「ただ君を愛してる」
※ブレット32歳、カルロ31歳、かな??
※とにかくカルブレ入籍後、ブレットは火星への二年間にわたる長期ミッションに出かけてしまいました。
※SFは不得意分野です……orz
※超短編
※タイトルは「21」さまより。
ただ君を愛してる
毎週土曜、グリニッジ標準で正午にさしかかる10分前に、カルロはラップトップの電源を入れる。インターネットソフトを立ち上げて、ブックマークの一番上にあるN△S△の特設ページへとアクセスした。
黄褐色の火星を背景に、ウィンドウいっぱいに動画の再生画面が表示される。いくつかの動画のサムネイルが並んでいるが、そのどれにもカルロはカーソルを合わせなかった。そのままネットワークの接続が正常なことを確認して、カルロはコーヒーを入れるために席を立つ。
6分後、マグカップを片手に戻ってきたカルロは、画面を覗きこむ。スクリーンセーバーよろしく、惑星やロケット、惑星基地に軌道エレベーター、宇宙開発の進捗を知らせるそれらを流し見て、通信状態に異常がないことを確かめて淹れたてのコーヒーをすすった。ここ数か月、繰り返してきた動作は時計に組み込まれた歯車のように正確にカルロを動かしている。
それから3分後、ようやくディスプレイに変化が訪れる。だがカルロは慌てない。N△S△やロシア、ヨーロッパの宇宙機関および協賛企業のコマーシャルが流れ切る間際まで、カルロはコーヒーの味と香りを堪能する。マグカップを傾ける左手の薬指には、プラチナのリングが光っていた。
そして正午ぴったり。切り替わった映像は一気に解像度を落したが、人類の技術の粋を集めたこの通信の、メインとなる人物の顔かたちを判別するには十分すぎるほどだ。
くすんだブロンドを撫でつけ、秀でた額をあらわにしたハンサムが、青灰色の瞳でこちらを見ている。小さな顎に鎮座する唇は、綺麗な笑顔の曲線を描いていた。
『地球の皆さん、こんにちは。ブレット・アスティアです。今日も、スペースシップ・アレスから皆さんを宇宙と科学の世界にご案内します』
地球から火星まで2億キロ以上の距離のバイアスが、ブレットの声を歪める。それでもカルロの愛しさをかきたてるには十分に彼の名残のある声が、ラップトップから途切れることなく響いていた。
去年、MotoGPチャンピオンと電撃入籍を果たした辣腕宇宙飛行士は、新婚生活もそこそこに、現在、人類最大のミッションコマンダーとして火星に向かうスペースシップの中にいる。カルロ最愛のカグヤ姫は、星を愛するあまり、とうとう故郷の月を飛び越えて火星にまでたどり着こうとしていた。
見えるのは一面の星屑ばかり、周囲で意志疎通できる相手はクルーと数分遅れで応答してくれる地上の管制塔だけ。無味乾燥ながら世界一緊張感のあるフライトに臨みつつ、ブレットはN△S△が用意したこの番組で、毎週この時間に子ども向けの科学実験をこなしていた。
子ども人気が高く、また子ども好きな本人の強い希望で企画されたこの番組は、簡単な前説に、メインの実験、それからメールによる質問コーナーで構成される準生放送番組だ。番組の肝である質問コーナーを成立させるため、また、ミッションそのものの成功率を高めるために、通信技術者たちは本来であれば「20分の遅れ」が常識とされていた地球―火星間の通信速度を10分の1まで短縮することに成功していた。
そこにどれほどの試行錯誤があったのか、ブレットは例によって例のごとく熱くカルロに語って聞かせてくれたけれど、カルロの理解度は例によって例のごとく半分にもたどり着いていない。
そこはさておいて、
『今日は火星の重力を学びましょう。火星の重力が地球の3分の1だということを知っている人も多いと思いますが――』
つまりブレットがこうして語っている一言一句は、彼の口から2分前に飛び出たものというのことだ。2分のタイムスリップが、彼との距離をカルロに感じさせる。
ブレットが扱う実験は、無重力状態で定番の水を浮かべるものから、地球上でも行える一般的な理科実験、さらにその実験結果と宇宙での結果を比較する対照実験まで多岐にわたった。この実験の多彩さを支えるのは、N△S△主導で開発されたシップ内の重力室で、5メートル四方の小さな部屋には、ボルゾイ氏によるMGストーンとは別種の重力操作技術が詰まっていた。こちらの研究にもブレットは一枚噛んでいて、もちろん、この技術開発に関する彼の熱弁にも、カルロは完全に置いてけぼりを喰らっている。
今も昔も、ブレットはカルロの理解が及ぶ及ばないに限らず、様々なことをカルロに教えてくれる。掛け算も怪しかったころから、カルロはブレットの声を介して世界に触れてきた。万有引力、作用反作用、慣性の法則……、ブレットが子どもたち向けに丁寧に解説するそれらはカルロにも懐かしい。
カルロは、画面の右上に表示された「リアルタイム視聴者数」を見やる。ひと目では桁もわからない途方もない数字に、カルロは、同じようにブレットの一挙手一投足に視線を注いでいる人々に思いを馳せた。彼の声を介して、未知の世界を知れる者たちは幸運だろう。
ブレットが慣れた調子で口や手を動かしている間にも、シップに搭載されたコンピュータのメールボックスには、番組を見ている世界中の子どもたちから質問メールが何万通と送られているはずだ。つい先日、この番組が「世界で最も視聴者の多い30分番組」としてギネス登録されたことは、番組内でブレットも触れ、地球からの応援に感謝を表明していた。
世界中に語りかけるブレットの姿に、一視聴者となったカルロは目を眇める。ミッションに支障がない限り、ブレットはこの番組に代役を立てない。カルロにとっても、週に一度は動いてしゃべる彼に会える貴重な30分だった。せっかく淹れたコーヒーをすすることも忘れて、カルロは画面に見入っていた。
恒例の質問コーナーまであと2分を切ったところで、カルロはスマートフォンでメールを打ち始める。パソコン操作に関しては、ブレットから再三にわたってブラインドタッチを覚えろと言われているが、未だに一本指打法から進歩していない。だがスマートフォンのタッチパネルなら、視線を画面に固定したままでもカルロの親指は淀みなく動く。
"気づいたらウィンクよこせよ。 CAS"
メールの到着時間と宇宙空間から送られる映像とのタイム差を測る。数分後、子どもたちの質問に答えるさなか、何気なさを装ってブレットがウィンクした。果てしない距離を超えて、カルロとブレットが繋がる。その決定的な瞬間を世界中に晒していることに、たまらなくなってカルロは肩を震わせて笑った。きっと番組が終われば、カルロの悪ふざけに勘付いたクルーたち(人は彼らをアストロレンジャーズと呼ぶ)に、ブレットはからかわれるか呆れられるかするのだろう。そんな想像をしながら、カルロはまたしてもスマートフォンに親指を滑らせた。
“受け取った。愛してる。 CAS”
何もこんな迂遠なことをしなくても、余暇時間のプライベート通信は赦されている。とはいえ挨拶を交わすだけでも片道2分、往復4分の誤差に耐えなければならないのだ。こんなふざけあいっこも、ミッション終了までの2年間、パートナーとの別離を強いられるカルロにとって寂しさを埋める貴重なやりとりなのだから、どうかN△S△には大目に見てもらいたい。
『我々は2日後、グリニッジ標準時の午前10時頃に火星への最接近を予定しています。通信状態が良好であれば、シップがマーズドームとドッキングする光景をお届けできるでしょう』
番組の終了にさしかかり、ブレットは世界中が固唾をのんで見守る一大事業を、テレビのスペシャルプログラムを紹介する程度の穏やかさで宣伝している。地球に向けて、にこやかに手を振るブレットの左手にはカルロの薬指と同じものが光っていた。
ブレットはまもなく、人類最長の旅の半分を終える。現地での活動期間も踏まえれば、再会の日は遠い。9年前に起きたような、彼の地球帰還を困難にする事故が祈らないことをカルロはただただ祈っている。そうして募る孤独を、ブレットが無事に還ってきたから「世界一の遠距離結婚カップル」としてギネス申請してみようかなんて、下らない想像で埋め合わせて耐えるのだ。
ひとりがデフォルトだったくせに、孤独への耐性はひと一倍だったくせに、弱くなってしまった自分をしかしカルロは憎めそうもない。
カルロは自分の唇に当てた指で、画面の中の彼にキスを贈る。液晶に触れた指を自分の唇に押し付けて、彼の体温を思い出した。
ただ君を愛してる
(わかってるよな、カグヤ姫)
++++++++++
CAS=Carlo Astaire Sereni(カルロ・アスティア・セレーニ)ってことです。
ブレットはBSA=Brett Sereni Astaireになります。
還ってきたら、マスコミの前で熱烈なおかえりキッスをしてあげるといいよカルロ。
2015/09/30 サイト初出
※とにかくカルブレ入籍後、ブレットは火星への二年間にわたる長期ミッションに出かけてしまいました。
※SFは不得意分野です……orz
※超短編
※タイトルは「21」さまより。
ただ君を愛してる
毎週土曜、グリニッジ標準で正午にさしかかる10分前に、カルロはラップトップの電源を入れる。インターネットソフトを立ち上げて、ブックマークの一番上にあるN△S△の特設ページへとアクセスした。
黄褐色の火星を背景に、ウィンドウいっぱいに動画の再生画面が表示される。いくつかの動画のサムネイルが並んでいるが、そのどれにもカルロはカーソルを合わせなかった。そのままネットワークの接続が正常なことを確認して、カルロはコーヒーを入れるために席を立つ。
6分後、マグカップを片手に戻ってきたカルロは、画面を覗きこむ。スクリーンセーバーよろしく、惑星やロケット、惑星基地に軌道エレベーター、宇宙開発の進捗を知らせるそれらを流し見て、通信状態に異常がないことを確かめて淹れたてのコーヒーをすすった。ここ数か月、繰り返してきた動作は時計に組み込まれた歯車のように正確にカルロを動かしている。
それから3分後、ようやくディスプレイに変化が訪れる。だがカルロは慌てない。N△S△やロシア、ヨーロッパの宇宙機関および協賛企業のコマーシャルが流れ切る間際まで、カルロはコーヒーの味と香りを堪能する。マグカップを傾ける左手の薬指には、プラチナのリングが光っていた。
そして正午ぴったり。切り替わった映像は一気に解像度を落したが、人類の技術の粋を集めたこの通信の、メインとなる人物の顔かたちを判別するには十分すぎるほどだ。
くすんだブロンドを撫でつけ、秀でた額をあらわにしたハンサムが、青灰色の瞳でこちらを見ている。小さな顎に鎮座する唇は、綺麗な笑顔の曲線を描いていた。
『地球の皆さん、こんにちは。ブレット・アスティアです。今日も、スペースシップ・アレスから皆さんを宇宙と科学の世界にご案内します』
地球から火星まで2億キロ以上の距離のバイアスが、ブレットの声を歪める。それでもカルロの愛しさをかきたてるには十分に彼の名残のある声が、ラップトップから途切れることなく響いていた。
去年、MotoGPチャンピオンと電撃入籍を果たした辣腕宇宙飛行士は、新婚生活もそこそこに、現在、人類最大のミッションコマンダーとして火星に向かうスペースシップの中にいる。カルロ最愛のカグヤ姫は、星を愛するあまり、とうとう故郷の月を飛び越えて火星にまでたどり着こうとしていた。
見えるのは一面の星屑ばかり、周囲で意志疎通できる相手はクルーと数分遅れで応答してくれる地上の管制塔だけ。無味乾燥ながら世界一緊張感のあるフライトに臨みつつ、ブレットはN△S△が用意したこの番組で、毎週この時間に子ども向けの科学実験をこなしていた。
子ども人気が高く、また子ども好きな本人の強い希望で企画されたこの番組は、簡単な前説に、メインの実験、それからメールによる質問コーナーで構成される準生放送番組だ。番組の肝である質問コーナーを成立させるため、また、ミッションそのものの成功率を高めるために、通信技術者たちは本来であれば「20分の遅れ」が常識とされていた地球―火星間の通信速度を10分の1まで短縮することに成功していた。
そこにどれほどの試行錯誤があったのか、ブレットは例によって例のごとく熱くカルロに語って聞かせてくれたけれど、カルロの理解度は例によって例のごとく半分にもたどり着いていない。
そこはさておいて、
『今日は火星の重力を学びましょう。火星の重力が地球の3分の1だということを知っている人も多いと思いますが――』
つまりブレットがこうして語っている一言一句は、彼の口から2分前に飛び出たものというのことだ。2分のタイムスリップが、彼との距離をカルロに感じさせる。
ブレットが扱う実験は、無重力状態で定番の水を浮かべるものから、地球上でも行える一般的な理科実験、さらにその実験結果と宇宙での結果を比較する対照実験まで多岐にわたった。この実験の多彩さを支えるのは、N△S△主導で開発されたシップ内の重力室で、5メートル四方の小さな部屋には、ボルゾイ氏によるMGストーンとは別種の重力操作技術が詰まっていた。こちらの研究にもブレットは一枚噛んでいて、もちろん、この技術開発に関する彼の熱弁にも、カルロは完全に置いてけぼりを喰らっている。
今も昔も、ブレットはカルロの理解が及ぶ及ばないに限らず、様々なことをカルロに教えてくれる。掛け算も怪しかったころから、カルロはブレットの声を介して世界に触れてきた。万有引力、作用反作用、慣性の法則……、ブレットが子どもたち向けに丁寧に解説するそれらはカルロにも懐かしい。
カルロは、画面の右上に表示された「リアルタイム視聴者数」を見やる。ひと目では桁もわからない途方もない数字に、カルロは、同じようにブレットの一挙手一投足に視線を注いでいる人々に思いを馳せた。彼の声を介して、未知の世界を知れる者たちは幸運だろう。
ブレットが慣れた調子で口や手を動かしている間にも、シップに搭載されたコンピュータのメールボックスには、番組を見ている世界中の子どもたちから質問メールが何万通と送られているはずだ。つい先日、この番組が「世界で最も視聴者の多い30分番組」としてギネス登録されたことは、番組内でブレットも触れ、地球からの応援に感謝を表明していた。
世界中に語りかけるブレットの姿に、一視聴者となったカルロは目を眇める。ミッションに支障がない限り、ブレットはこの番組に代役を立てない。カルロにとっても、週に一度は動いてしゃべる彼に会える貴重な30分だった。せっかく淹れたコーヒーをすすることも忘れて、カルロは画面に見入っていた。
恒例の質問コーナーまであと2分を切ったところで、カルロはスマートフォンでメールを打ち始める。パソコン操作に関しては、ブレットから再三にわたってブラインドタッチを覚えろと言われているが、未だに一本指打法から進歩していない。だがスマートフォンのタッチパネルなら、視線を画面に固定したままでもカルロの親指は淀みなく動く。
"気づいたらウィンクよこせよ。 CAS"
メールの到着時間と宇宙空間から送られる映像とのタイム差を測る。数分後、子どもたちの質問に答えるさなか、何気なさを装ってブレットがウィンクした。果てしない距離を超えて、カルロとブレットが繋がる。その決定的な瞬間を世界中に晒していることに、たまらなくなってカルロは肩を震わせて笑った。きっと番組が終われば、カルロの悪ふざけに勘付いたクルーたち(人は彼らをアストロレンジャーズと呼ぶ)に、ブレットはからかわれるか呆れられるかするのだろう。そんな想像をしながら、カルロはまたしてもスマートフォンに親指を滑らせた。
“受け取った。愛してる。 CAS”
何もこんな迂遠なことをしなくても、余暇時間のプライベート通信は赦されている。とはいえ挨拶を交わすだけでも片道2分、往復4分の誤差に耐えなければならないのだ。こんなふざけあいっこも、ミッション終了までの2年間、パートナーとの別離を強いられるカルロにとって寂しさを埋める貴重なやりとりなのだから、どうかN△S△には大目に見てもらいたい。
『我々は2日後、グリニッジ標準時の午前10時頃に火星への最接近を予定しています。通信状態が良好であれば、シップがマーズドームとドッキングする光景をお届けできるでしょう』
番組の終了にさしかかり、ブレットは世界中が固唾をのんで見守る一大事業を、テレビのスペシャルプログラムを紹介する程度の穏やかさで宣伝している。地球に向けて、にこやかに手を振るブレットの左手にはカルロの薬指と同じものが光っていた。
ブレットはまもなく、人類最長の旅の半分を終える。現地での活動期間も踏まえれば、再会の日は遠い。9年前に起きたような、彼の地球帰還を困難にする事故が祈らないことをカルロはただただ祈っている。そうして募る孤独を、ブレットが無事に還ってきたから「世界一の遠距離結婚カップル」としてギネス申請してみようかなんて、下らない想像で埋め合わせて耐えるのだ。
ひとりがデフォルトだったくせに、孤独への耐性はひと一倍だったくせに、弱くなってしまった自分をしかしカルロは憎めそうもない。
カルロは自分の唇に当てた指で、画面の中の彼にキスを贈る。液晶に触れた指を自分の唇に押し付けて、彼の体温を思い出した。
ただ君を愛してる
(わかってるよな、カグヤ姫)
++++++++++
CAS=Carlo Astaire Sereni(カルロ・アスティア・セレーニ)ってことです。
ブレットはBSA=Brett Sereni Astaireになります。
還ってきたら、マスコミの前で熱烈なおかえりキッスをしてあげるといいよカルロ。
2015/09/30 サイト初出
2015/09/30(水)
レツゴ:チョコレートナイフ(カルブレ)
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