※カルロ28歳、ブレット29歳
※ブレットの両親がオリキャラとして登場
※連載「ステラ事件」の終盤「飢える世界」(後編)、ブレットアンソロ寄稿作品「Baby,baby,so cute!」、「エターナルレッド」とうっすらとリンク。
※タイトルは「21」さまより





 暴君王子のおっしゃることには!




 姿見の脇で、カルロに送られるブレットの視線は憐れみに満ちていた。
「お前って奴は、心底ネクタイが似合わないな」
 軍隊の制服を除けば、カルロがネクタイを締めたのは士官学校時代にパーティに誘われた時が最後だった。13年は昔の話だが、あのころからカルロはネクタイと相性が悪かった。
「ああくそっ、今更だろ」
 結び目を乱暴に緩め、どうすりゃいいとカルロは頭を抱える。その肩を優しく撫で、ブレットの手が乱れたネクタイに伸びた。しゅるりと首の後ろを滑り、抜き取ったタイをブレットはクイーンサイズのベッドに放り捨てる。代わりに、どこから取り出したか、臙脂色のスカーフでカルロの首を絡め取った。
「こういう時はスカーフ作戦でいこうぜ、カーリーちゃん。何も大統領にお目見えするわけじゃないんだ、これで十分さ」
「俺に取っちゃ、お前の親は大統領よりVIPだよ」
 嫌われ者は覚悟の上だが、それでも今日の相手はブレットの両親。となれば、可能な限り好印象を持たせたい。少しでも自分の評価を上げる方法はないかとカルロは必死だ。そんな「らしくない」カルロに、ブレットは左の目に下に触れるだけのキスを落した。カルロを安心させる、彼とっておきの魔法だ。
 このあとすぐ、カルロはブレット共に彼の実家に赴く。カルロがただの友人に収まらないことは、ブレットの口から彼の両親へすでにカムアウト済みだ。だからこそ、戦意満々で待ち受ける敵陣に、丸腰で乗り込む恐怖にカルロは飲まれている。
「玄関開けたら、オヤジさんに即ズドンとか」
 コミックめいた想像も、お国柄だけにありえそうなのが恐ろしい。身支度を整えるだけでやつれているカルロに、ブレットは何て事のない表情で応えた。
「そういうことをするとしたら母だな。命が惜しかったら、母が出したものはたとえ水でも口にするなよ」
 ブレットの母親は、彼を身籠るまでは腕利きの内科医だった。元女医の毒殺に警戒しろという、妙にリアリティのある忠告にカルロはますます青ざめる。
「冗談だ」
「タチが悪すぎんぞ、てめぇ!」
 リラックス効果など微塵もないブレットの軽口に、カルロの額に青筋が立つ。
 そもそも、カルロはブレットの両親へのカムアウトに乗り気ではなかった。今日までの二人の関係にカルロは何の不満もなかったし、二人の仲を理解してくれる人間がまるでいないというわけもない。ブレットにしても、愛する両親にステディやセクシャリティを秘匿し続けるうしろめたさはあったろうが、どうしても告白しなければいけない状況でもなかったのだ。
 アスティア家の家長と妻は、子どもたちにはおおむね放任主義を取っている。彼の二人の姉たちはすでにそれぞれの家庭を持ち、孫の顔も見せていた。末っ子長男にかかるプレッシャーは、ほぼないと言って良い。
 それでもブレットは決断した。主な理由に、彼はカルロの仕事を上げている。カルロは現在、ロードレースの最高峰MotoGPの下位クラス、Moto2でメインレーサーとして三国コンツェルンの名を背負っている。今年のグランプリでは見事優勝を果たし、来季からは最高クラスMotoGPへの昇格を決めていた。
 4年前、24歳でスーパーバイク選手権でデビューを飾ったカルロは、ロードレーサーとしてはかなり遅咲きの部類に入る。それでもMoto3、Moto2をそれぞれ2年で制した活躍ぶりは一級もの。おかげでMotoGPクラス外の選手としては、マスコミでも破格の待遇を受けている。GPレーサーに名を連ねることになれば、知名度もますます高くなることが予想できた。
「来季には、お前にまとわりつくパパラッチの数も桁違いになる。ゴシップ誌に俺たちのことがすっぱ抜かれるのも時間の問題だ。エッジたちにカムアウトした時のヘマはもうしたくない」
 ちょうど10年前だ、カルロとブレットの関係がかつてアストロレンジャーズと呼ばれていた4人に知られることになったのは。ブレットがカムアウトしようとした矢先に、偶然二人が写った写真を彼らの目に晒してしまったのが騒動の始まりだった。言い逃れしようのない写真に、赤毛が目に痛い二番手と黙っていれば美人な紅一点が、とりわけ血相を欠いてブレットに問いただした。あの事件には、最終的には大西洋を隔てたカルロまで巻き込まれている。
 あんな愁嘆場は二度とごめんだ。ブレットはそう主張する。
「東洋の兵法家も『先んずれば人を制する』と言っている」
「意味わかんねえ」
「先手必勝ってことさ」
 結局この理屈にカルロが折れ(理詰めの議論でブレットに勝てた試しがない)、今回の実家訪問の運びとなる。
「大丈夫だ、きっとうまくいく」
 初対面でいきなり関係を暴露するのではなく、あらかじめ説明済みなところが段取り好きなブレットらしい。事情を知った上でカルロの訪問を拒まないあたり、ブレットの両親側にもカルロにまず会ってみよう、そしてその話に耳を貸そうという意志があるのが見えた。それだけでも、カルロの心臓の負担は随分と軽くなる。すでに高齢にさしかかった、ブレットの両親にとっても心臓事情は同じだろう。
 ビビっているのはお互い様。五分と五分のにらみ合いなら、先手必勝は一理ある。そして人より先の手を打ちたいのなら、危険をかえりみてはいけない。だから、こちらから乗り込むのだ。
 そう考えると少しは緊張もほぐれてきた。そんなカルロを前に、仕掛け人であるブレットは暢気にスマートフォンを掲げている。カルロのスーツ姿を面白がって、しきりにシャッターを切ってはカメラに収めている。
「こっち向いて笑えよ、カルロ」
「この状況でできるか」
「しかめっ面も、渋くていい」
 今日に限らず、ブレットは何かにつけてカルロの写真を撮りたがる。家なし子だったカルロが、幼いころの写真を持たないせいだ。今のカルロを残すことで、ブレットは知ることのできないカルロの過去を埋め合わせようとしている。
 スマートフォンやデジタルカメラを構えるブレットを見る度に、カルロは、初めて二人で撮った写真のことを思い出す。なんと16年も前の話だから笑えてくる。彼と共に過ごした時間の長さが、人生の半分をとっくに越えてしまったことに感動を隠せない。
 二人が出会うきっかけとなった、ミニ四駆世界グランプリ。アメリカで開かれた第二回大会でのこと、街中に置かれていた証明写真の機械を前に、ブレットが写真を撮ろうと言いだした。




 『日本のプリクラ代わりだ』
 プリクラの方をカルロは知らなかったけれど、この時もブレットのおねだりにカルロが負けた格好で従った。
『もっと笑えよ』
『無茶言うな』
 狭いボックスで肩を寄せ合う緊張に、表情がこわばるカルロをブレットはからかった。触れ合うだけでやましい熱を抱え込んでいたカルロと違って、はしゃぐブレットはとにかく二人の記念の品を作れることが嬉しくてたまらないようだった。屈託のない彼に八つ当たりのような悔しさを感じて、最後のワンショットにカルロは行動に出る。
 愛想のない音声アナウンスがシャッターの合図を出す直前に、カルロはブレットの襟首を掴んで振り向かせた。そしてフラッシュが瞬く中で、いつも欲しくてたまらない唇にキスをする。
『せっかくなら、これくらいしようぜ』
 どうせ誰にも見せないんだろ、と笑ってやれば、先ほどまでの余裕が嘘のようにブレットは顔を赤くした。茹でたタコみたいになりながら、一種類しか印刷できないサンプルの中でキスのやつを選んだということはまんざらではなかったのだ。外の取り出し口から写真が吐き出されるまで、誰かに見咎められないかとそわそわしっぱなしだったブレットを、カルロは心から愛しいと感じた。
 それから16年、ブレットが折々にとった写真は膨大な数に上っていて、彼はまめに眺めては楽しそうに整理している。写真のカルロに笑顔が増えたと、彼は些細なことを大げさに喜ぶのだ。
 あの初めての証明写真を、カルロは今も持っている。かなり色褪せてしまったけれど、数年前、ブレットも同じものを見せてくれた。
「念のためスキャンしておこう。専用ソフトで修復も出来るはずだ」
 プリントアウトされた写真は、どうしたって色落ちや劣化から逃れられない。そこに過ぎた年月を感じるのは、デジタルでは味わえない感覚だ。カルロは、目の前に飾られたアスティア家のスナップ写真にも、同じ月日の流れを感じていた。
 2階の廊下にある飾り棚に、小さな写真立てがひしめき合っている。その大半には、カルロの記憶の限界よりさらに幼いブレットの姿があった。
 犬とじゃれあっているブレット。海辺で水着姿になっているブレット。家族に囲まれて、ケーキを前に笑っているブレット。どれもこれも、愛されてきたブレットの姿ばかりだ。
「私の息子はかわいいだろう」
 背後に寄り添う気配に、しかしカルロは驚きも振り向きもしない。ブレットの父が発した親ばかなセリフに、カルロは素直に頷いた。
「悔しいが異議なしだ、ちくしょう」
 粗暴な言葉遣いを隠さないカルロに、ブレットの父親がかすかに笑う。つい数分前まで、カルロはかの人と共に彼の書斎にいた。
 過度の緊張でほとんど味のしない食事を終えて、カルロはブレットの両親に書斎のある2階へと招かれた。父親は息子には1階のリビングに留まるように言いつける。両親の後に続いて階段を上るカルロを、ブレットは最後まで不安そうな表情で見送っていた。
 ソファに腰を落ち着けたカルロは、誰に促されるでもなく口を開き、パートナーの両親を前に、胸の内にあるものを洗いざらい白状した。自分の育ちも、ブレットとの出会いも、今日まで時には彼と共に、時には別々に歩んできた日々のことも。自分を愛してくれる両親、広くて清潔な家に、あたたかな食事風景。ブレットが持つありとあらゆるものに、カルロはコンプレックスを抱え、だからこそ今の自分があることも全てだ。
 慣れない自分語りに熱が入りすぎて、言葉遣いも二の次になっていく。けれど、夫妻はとがめることなく、じっとカルロの話に耳を傾けていた。
「外野にわかってもらおうなんて虫のいいことは考えねぇ、ブレットの気持ちが変わらねぇんなら俺はそれでいい。俺にあるのはこの体ひとつで、とっくの昔にブレットにやった。だから他の奴らなんざ知るか。理解も祝福もクソくらえだ」
 かつて同じセリフを、カルロはブレットに告げた。10年前に二人の仲を、カルロの誠意を問いただされた時、カルロはアストロレンジャーズにではなく、ブレット自身に向けてそう答えた。
「俺には、あいつさえいれば良い。ずっとそう、思ってた。その気持ちは、変わらねえって」
 だからカムアウトなど端から望んでいなかったのだ。
 けれど、アストロレンジャーズへの告白をきっかけに、少しずつ、慎重に、カルロとブレットは二人の関係を周囲に知らせていくようになった。ブレットにとっては懐かしい友人たち、そしてカルロにとってはあまり思い出したくない過去の旧知たちが、二人を受け入れていく光景を目の当たりにするにつれて、カルロの考えが変化を起こしていく。
「あいつは、欲張りな奴だ。望めば、何だって手に入ると思ってやがる」
 ブレットには、カルロと違って大切なものがたくさんある。わが身ひとつ、それもブレットにくれてやったと嘯けるカルロとは違うのだ。多くのものを愛し、大切にし、また彼自身も多くから愛され慈しまれる。そんな眩しい彼にカルロは惹かれた。
 その愛すべき人が、彼を彼たらしめる大切なものを、自分のせいで失うとすればそれは大きな誤りだ。誤りは、正さなければいけない。かつての自分が、ブレットによって生き方を正されたように。
「だから、ここに来ました」
 向き合うべきだと思ったのだ。彼に、彼にとって大切な人たちを欺かせ続けることより、「大丈夫だ、きっとうまくいく」という彼の言葉を信じたかった。
「俺は、あいつといる未来が欲しい。それだけです」
 カルロが欲しい、とブレットは言う。けれどその願いは、カルロのそれよりも多くのものを望んでいて、カルロの変化を後押しする。ただ彼がいればいい、ただ自分と共にあればいい、それだけでは駄目なのだとカルロはブレットの強欲を引き受ける覚悟をした。
「それだけ、です……」
 長い、長い告白だった。腹の底に押し込んできたものをすべて掃き出し、口の中は緊張と不安でカラカラに乾いていた。心は晴れ晴れとしていたけれど、カルロの自分本位な想いをぶつけられた相手の反応が気にかかる。
 成すべきことを成し、あとは最後の審判を待つばかりのカルロに、ブレットの父が口を開く。
「妻のおじいさまに、結婚の赦しを求めに行った自分を思い出した」
 カルロが顔を上げると当時に、彼の妻が頷くのが見えた。二人はまるで懐かしい過去を眺めるかのような目で、愛息のパートナーを見つめている。優しい2対の眼差しが、ブレットとカルロの恋に対するアスティア夫妻の答えだった。
 書斎を辞したカルロを追いかけてきたのか、単にリビングに降りようと言うのか、廊下の途中で立ち尽くすカルロにブレットの父は我が子を「かわいいだろう」と自慢した。同意するカルロの脇から、彼は写真立てのひとつを取り上げる。ひっくり返した裏面の留め金を外すと、中身を抜き出してカルロに差し出した。
「いかがかな」
「遠慮なく」
 受け取ったそれはやはり少し色褪せていて、どこかの農場の柵によりかかっている幼いブレットが写っていた。7、8歳くらいか、父親のものと思われる大きなテンガロンハットをかぶって、こちらに微笑みかけている。世界に愛されていることを疑う様子もない、パーフェクトな笑顔だった。
「あの子の欠点は、自分で何でもできると思っているところだ。実際に、できてしまうからなおのこと危うい」
「知ってます」
 その溢れる才能に、いつかブレット自身が損なわれることを、この懐の深い人は気に病んでいた。
 息子の恋人としてカルロを受け入れた父親は、自身の妻に席を外すように言った。男二人だけになった書斎で、ブレットの父親は昔話を始める。
「君と初めて会ったのは、16年前かな」
 正確な記憶にカルロは頷く。ワシントンD.C.で開かれたファイナル直前のエキシビジョンマッチの会場で、アストロレンジャーズの控室を探すブレットの父親に、カルロは声をかけられた。
「あれ以降も、君を気に掛ける機会があってね」
 ある年の新年を祝うパーティに、ブレットがN△S△の知己をこの家に招いた。当然アストロレンジャーズの面々も揃っていて、酒の入った勢いに誰かがブレットの父親に詰め寄ったのだそうだ。あなたの愛息が、悪い男と付き合っていると。
「その時、君の名が出た。だが酒の席だ。私も聞き流していたよ。けれど、数日たってから妙に気になり始めた。そして思い出した。あの、16年前の少年と同じ名前だと」
 16年前、カルロはブレットの父親にブレットとの諍いについて謝罪している。ブレットがカルロと喧嘩をした、結果ブレットの顔に小さな傷がついた。カルロのした告白に、ブレットの父親は目を丸くしたのだ。我が子を傷つけられた怒りではない。喧嘩相手どころか、親しい友人すら数えるほどしかいなかった息子が、他の誰とも違う付き合い方をする相手ができたことに、そしてその稀有なる少年に対する、歓喜に近い驚きだった。
 その少年が、数年後、再び息子の人生に顔を出した。
「だから調べさせてもらった、君のことを」
 すまないことをしたと、ブレットの父親は目を伏せた。眉間によるわずかな皺に、この人がカルロの厳しい生い立ちを、16年前にあの場所にたどり着くまでに手を染めてきた数々の悪行を知ってしまったのだとわかって、カルロの肩が落ちる。隠しきることはできない、いつまでもいつまでも付きまとう過去、ブレットにすら打ち明けなかった自分の影を、彼の父親に暴かれてしまったことが苦しかった。
「気休めになるかはわからないが、妻は何も知らない」
 全ては自分ひとりの胸の内におさめたと、ブレットの父親は胸に手を置いてカルロを慰める。それからゆっくりと、伏せていた瞼を上げてカルロを見つめた。
「よく、ここまで……」
 たどり着いた。皆まで口にすることなく、ブレットの父親はカルロの今を讃える。照れくさいような、恥じ入りたいような気持ちになって、カルロは小さく笑った。
 そうだ、目の前のこの大きな人も、カルロと似たり寄ったりの苦労を経てここにいるのだった。そのことに思い至れば、尋ねてみたくてしかたがないことがある。
「車上荒らしくらいは経験が?」
「エンストさせるなら任せたまえ」
 二人は同時に笑いだす。それからは、まさかの軽犯罪談義に花を咲かせた。
「お互い、パートナーには聞かせらないな」
 ブレットの母親もブレット当人も、信号無視以外の犯罪とは無縁に生きてきただろう。そんな彼らの前で、善き夫、善き父の役目を果たし続けてきた人は、息子が連れてきた同胞を前にようやく重荷を下ろしたような安らいだ表情を見せる。同時に、カルロに、カルロの身の上を真に理解する人間がここにいるのだと、訴えてくる。
「あの子を頼むよ」
 書斎で告げられたものと同じセリフを、カルロは幼いブレットの写真を手にもう一度耳にする。小さく一つ頷いて、託された写真と責任をスーツの内ポケットにしまいこんだ。




 2階と1階を繋ぐ階段を降りてすぐの玄関ホールで、カルロを待っていたのはブレットだった。
「お疲れさま」
 一仕事終えたパートナーを労うブレットに、カルロも寄り添う。ブレットの傍らにあるグランドピアノには、上の廊下でカルロが眺めていたものとは違う写真が飾られていた。2匹の犬を含めた、アスティア家の集合写真、若かりし夫婦のツーショット、ブレットの姉たちの夫と子どもたち。そして、アメリカ国旗とN△S△のエンブレムと共に写るブレット。
 アスティア家の絆を物語るそれぞれを眺めていたカルロは、ある一つの写真立てに目を留め、息をのんだ。
「ママがさっき置いていった。何事も形からだそうだ」
 真新しいシルバーのフォトスタンドに、ブレットと、そしてカルロのツーショットが収められている。写真の出所を問う必要はなかった。
「どう、説得したんだよ」
「父をか?」
「マンマの方だよ。一番ビビってたろ」
 二人が想いを通い合わせてから16年、果断なブレットがここまでの長きにわたってカムアウトを引き延ばしてきたのは、愛情深く敬虔な母親の反応を読み切れなかったからだ。
「俺のママは、俺が本気でねだったものをくれなかったことがない。それを思い出した」
 アスティア家の母は我が子に甘いが、末っ子長男にはとりわけ甘い。父が焼きもちをやくほどだとブレットは得意げに笑う。
「お前が欲しいって言った。くれなきゃ、今後母の日にメッセージカードは贈らないって。そうしたらあっさりオーケーさ」
「俺はグリーディングカードと等価かよ」
「ママには重大事なんだ」
 顔を見合わせて、二人は同時に笑いだした。一世一代の大仕事を無事にやり遂げた安堵感が、ブレットの笑顔と共にカルロを包んでいく。カルロがブレットの肩に腕を回し、ブレットの腕がカルロの腰に触れた。笑いが引いて沈黙が下りても、自分が場違いのような感覚は生まれてこない。
「それで、どうするよ。その……」
 パートナーの両親への挨拶は済んだ。続くステップとして「結婚」「入籍」の2文字がどうしても言い出せない。
 カルロに関してはピカイチの察しの良さを誇るブレットが、ああ、と話題の転換に気づいた。
「日取りはさておき、だいたいの時期については決めてある。母に話しておいたから、今頃父の耳にも入ってるんじゃないか」
「……は?」
 話が見えなくて、カルロは眉をひそめる。すると、ブレットはこともなげにこう返した。
「お前がグランプリチャンプになったら、結婚しよう。そうだな、期限は三年以内でどうだ。Moto3とMoto2はそれぞれ二年で制してるから妥当なところだろう。その頃にはお前も30を過ぎてる、年貢の納め時にはいいんじゃないか」
 次々と話を決めてしまうブレットに、カルロは待て待てと制止の声を上げる。
「なんでそうなる」
 MotoGP制覇はもちろんカルロの目指すべき目標だが、それと二人の将来はまた別の問題だ。説明を求めるカルロに、ブレットはその形の良い人差し指を立てた。
「クールに今の俺の社会的立場を考えろよ。同性結婚なんてワールドワイドでネタにされる。相手がグランプリチャンプでもなきゃ格好がつかないじゃないか」
 要は俺が恥をかくから、結婚したけりゃもっと出世しろと言うことか。確かに世界中どこを探したって、ブレットと肩を並べるほどの実績と人気を持った現役宇宙飛行士はいない。とはいえ、その隣の席につくためには、最速ロードレーサーの称号くらい掲げていなければ困るというのは、一体どういう料簡なのか。
「どんだけ自己評価高ぇんだよ、てめえは」
「なんだ、できないのか?」
 微笑む姿は挑発的で、育ちの良いブレットの、自分の悪影響を受けたところが丸出しだ。そんな表情こそ愛しいカルロは、うっかり闘争心を煽られる。
 カルロがロードレースに転向すると言いだした時には、散々危険だなんだと騒いだくせに、今となってはもっともっと上に行け、一刻も早くトップに上り詰めろとせっついてくる。もちろん、カルロにその力があると見越した上での、喝入れだ。十分な勝算があると踏んだ上で仕掛けられたギャンブルは、それ自体がブレットからの自信に満ちた大胆な求愛行為に他ならない。
「3年ね……」
「あまり待たせてくれるなよ。それから、プロポーズはお前からしてくれないと嫌だからな」
 そう言ってブレットは、激励も兼ねてカルロの目元にキスを落す。かつて稲妻マークが描かれていた場所に、大人になってからもキスをするのがブレットの癖だ。想いを通じあわせるまでの間、ブレットが見つめてきた、刺々しくハングリーなカルロを忘れないというメッセージに、カルロはどうしようもないくすぐったさに肩をすくませる。
 軽口をたたき合いながら二人は肩を寄せ合い、互いに回した腕の力を強める。仲睦まじい姿をアスティア夫妻が、少し離れた場所から見守っていた。




 暴君王子のおっしゃることには!
 (お前を引き受ける、覚悟をした)





++++++++++
カルブレ「息子さんを僕にください」物語。
我が家のブレットは「姫」ですが「暴君王子」というフレーズが気に入ったので、このまま。

2016/4/28

2016/04/28(木) レツゴ:チョコレートナイフ(カルブレ)
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