀むエーリッヒに、カルロは砂を噛まされた気持ちになってますます顔をしかめた。今は2月に入ったばかり。問題の5月までまだ3か月もあるではないか。
 こんな日々があと3か月続いてたまるかと、カルロは強い気持ちで反論した。
「5月だろ、さすがに還ってるぜ」
「ですね」
 すかさず同意され、カルロは片眉を上げる。エーリッヒがこちらに向ける笑みには確信めいたものがあった。まさか彼はカルロに「ブレットは必ず還る」と言わせるためにこの流れを作ったのか。
 誰にでも礼儀正しく、紳士的で実直。そんな評価の高いドイツのNo.3は食えない微笑のまま、話をシュミットの誕生会に戻した。
「あなたに、招待状が届いたことはないでしょう」
 エーリッヒの指摘はその通りで、だがその事実にカルロは不満も不平も抱かない。招かれる義理はないし、仮に招かれたところで行くはずもないのだから。
 そりゃそうだろう、と頷くカルロに、しかしエーリッヒが告げたのは意外な真実だった。
「招待状の作成は僕もお手伝いしてるんです。何せすごい枚数ですから、リストも長くて……。あなたの名前も、実はリストにあるんですよ。ですがシュミットは、いつも直前になって外してしまう」
 そこでいったん、エーリッヒは言葉を切った。フロスティブルーの名にふさわしい、冷えた双眸がカルロの反応を撫で、一笑と共にふわりと雪どけの色に変る。
「あなたの名前を外すとき、シュミットはいつもこう言うんです。『切手代の節約だ。招待しなくたって、奴はブレットが連れてくる』と」
 カルロの目が、こわばる。エーリッヒの微笑は崩れない。
「今年はあなたもいらっしゃったらどうです。ブレットの同伴者(パートナー)として」
 毎年のように顔を出していると言う、ブレットから誘われたことは一度もない。それどころか、シュミットの誕生日会が開催されていることも、彼が招待されていることもカルロは今ここで初めて聞かされたのだ。つまりはそれが、シュミットの予想を裏切る原因が、ブレットにあることへの証明となる。
「なんで、俺が……」
 エーリッヒはそのことを知らない。彼はブレットの誘いをカルロが拒んでいるのだと誤解している。だから彼は、無駄な説得に言葉を費やしていた。
「シュミットは待ってるんです。ブレットがあなたを『紹介』してくれることを」
 紹介、の部分ににエーリッヒは力を込めた。
 エーリッヒがかけてくれる気遣いがたまらなくなって、カルロは真実を口にする。
「決めるのはあいつだ」
 カムアウトに腰が引けているのはブレットだ。カルロではない。そしてカルロは、ブレットにカムアウトを強いないと決めている。石を投げつけられることがわかりきっているからだ。
 4、5年前、アストロレンジャーズの面々に二人の仲が露見した時(運の悪いことに、ブレットが彼らにカムアウトしようとした間際のことだった)は、それはもう蜂の巣をつついたような騒ぎになった。そして、彼らも石を投げつけた。その石の多くは、相手がカルロだという理由で放たれる。当時はブレットが苦労して丸く収めたようだが、自分の過去の所業を、カルロが悔いるのはそんな時だ。
「不思議なものです」
 エーリッヒが修理道具を置き、懐中時計のバックケースを閉じる。両手で掲げたそれをライトの前で矯めつ眇めつして、彼は修理の出来栄えを確認していた。
「宇宙で、数か月とはいえ暮らす人間がいる時代に、手巻き式の時計が現役で動いている」
 なにもISSと懐中時計を比べなくてもいい。時計一つとっても、1秒の単位を決めるのに最新機器が用いられる時代なのだ。
「かつて、1秒の定義は天文学に寄りました。今はセシウム133という原子を利用するそうですよ。まあ、これはただのトリビアですが。それとも、こういう話はブレットの方が詳しいかな……」
「何が言いたい」
「今の世の中、何だってアリだってことです。デジタルもアナログも、ハイテク機器もアンティークも共存してこそです。もちろんセクシャリティも、かつての不良少年とエリート青年との恋もね」
 大いに結構じゃありませんか、とエーリッヒはカルロの懐中時計を胸元に引き戻す。そして自身の腕時計と見比べて、時刻合わせ始める彼は、実に何気なく言葉を続ける。
「シュミットだってわかってますよ」
 エーリッヒの穏やかな声に紡がれた、シュミットの名がもっと別のモノにカルロには聞こえた。例えばブレットの両親、例えばアストロレンジャーズの面々、例えばシュミットの誕生会に集う世界各国の彼や彼女。
「ゲイは嫌いなんじゃねえのかよ」
 そう、カルロはブレットから聞いていた。シュミットと今カルロの目の前にいる彼の親友が、しばしばその誤解を受けていたのが原因だ。けれど、シュミット共にあらぬ疑いをかけられたエーリッヒ本人が、そんなこともありましたねと笑い飛ばし、大丈夫だと太鼓判を押す。
「シュミットとブレットを見てると、まるで兄弟のようだと思う時があります」
 育った環境や能力の差異こそあれ、二人は非常に似通った考え方や価値観を持っている。嗜好も通じるのか、WGP時代はオフにチェスやテニスで競い合う彼らの姿をカルロも目撃していた。血のつながらない兄弟、遠く離れた親友、そんな彼にブレットはカルロとのことを打ち明けていない。シュミットの方はとっくに察していると言うのに、それを知りつつもあえてブレットが甘えている状態が何年も続いていた。シュミットが気に食わないのはその点だろう。
「彼にしてみれば、ブレットの気持ちは聞かずとも通じてしまうものなのでしょう。またその逆もね。もしかしたら相互理解という点では、彼らはあなたや僕以上かも」
 二人はよく似ているから、とエーリッヒは言い添えて微笑む。彼の目はまだ、懐中時計の文字盤に注がれたままだ。
 家族の反応を恐れるブレットの背を、カルロは押さない。同時に自分たちの関係を多くの人に理解されたい、受け入れられたいと願うブレットの本心を、カルロが感じていないわけではない。心の奥底で、ブレットは背中を押してもらいたがっている。その相手はもちろんカルロ以外にない。
「まずはシュミットから、始められてはいかがです」
 エーリッヒは誤解などしていなかった。彼はシュミットの反応とブレットの行動規範、カルロの性格すべてを踏まえて、彼らが置かれた状況を理解していた。岡目八目、おそらく三人の内の誰よりも正確に。だからエーリッヒはカルロを口説いているのだ。ブレットの背中を押してやるように。親友の、長年の願いを叶えてやれるように。
「カムアウトに、シュミットは悪くない相手だと思いますよ」
 頷くことも首を振ることも出来ないカルロに、エーリッヒは紳士として完璧な微笑を向ける。そしてカルロの手に、直ったばかりの懐中時計を握らせた。うんともすんとも言わなかったはずの秒針が、カルロの手の中で心地よいロービートの音を奏でている。
 スタンドのライトを消しながら、修理代はいらないと、エーリッヒは言った。
「僕の練習台になってくださったということで」
「そんな殿様商売でいいのかよ」
「ご心配痛み入ります。しかし当店の顧客名簿は充実していますから」
 じきN△S△きっての宇宙飛行士とそのパートナーの名も加わるかもしれない、とエーリッヒは予言めいたことを口にする。実直そうな見た目に反して、食えない物言いはなかなかの商売上手を思わせた。
「5月にお会いできることを楽しみにしています。旧交を温めるのもいいものですよ」
 エーリッヒに見送られ、カルロは店の外に出た。身を切るような冷たい風を背に受けて、歩いてきた通りを雪をよけながら引き返す。ホテルへの分かれ道にある広場の、水のない噴水の前でカルロは立ち止まった。
 コートのポケットから、よみがえったばかりの懐中時計を取り出し、カルロはその音と動きを確かめる。
 時計は動いていた。
 時間は、進み続けている。
 再び時計をしまうと、カルロは空を仰いだ。空に向かって吐いた息は、白く濁ってすぐに消えてしまう。
 冬真っ盛りの、ドイツの空は雲ばかりだ。この分厚い雲を突き抜けた先、銀の裏地が見える高みでブレットが孤独に漂っている。ポケットの中で、再び時を刻みだした懐中時計を握って、カルロは祈るように呟いた。
「さっさと還ってこいよ、ボウヤ」
 いい加減、俺を不安にさせるな。エーリッヒやシュミットに、心配をかけるな。おかげで妙な話になったんだと、元気な姿の彼に話してやりたい。
 そしてブレットが首を縦に振ってくれるなら、5月に一緒にドイツに行ってやったって良いんだと、カルロは衛星電話にも負けない強さで眼差しの先に想いを込める。声よ届けと、ブレットが宝石のようと称えた青い瞳で、雲の先を睨みつけた。




 届け!声!
 (お前がいないと、世界はとても不確定だ)





++++++++++
エーリッヒぃぃぃぃっ、好きぃぃぃぃぃっ///////
エーリッヒの父親が時計技師って設定をどこかで見た記憶があるんですが、ウィキにも記載がない……。あれは何だったんだろう……シール列伝かな……まさか私の妄想かな……?
彼の名前の元ネタは、やっぱりエーリヒ・ルーデンドルフ(ドイツ軍人)なんでしょうかね。ミハさまは連邦大統領の人かな。シュミットの「ファンデルハウゼン」はどっからでてきたんじゃい。

シュミットの誕生日会に二人で出席するのをきっかけに、WGPレーサーへのカムアウトが進むといいなぁ、と思っているのでした。あとね、シュミットとブレットが共謀して、誕生日会で非公式の特別レースを開催してさ、カルロが十年ぶりくらいにディオスパーダに触れるといいなって。「非公式だからロッソのドンとの契約外だ」ってことにしてさ。カルロがドンの元に置いてったディオスパーダはきっとジュリオあたりが保管してるんだろう。ブレットのバックブレーダーはどうかな。N△S△から借りてこれるといいな。ミハエルも星馬兄弟もいてさ。そんなWGPファイナル再現レースしてほしい。(ここまで設定固まってるんだったらSSで書こうよ)

それはさておき、
「精一杯のポーカーフェイス」を読み直してもこの話が何月頃を想定しているのかわからぬ(w 欧米の大学だと大学卒業認定って個人でバラバラっぽくて。日本見たく「入学=4月」「卒業=3月」ってイメージがなくて困る。式典は決まった時期にあるんでしょうが……。8月末~9月頭で新年度ってパターンが多いから、式典自体は夏なのかな。
 いったいカルロは何月頃に工学部の卒業を決めたんだ!わからぬ!自分で設定して書いたはずのSSなのにわからぬ!!(行き当たりばったりで書くからこうなる)

2006年 「不実な苺」
2007年 「Oh, my dear!」
2008年6月 ブレットISSへ
2008年11月 シャトル事故、ブレット帰還延期
2009年1月末~2月頭 カルロとエーリッヒ再会(当SS)
2009年2月末~3月頭 ブレット、地球帰還
2009年4月 「精一杯のポーカーフェイス」??
2009年5月 シュミットの誕生日会出席(たぶん)
2009年末 カルロ、イタリア空軍退役、ロードレース転向
2010年 「ハローハローグッバイ!」
(WGP編放送の97年にブレットが12歳ってことで計算しました)

シュミットの誕生日会やらなんやら考えると、「精一杯のポーカーフェイス」は4月ごろになっちゃうのかなぁ。てことは、「精一杯~」の二人はまだ22歳と23歳だし、SS内で「カルロは三か月前に大学卒業した」ってあるので、エーリッヒと会ったころには卒業してるのかなぁ。うーん。
そもそもの年齢設定が23歳と24歳だから、素直に09年の8月7日以降だと考えればいいのか? てことはカルロの卒業時期を踏まえると09年10月とか11月頃? シュミットの誕生日には結局二人でドイツにはいかなかったのか?
うーん???????
後先考えずに話ぽんぽんつなげるからこういうことになるんですね!!反省!!!

2015/06/18 サイト初出。
2015/06/19 ちょこっと加筆修正。

2015/06/18(木) レツゴ:チョコレートナイフ(カルブレ)
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