「エターナルレッド」
※カルロ25歳、ブレット26歳
※超短編
※タイトルは「21」さまより。
エターナルレッド
カルロの部屋は宝島だ。キッチンもリビングもベッドルームも、いたるところにモノがあふれていて、大量生産大量消費に万歳三唱するアメリカ国民のブレットですらよくここまで集めたなと感心してしまう。壁いっぱいに設えられた棚は、おもちゃ箱を真上から覗き込む展覧会さながらの様相を呈していた。
そんな賑やかなカルロの城で、腕まくりをしたブレットは途方に暮れる。ロードレーサーとしてカルロが勝ち得た数々のトロフィを、並べ飾るスペース作りに苦慮していた。
ブレットの作業が遅々として進まない原因のカルロのコレクションは、それぞれが「高級品ではない」という一点でのみ共通点を持つ。アンティークとしての値打ち物もあるにはあるが、金額はたかが知れている。逆に「高級品ではない」以外に、「彼ら」をカテゴリーする方法をブレットは知らない。
本やCD、レトロな日用品などはまだ使い道がわかるだけマシなほうで、意味をなさないアルファベットのオブジェ、コンセントにつないでも所々光らない電飾、タイヤの外れたミニカーに、蓋の留め金が壊れたトランクなど、部屋にひしめくガラクタには枚挙にいとまがない。そんなあれやこれやが無尽蔵に増えていって、数か月ごとにこの部屋を訪れるブレットはいつも新顔の珍妙さに頭を悩まされてきた。なぜカルロがこれを欲しいと思って部屋に招き入れたのか、基本的に部屋はすっきりさせておきたいブレットにはさっぱり理解できない。
手に入れたものは手放せない。持っていないものは是が非でもほしくなる。ロードレーサーに転向して懐具合が一気に豊かになっても、カルロの長年の貧乏性はそう簡単には姿を消してくれないようだ。物欲を金で解決できるようになって、力づくで奪い取ったり、人目を盗んで掠め取る悪癖に抗うストレスがなくなっただけ良かったと思うべきか。それにしたって、現役で獲得したレースのトロフィの置き場に困ると言うのは考え物だ。
「お前に万一のことがあったとき、片づける俺の身にもなれ」
幼いころに身寄りを失くしたカルロは、二十代半ばになった今も天涯孤独を貫いている。旧知らしい旧知といえばジュリオの名が上がるが、彼(彼女?)はこの部屋を嫌っているので(ごちゃごちゃしているのがみっともないそうだ)、畢竟、カルロに何かあった時の尻拭いは、ステディであるブレットにお鉢が回ってくるのだろう。
呆れと共に呟かれたブレットのセリフに、感じるところがあったのかなかったのか。カルロの際限のない蒐集癖は近頃ようやく鳴りを潜め、ここ半年は目を剥くような珍客とブレットが顔を合わせることもなくなった。それでも厳密に言えば部屋の住民は増加の一途をたどっている。棚が壊れるのが先か、部屋の底が抜けるのが先か、ジュリオと賭けてみてもいいかもしれない。
「空白が怖い」
というのはカルロ自身の言だ。カルロが言うには、四方を取り囲む壁にとつぜん黒い染み(それは日の当たらないスラムの路地を彷彿とさせる)が現れて、みるみるうちに大きくなってカルロが抱え込んだものを全部吸い出してしまう気がしてしょうがないらしい。その染みは天井や床ではなく、カルロがもたれかかる壁だけを標的にしているのだとも、彼は付け加えた。
強迫観念とも妄執ともとれる彼の主張を、ブレットは頭ごなしに否定しないし、ましてや一笑に付すこともない。何かを失う恐怖、今自分が立っている場所への不信感というものは誰しも多かれ少なかれ持っているものだ。密閉された宇宙では、人は特によりどころを見失いやすい。だから人は太陽を希求し、眼下に広がる青いビー玉を愛するのだ。
親の愛を知らない(もしくは十分でなかった)カルロにとって、心の太陽であるとか、安らぎの地球のようなものを空想だけで胸に描くことはひどく困難な作業なのだろう。地球に降り立ち大地を踏みしめたことのない異星人が、ザ・ブルーマーブルの本当の偉大さを知ることがないように。そしてその困難さを乗り越えるために、彼は物に頼った。カルロが集めるガラクタが、握って、触れられるサイズのものばかりなのがその証拠だ。硬さや温度や色やにおいが、直にわかるものをカルロは求めずにいられない。
逆に、名声や栄光をかたどるトロフィは、世間体を良くする肩書き程度の価値しか見出されていない。ミニ四駆を捨ててから、カルロは自分が得たカネとも栄誉とも一定の距離を取り続けていた。それはかつて彼が囚われていた心の檻から自由で居続けるために、彼が学んだことの表れであるのだろう。
そうして選ばれたこの部屋の住人達は、カネや名誉以上にくっきりとしたカルロの「現実」で、山と積み上げられたそれらはカルロの心を守る防御壁になる。とりわけ高く分厚い壁が築かれた一角で、その日ブレットはあるものを見つけた。
普段注意を払わないその一角に、目を向けたのは本当に偶然だった。トロフィの置き場を探していて、ブレットが不用意に動かした肘がボトルの一本を倒したのがきっかけだ。色とりどりの使用済みボトルの森に隠されるように、古ぼけた赤い缶が置かれていた。一見する限り、お菓子の缶のようだ。
倒したボトルを元の位置に戻した腕を、ブレットはお菓子の缶に伸ばす。林立するボトルを倒さないように、ブレットはそっと缶を持ち上げた。
軽い。
持ち上げた拍子に、中でカタカタと何かがかすかに音を立てた。両手で抱えた缶はやはり軽い。ブリキの缶はサイズ20センチ立法といったところか。真っ赤なデザインに、白文字でプリントされた銘をブレットは読み取る。
「ラッツァローニ……サローノ」
夏の空に浮かぶアンタレスのような、かつての彼の愛機のような赤いブリキの箱は傷だらけだ。蚤の市やゴミ捨て場から拾われてくるカルロのコレクションでは見慣れた姿なのに、なぜだかその赤いブリキ缶は浮かび上がるような存在感を持っている。
純然たるカルロの私物の蓋に、特に封はされていなかった。ブレットは迷わず蓋を開く。不思議とうしろめたさは感じなかった。
覗きこんでみると、中身のほとんど紙屑だ。ダイニングテーブルの上で缶をひっくり返し、中身をぶちまけた。転がり出た一枚一枚に、ブレットのブルーグレイが大きくなり、満月のように丸くなる。
名刺サイズの紙
(ずいぶん昔に使っていたブレットのナンバーとメールアドレスが、ブレットの筆跡で書かれている)
解きかけのクロスワードパズル
(ブレットが作った覚えのあるパズルに、カルロの筆跡で書き込みがある。systemのスペルが間違ったままだ)
ドイツ語でつづられた歌詞カード
(シュミット手書きのそれはいつカルロの手に渡ったのか)
ワシントン記念塔の半券
(スミソニアン博物館のついでに二人で寄った)
出てきたのはどれもこれもブレットとカルロの思い出にまつわる品だ。青い蝶の大群が一斉に飛び立つように、過去のあれこれがブレットの脳裏に想起される。ブレットは自然と、それらを時間を遡りながら並べ直していた。歌詞カードは9年前のドイツでの手術の時のもので、名刺サイズの紙とワシントン記念塔の半券はアメリカ大会の終盤、クロスワードパズルは同じ年の夏の頃だ。13年前、このパズルを解いたカルロはまだ12歳の誕生日を迎えていなかった。
一見してゴミくずのような思い出の断片を、カルロは後生大事に持ち続けていた。苦労して勝ち得たトロフィの扱いはぞんざいなのに。ブレットは久しく感じていなかった甘酸っぱさが胸にこみ上げ、頬が熱を持つ。
この部屋のモノはすべて、カルロの「現実」を構築し、カルロの心を守る「壁」となる。ラッツァローニの缶がその中にひっそりと混じっていたという事実も、ブレットをえもしれぬ感情を沸き立たせた。トロフィの置き場所に意味を見出さないカルロだからこそ、ラッツァローニの缶が「そこ」にあることは大きな意味を持つ。
ラッツァローニの缶の蓋は、何の引っかかりもなく開いた。きっとカルロが頻繁に開け閉めしていたのだ。簡単な推理に、ブレットは口の端がむずむずしてしょうがない。何かの折に覗き込みたいものだからこそ、銀行の貸金庫なんて選択肢はなかったわけで。だったら鍵のついたチェストにでもしまっておけばいいのに。そうしないカルロから、ブレットは目に見えない、耳にも聞こえないメッセージを感じ取る。
隠したいけど、見つけてほしい。
今日まで気づきもしなかったブレットに、カルロは何を感じていただろうか。忘れたポーズを貫いていたか、それとも一喜一憂していたか。見つかりそうで見つからない、はたまた見つからなそうで見つかる置き場所に、あれやこれやと頭を悩ませていただろうか。
さて気づいてしまったからにはどうしようかと、ブレットは家主のいない家の中を意味もなく見回してみたりする。そして手に持ったままの缶に再び視線を戻せば、内側のブリキの反射に違和感を覚えた。
「ん?」
缶の内側に、貼りつくようにして隠れていたものがある。指先でひっかけてひっぱりだしたそれに、今度こそ、ブレットの目は限界まで見開かれた。
色褪せた証明写真。
3枚つづりの小さな小さな写真の中に、幼いころの自分たちが写っている。
それはアメリカ大会で、初めて撮った二人のツーショットだ。二人きりで出かけた先で見かけた、何の変哲もない証明写真の機械にブレットが突然食いついた。
『俺たちも撮ろう、記念だ』
意味が解らない、何の記念だ、写真にいくらも払えるかと渋るカルロに、ブレットは一年前の思い出を語ってやった。
日本でのWGPの直後、帰国までの数日にチームで観光したこと、ブレットのリクエストで東京タワーに上ったこと、そこに設置してあったプリクラと呼ばれる写真シール生成機の中で、皆で押し合いへし合いしながら撮影したこと。そして調子に乗ったチームメイトが、ブレットのラップトップに無断で一枚貼り付けてしまったことも、あらいざらい全部彼に話して聞かせた。
『家に帰ったら、姉貴たちに見られて散々からかわれた。なに子どもみたいなことしてるんだって。俺は立派な12歳の子どもだって言うのにな』
あの頃のアメリカには、日本独特のプリクラ機はまだどこにも導入されていなかった。だからこれで我慢だと、ブレットは再度カルロの手を引く。
『6枚撮りにしよう。写真代は割り勘で、できた写真は3枚ずつ分け合えばいい』
『また姉さんたちに笑われるぜ?』
いいのか、と脚をつっぱって抵抗するカルロに、ブレットは「誰にも見せるもんか」と言いきった。眉をひそめるカルロに、ブレットは一度彼の手を放して、胸の前で何かを抱えるような仕草をする。
『宝箱にしまうんだ』
ブレットは、自分の両手の中にあるそれを想像する。20センチサイズの赤いオルゴール箱で、ふたを開けると「きらきら星」のメロディが流れるそれは姉のお下がりだったけれど、性別を感じさせないデザインをブレットはとても気に入っていた。そこに、カルロと撮った写真をしまっておくのだ。
『10年後とかに二人で見ようぜ。なあ、いいだろ、カルロ』
ねだるブレットに、カルロのつっぱっていた脚が写真機に向けて進みだす。カルロが小さくつぶやいた「10年後……」という声は、ブレットの耳にも届いていた。
「10年後……」
そして今、あの時のカルロと同じセリフを、ブレットは呟いていた。ブレットが予言した10年後から、すでに2年以上オーバーしてしまっている。
まさか、お前。
「待ってたのか」
13歳のブレットが、気安く口走ったあの約束の日を、彼は律儀に信じていたというのか。ブレットがこの赤い箱を見つける時を、ずっと待ちわびていたというのか。まるでブレットのオルゴール箱を模したような赤いカルロの宝箱は、カルロの望みを雄弁に物語る。
「いや、これはさすがに……、遠回しすぎるだろ……」
忘れてた俺が一番悪いんだが。
ぶつぶつと、ひとり言い訳とも反省ともつかないことに、ブレットは口をもごもごとさせる。それから胸の奥からとめどなく溢れる何かにこらえきれなくなって、写真と缶をテーブルに置いて、両手で顔を覆った。
ああ、もう、さっきから胸がきゅんきゅんしっぱなしだ。
今後の展開を予想するのは簡単だ。今日、ブレットがようやく暴いた秘密に、カルロは悪態をつき、拗ねるだろう。何で俺のものを勝手に開けるんだ、とかなんだと言って。
見つけてほしかったくせに。ずっと待っていたくせに。カルロのそんな複雑怪奇な心理にも、ブレットは「面倒くさいやつめ」と思うどころか、「何てかわいい奴なんだろう!」と抱き付いてキスの雨をふらしたくてたまらなくなるのだ。こういう彼の非常にリリカルな部分がもっと表に出れば、カルロはより多くの人から愛されるだろう。わかっていてもブレットは、恋人の極めて可愛い一面は自分さえ知っていればいいとエゴイズムを発揮させてしまう。
「ごめん、ごめんな、カルロ」
この場にいない、ステディに謝る。ブレットが手放しで謝罪するなど珍しいことだ。それほどまでに、カルロへの愛しさはとどまるところを知らなかった。
こんなお前の可愛さこそ、俺だけの宝物にしてしまいたい。
だから無断で缶の中身を見たことも、10年後という約束から2年以上も遅れてしまったことも、全部一緒に詫びてしまえばいい。カルロはきっと赦してくれる。ごめんのキスの一つや二つは、ねだられるかもしれないけれど望むところだ。
そんなことを考えながら、かなり色落ちした証明写真の幼い二人を撫でる。トロフィの陳列のことなどすっかり忘れて過去に浸っていれば、玄関の方から錠が開く音がした。続いて扉が開き、濃厚な人の気配が外の風に乗ってダイニングまで届いてくる。
カルロが、帰ってきた。
姿の見えない彼に、ブレットはダイニングから声を投げる。
「カルロ、おかえり。いない間に、面白いものが出てきたぞ」
「ああ? 勝手に人の部屋のモン触ってんじゃねえよ」
ここまでは予想通り。さて、彼をどうやって驚かそうか、とブレットはその秀でた頭脳を高速回転させた。
ラッツァローニのブリキ缶を抱えたまま、ブレットはカルロを迎えることにする。カルロの宝箱を片手に、後ろ手で13年前の証明写真を隠し持ってブレットはダイニングに顔を出すカルロを待ちわびた。荷物があるのか何なのか、カルロはなかなか姿を見せない。けれど、カルロがブレットに待たされた二年と数か月を思えば、何てことのない待ち時間だ。
カルロに恋する秘訣。それはカルロの幼さを抱きしめること、証明写真に残る12歳の彼を忘れないことだ。
昔のお前は尖ってて、けど最高にキュートだったぜ。そんな言葉を言い添えて、写真をつきつける瞬間までのカウントダウンを始める。玄関からダイニングの入り口まで約10ヤード……9、8、7……。ブレットのカウントダウンに合わせるように、カルロの足音が近づいてくる。
3、2、1……!
「ただい、ま……」
壁から現れたカルロの目が、それはそれは綺麗に丸くなった。
エターナルレッド
(写真なら、俺もまだ持ってるんだ)
++++++++++
Tanti Auguri a Carlo!
ブレットより一歳年下だから、RRなら31歳、無印なら30歳、WGP基準なら29歳ですか。
チョコレートナイフシリーズではブレット30歳なので、カルロ29歳です。下積み時代が長い我が家のカルロにとっては、人生これから!ってところですかね。イイ男になってくれますように^^
そんでもって、砂吐きそうなレベルでリリカルなうちのカルロ、略してリリカルロ。おえええ……!(砂吐)
カルロの貧乏性設定は、この小話を書きたいがために設定したと言っても過言ではあるまい……!
証明写真についての詳細は、別SSでフォローしたいと思います。あとプリクラの件は「答えは僕を待っている」にも加筆しますね。
チームで東京タワーにいった行は、アストロSSの「higher than the sun」とリンクしてますが、higher~自体はカルブレ時系列とは別のものだと思っているので、ちょっとしたお遊びだと大目に見てくださるとうれしいです。
東京タワーには成人してから一回しか訪れたことがないので、プリクラが置いてあるかは存じませぬ。ああいう観光地って、置いて有ることおおいし……たぶん? みたいな??
アメリカにも証明写真の自動機械あるよね? 「アメリ」のフランスにあったから、たぶんあるだろうと。
ラッツァローニはイタリア最古のビスケットメーカーで、お酒も造っているのかな?
赤いブリキ缶の描写にモデルがほしくて、「ブリキ缶、赤」とかで探したら出てきました。
実物は見てないので、サイズ感は私の推測です。実物見たいなあ~、ヴィンテージな雰囲気がいいっすねぇ。
カルロにとっては初めて食べた「お菓子」の味で、この世にこんなうまいものがあるのか、って感動した味だといい。大人になるとフツーのビスケットだって感じるのにね、それでも特別な味なんだろうね。そんな話も書きたいです。
あとね、あとね、ちゃんとブレットに「ただいま」って言えるようになったカルロというのもポイントだと思っておりますです、はい。
2015/08/07 サイト初出。
※超短編
※タイトルは「21」さまより。
エターナルレッド
カルロの部屋は宝島だ。キッチンもリビングもベッドルームも、いたるところにモノがあふれていて、大量生産大量消費に万歳三唱するアメリカ国民のブレットですらよくここまで集めたなと感心してしまう。壁いっぱいに設えられた棚は、おもちゃ箱を真上から覗き込む展覧会さながらの様相を呈していた。
そんな賑やかなカルロの城で、腕まくりをしたブレットは途方に暮れる。ロードレーサーとしてカルロが勝ち得た数々のトロフィを、並べ飾るスペース作りに苦慮していた。
ブレットの作業が遅々として進まない原因のカルロのコレクションは、それぞれが「高級品ではない」という一点でのみ共通点を持つ。アンティークとしての値打ち物もあるにはあるが、金額はたかが知れている。逆に「高級品ではない」以外に、「彼ら」をカテゴリーする方法をブレットは知らない。
本やCD、レトロな日用品などはまだ使い道がわかるだけマシなほうで、意味をなさないアルファベットのオブジェ、コンセントにつないでも所々光らない電飾、タイヤの外れたミニカーに、蓋の留め金が壊れたトランクなど、部屋にひしめくガラクタには枚挙にいとまがない。そんなあれやこれやが無尽蔵に増えていって、数か月ごとにこの部屋を訪れるブレットはいつも新顔の珍妙さに頭を悩まされてきた。なぜカルロがこれを欲しいと思って部屋に招き入れたのか、基本的に部屋はすっきりさせておきたいブレットにはさっぱり理解できない。
手に入れたものは手放せない。持っていないものは是が非でもほしくなる。ロードレーサーに転向して懐具合が一気に豊かになっても、カルロの長年の貧乏性はそう簡単には姿を消してくれないようだ。物欲を金で解決できるようになって、力づくで奪い取ったり、人目を盗んで掠め取る悪癖に抗うストレスがなくなっただけ良かったと思うべきか。それにしたって、現役で獲得したレースのトロフィの置き場に困ると言うのは考え物だ。
「お前に万一のことがあったとき、片づける俺の身にもなれ」
幼いころに身寄りを失くしたカルロは、二十代半ばになった今も天涯孤独を貫いている。旧知らしい旧知といえばジュリオの名が上がるが、彼(彼女?)はこの部屋を嫌っているので(ごちゃごちゃしているのがみっともないそうだ)、畢竟、カルロに何かあった時の尻拭いは、ステディであるブレットにお鉢が回ってくるのだろう。
呆れと共に呟かれたブレットのセリフに、感じるところがあったのかなかったのか。カルロの際限のない蒐集癖は近頃ようやく鳴りを潜め、ここ半年は目を剥くような珍客とブレットが顔を合わせることもなくなった。それでも厳密に言えば部屋の住民は増加の一途をたどっている。棚が壊れるのが先か、部屋の底が抜けるのが先か、ジュリオと賭けてみてもいいかもしれない。
「空白が怖い」
というのはカルロ自身の言だ。カルロが言うには、四方を取り囲む壁にとつぜん黒い染み(それは日の当たらないスラムの路地を彷彿とさせる)が現れて、みるみるうちに大きくなってカルロが抱え込んだものを全部吸い出してしまう気がしてしょうがないらしい。その染みは天井や床ではなく、カルロがもたれかかる壁だけを標的にしているのだとも、彼は付け加えた。
強迫観念とも妄執ともとれる彼の主張を、ブレットは頭ごなしに否定しないし、ましてや一笑に付すこともない。何かを失う恐怖、今自分が立っている場所への不信感というものは誰しも多かれ少なかれ持っているものだ。密閉された宇宙では、人は特によりどころを見失いやすい。だから人は太陽を希求し、眼下に広がる青いビー玉を愛するのだ。
親の愛を知らない(もしくは十分でなかった)カルロにとって、心の太陽であるとか、安らぎの地球のようなものを空想だけで胸に描くことはひどく困難な作業なのだろう。地球に降り立ち大地を踏みしめたことのない異星人が、ザ・ブルーマーブルの本当の偉大さを知ることがないように。そしてその困難さを乗り越えるために、彼は物に頼った。カルロが集めるガラクタが、握って、触れられるサイズのものばかりなのがその証拠だ。硬さや温度や色やにおいが、直にわかるものをカルロは求めずにいられない。
逆に、名声や栄光をかたどるトロフィは、世間体を良くする肩書き程度の価値しか見出されていない。ミニ四駆を捨ててから、カルロは自分が得たカネとも栄誉とも一定の距離を取り続けていた。それはかつて彼が囚われていた心の檻から自由で居続けるために、彼が学んだことの表れであるのだろう。
そうして選ばれたこの部屋の住人達は、カネや名誉以上にくっきりとしたカルロの「現実」で、山と積み上げられたそれらはカルロの心を守る防御壁になる。とりわけ高く分厚い壁が築かれた一角で、その日ブレットはあるものを見つけた。
普段注意を払わないその一角に、目を向けたのは本当に偶然だった。トロフィの置き場を探していて、ブレットが不用意に動かした肘がボトルの一本を倒したのがきっかけだ。色とりどりの使用済みボトルの森に隠されるように、古ぼけた赤い缶が置かれていた。一見する限り、お菓子の缶のようだ。
倒したボトルを元の位置に戻した腕を、ブレットはお菓子の缶に伸ばす。林立するボトルを倒さないように、ブレットはそっと缶を持ち上げた。
軽い。
持ち上げた拍子に、中でカタカタと何かがかすかに音を立てた。両手で抱えた缶はやはり軽い。ブリキの缶はサイズ20センチ立法といったところか。真っ赤なデザインに、白文字でプリントされた銘をブレットは読み取る。
「ラッツァローニ……サローノ」
夏の空に浮かぶアンタレスのような、かつての彼の愛機のような赤いブリキの箱は傷だらけだ。蚤の市やゴミ捨て場から拾われてくるカルロのコレクションでは見慣れた姿なのに、なぜだかその赤いブリキ缶は浮かび上がるような存在感を持っている。
純然たるカルロの私物の蓋に、特に封はされていなかった。ブレットは迷わず蓋を開く。不思議とうしろめたさは感じなかった。
覗きこんでみると、中身のほとんど紙屑だ。ダイニングテーブルの上で缶をひっくり返し、中身をぶちまけた。転がり出た一枚一枚に、ブレットのブルーグレイが大きくなり、満月のように丸くなる。
名刺サイズの紙
(ずいぶん昔に使っていたブレットのナンバーとメールアドレスが、ブレットの筆跡で書かれている)
解きかけのクロスワードパズル
(ブレットが作った覚えのあるパズルに、カルロの筆跡で書き込みがある。systemのスペルが間違ったままだ)
ドイツ語でつづられた歌詞カード
(シュミット手書きのそれはいつカルロの手に渡ったのか)
ワシントン記念塔の半券
(スミソニアン博物館のついでに二人で寄った)
出てきたのはどれもこれもブレットとカルロの思い出にまつわる品だ。青い蝶の大群が一斉に飛び立つように、過去のあれこれがブレットの脳裏に想起される。ブレットは自然と、それらを時間を遡りながら並べ直していた。歌詞カードは9年前のドイツでの手術の時のもので、名刺サイズの紙とワシントン記念塔の半券はアメリカ大会の終盤、クロスワードパズルは同じ年の夏の頃だ。13年前、このパズルを解いたカルロはまだ12歳の誕生日を迎えていなかった。
一見してゴミくずのような思い出の断片を、カルロは後生大事に持ち続けていた。苦労して勝ち得たトロフィの扱いはぞんざいなのに。ブレットは久しく感じていなかった甘酸っぱさが胸にこみ上げ、頬が熱を持つ。
この部屋のモノはすべて、カルロの「現実」を構築し、カルロの心を守る「壁」となる。ラッツァローニの缶がその中にひっそりと混じっていたという事実も、ブレットをえもしれぬ感情を沸き立たせた。トロフィの置き場所に意味を見出さないカルロだからこそ、ラッツァローニの缶が「そこ」にあることは大きな意味を持つ。
ラッツァローニの缶の蓋は、何の引っかかりもなく開いた。きっとカルロが頻繁に開け閉めしていたのだ。簡単な推理に、ブレットは口の端がむずむずしてしょうがない。何かの折に覗き込みたいものだからこそ、銀行の貸金庫なんて選択肢はなかったわけで。だったら鍵のついたチェストにでもしまっておけばいいのに。そうしないカルロから、ブレットは目に見えない、耳にも聞こえないメッセージを感じ取る。
隠したいけど、見つけてほしい。
今日まで気づきもしなかったブレットに、カルロは何を感じていただろうか。忘れたポーズを貫いていたか、それとも一喜一憂していたか。見つかりそうで見つからない、はたまた見つからなそうで見つかる置き場所に、あれやこれやと頭を悩ませていただろうか。
さて気づいてしまったからにはどうしようかと、ブレットは家主のいない家の中を意味もなく見回してみたりする。そして手に持ったままの缶に再び視線を戻せば、内側のブリキの反射に違和感を覚えた。
「ん?」
缶の内側に、貼りつくようにして隠れていたものがある。指先でひっかけてひっぱりだしたそれに、今度こそ、ブレットの目は限界まで見開かれた。
色褪せた証明写真。
3枚つづりの小さな小さな写真の中に、幼いころの自分たちが写っている。
それはアメリカ大会で、初めて撮った二人のツーショットだ。二人きりで出かけた先で見かけた、何の変哲もない証明写真の機械にブレットが突然食いついた。
『俺たちも撮ろう、記念だ』
意味が解らない、何の記念だ、写真にいくらも払えるかと渋るカルロに、ブレットは一年前の思い出を語ってやった。
日本でのWGPの直後、帰国までの数日にチームで観光したこと、ブレットのリクエストで東京タワーに上ったこと、そこに設置してあったプリクラと呼ばれる写真シール生成機の中で、皆で押し合いへし合いしながら撮影したこと。そして調子に乗ったチームメイトが、ブレットのラップトップに無断で一枚貼り付けてしまったことも、あらいざらい全部彼に話して聞かせた。
『家に帰ったら、姉貴たちに見られて散々からかわれた。なに子どもみたいなことしてるんだって。俺は立派な12歳の子どもだって言うのにな』
あの頃のアメリカには、日本独特のプリクラ機はまだどこにも導入されていなかった。だからこれで我慢だと、ブレットは再度カルロの手を引く。
『6枚撮りにしよう。写真代は割り勘で、できた写真は3枚ずつ分け合えばいい』
『また姉さんたちに笑われるぜ?』
いいのか、と脚をつっぱって抵抗するカルロに、ブレットは「誰にも見せるもんか」と言いきった。眉をひそめるカルロに、ブレットは一度彼の手を放して、胸の前で何かを抱えるような仕草をする。
『宝箱にしまうんだ』
ブレットは、自分の両手の中にあるそれを想像する。20センチサイズの赤いオルゴール箱で、ふたを開けると「きらきら星」のメロディが流れるそれは姉のお下がりだったけれど、性別を感じさせないデザインをブレットはとても気に入っていた。そこに、カルロと撮った写真をしまっておくのだ。
『10年後とかに二人で見ようぜ。なあ、いいだろ、カルロ』
ねだるブレットに、カルロのつっぱっていた脚が写真機に向けて進みだす。カルロが小さくつぶやいた「10年後……」という声は、ブレットの耳にも届いていた。
「10年後……」
そして今、あの時のカルロと同じセリフを、ブレットは呟いていた。ブレットが予言した10年後から、すでに2年以上オーバーしてしまっている。
まさか、お前。
「待ってたのか」
13歳のブレットが、気安く口走ったあの約束の日を、彼は律儀に信じていたというのか。ブレットがこの赤い箱を見つける時を、ずっと待ちわびていたというのか。まるでブレットのオルゴール箱を模したような赤いカルロの宝箱は、カルロの望みを雄弁に物語る。
「いや、これはさすがに……、遠回しすぎるだろ……」
忘れてた俺が一番悪いんだが。
ぶつぶつと、ひとり言い訳とも反省ともつかないことに、ブレットは口をもごもごとさせる。それから胸の奥からとめどなく溢れる何かにこらえきれなくなって、写真と缶をテーブルに置いて、両手で顔を覆った。
ああ、もう、さっきから胸がきゅんきゅんしっぱなしだ。
今後の展開を予想するのは簡単だ。今日、ブレットがようやく暴いた秘密に、カルロは悪態をつき、拗ねるだろう。何で俺のものを勝手に開けるんだ、とかなんだと言って。
見つけてほしかったくせに。ずっと待っていたくせに。カルロのそんな複雑怪奇な心理にも、ブレットは「面倒くさいやつめ」と思うどころか、「何てかわいい奴なんだろう!」と抱き付いてキスの雨をふらしたくてたまらなくなるのだ。こういう彼の非常にリリカルな部分がもっと表に出れば、カルロはより多くの人から愛されるだろう。わかっていてもブレットは、恋人の極めて可愛い一面は自分さえ知っていればいいとエゴイズムを発揮させてしまう。
「ごめん、ごめんな、カルロ」
この場にいない、ステディに謝る。ブレットが手放しで謝罪するなど珍しいことだ。それほどまでに、カルロへの愛しさはとどまるところを知らなかった。
こんなお前の可愛さこそ、俺だけの宝物にしてしまいたい。
だから無断で缶の中身を見たことも、10年後という約束から2年以上も遅れてしまったことも、全部一緒に詫びてしまえばいい。カルロはきっと赦してくれる。ごめんのキスの一つや二つは、ねだられるかもしれないけれど望むところだ。
そんなことを考えながら、かなり色落ちした証明写真の幼い二人を撫でる。トロフィの陳列のことなどすっかり忘れて過去に浸っていれば、玄関の方から錠が開く音がした。続いて扉が開き、濃厚な人の気配が外の風に乗ってダイニングまで届いてくる。
カルロが、帰ってきた。
姿の見えない彼に、ブレットはダイニングから声を投げる。
「カルロ、おかえり。いない間に、面白いものが出てきたぞ」
「ああ? 勝手に人の部屋のモン触ってんじゃねえよ」
ここまでは予想通り。さて、彼をどうやって驚かそうか、とブレットはその秀でた頭脳を高速回転させた。
ラッツァローニのブリキ缶を抱えたまま、ブレットはカルロを迎えることにする。カルロの宝箱を片手に、後ろ手で13年前の証明写真を隠し持ってブレットはダイニングに顔を出すカルロを待ちわびた。荷物があるのか何なのか、カルロはなかなか姿を見せない。けれど、カルロがブレットに待たされた二年と数か月を思えば、何てことのない待ち時間だ。
カルロに恋する秘訣。それはカルロの幼さを抱きしめること、証明写真に残る12歳の彼を忘れないことだ。
昔のお前は尖ってて、けど最高にキュートだったぜ。そんな言葉を言い添えて、写真をつきつける瞬間までのカウントダウンを始める。玄関からダイニングの入り口まで約10ヤード……9、8、7……。ブレットのカウントダウンに合わせるように、カルロの足音が近づいてくる。
3、2、1……!
「ただい、ま……」
壁から現れたカルロの目が、それはそれは綺麗に丸くなった。
エターナルレッド
(写真なら、俺もまだ持ってるんだ)
++++++++++
Tanti Auguri a Carlo!
ブレットより一歳年下だから、RRなら31歳、無印なら30歳、WGP基準なら29歳ですか。
チョコレートナイフシリーズではブレット30歳なので、カルロ29歳です。下積み時代が長い我が家のカルロにとっては、人生これから!ってところですかね。イイ男になってくれますように^^
そんでもって、砂吐きそうなレベルでリリカルなうちのカルロ、略してリリカルロ。おえええ……!(砂吐)
カルロの貧乏性設定は、この小話を書きたいがために設定したと言っても過言ではあるまい……!
証明写真についての詳細は、別SSでフォローしたいと思います。あとプリクラの件は「答えは僕を待っている」にも加筆しますね。
チームで東京タワーにいった行は、アストロSSの「higher than the sun」とリンクしてますが、higher~自体はカルブレ時系列とは別のものだと思っているので、ちょっとしたお遊びだと大目に見てくださるとうれしいです。
東京タワーには成人してから一回しか訪れたことがないので、プリクラが置いてあるかは存じませぬ。ああいう観光地って、置いて有ることおおいし……たぶん? みたいな??
アメリカにも証明写真の自動機械あるよね? 「アメリ」のフランスにあったから、たぶんあるだろうと。
ラッツァローニはイタリア最古のビスケットメーカーで、お酒も造っているのかな?
赤いブリキ缶の描写にモデルがほしくて、「ブリキ缶、赤」とかで探したら出てきました。
実物は見てないので、サイズ感は私の推測です。実物見たいなあ~、ヴィンテージな雰囲気がいいっすねぇ。
カルロにとっては初めて食べた「お菓子」の味で、この世にこんなうまいものがあるのか、って感動した味だといい。大人になるとフツーのビスケットだって感じるのにね、それでも特別な味なんだろうね。そんな話も書きたいです。
あとね、あとね、ちゃんとブレットに「ただいま」って言えるようになったカルロというのもポイントだと思っておりますです、はい。
2015/08/07 サイト初出。
2015/08/07(金)
レツゴ:チョコレートナイフ(カルブレ)
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