【必読!!】
※カルロ12歳、ブレット13歳、WGP2inアメリカ
※「断罪のマリア」(前後編)「最善の悪意」(前後編)「天才は無知であるという前提」(前篇)を踏まえてお読みください。
※タイトルは「21」さまより。
シュミットの部屋から、目指したのは屋上だった。一階から休むことなく駆け上がる。その先にカルロがいると、ブレットは信じていた。
天才は無知であるという前提
「ビンゴ……!」
夢中で駆けあがった欧州寮の屋上に、座り込んだ小さなカルロの姿を見つけてブレットは呟く。謹慎中のカルロが寮外に出る可能性は除外していたが、自室よりこちらだと踏んだ自分の勘の良さにブレットは歓喜した。
肩で息をするブレットの、気配を察したカルロがこちらをふり返る。一週間ぶりに見る彼の顔は相変わらず端正で、しかしそこに今までとは違う魅力を感じてブレットの心拍数が跳ねあがった。6階分の階段をのぼったばかりの呼吸とは別に、ブレットは募る恋しさに息を飲む。
カルロ、カルロ……!
出ていたはずの、声が出ない。ブレットの姿をおさめたカルロの青い目が見開かれ、その濃い色合いにすらブレットの胸はときめき、高山病にでもかかったかのようにますます息が苦しくなる。ソルトレイクシティは海抜高度4000フィートの高地にあるが、ブレットの呼吸とは無関係だ。
カルロの顔は、どこか寂しそうだった。西から差し込む斜陽さえ寒々しいこの場所で、転落防止用のフェンスの足元でうずくまっているせいかもしれない。オレンジ色の光に染まる銀髪ごとカルロが融けてしまいそうで、焦燥感がブレットの喉を突いて声となった。
「カ、ルロ……」
名を紡ぐだけで、涙腺が痺れる。カルロの唇が動き、「ボウヤ」とかたどるのを目の当たりにしてしまえば、一層胸が痛んだ。
サンフランシスコにいた頃、カルロから「本当はステラに気があったんじゃないか」と尋ねられたことがある。わからないとブレットがとぼけると、レース以外には何事にも淡白な彼が珍しく食い下がってきた。ブレットが自慢の手製のクロスワードパズル、そのニックネームは「STELLA」。イタリア語で「星」を意味する名前に、「STELLA」はステラのことじゃないのかと聞かれて、奇妙な偶然に初めて気づいたブレットは瞠目した。この反応にカルロは腑に落ちないと仏頂面を見せ、ブレットも気の利いた弁解をしてやることが出来なかった。
けれど今なら、カルロの疑問に答えてやれる。ステラに、ブレットがこうしてカルロに抱いているような動悸や、泣き出しそうな衝動を感じたことは一度もない。他の誰にもない。たかだか一週間ぶりの再会に、舌がもつれ、呼吸もままならないほどのときめきに胸を締め付けられたことなどなかった。
カルロだけだ。
カルロが、ブレットの初めてだ。
そのカルロが、屋上の片隅で小さくなったままこちらを見ている。ブレットは深呼吸をした。背筋を整え、屋上に足を踏み入れる。アームストロング船長の「偉大な一歩」にも等しい一歩だ。踏み出すには、決意と勇気がいった。だが、一度踏み出してしまえばあとは歩き続けるだけだ。近づいていくブレットに、カルロはふいと顔をそむける。拒むような態度に胸がチクリと痛んだけれど、その場から逃げ出すそぶりのないカルロにブレットは足を速めた。
「天体図鑑、直ったぞ」
しゃがんだままのカルロの前で、ブレットは立ち止まる。最初に何を言うべきか、迷った末にブレットはこう言った。手にはエーリッヒから返されたばかりの本を掲げて。
カルロのしたこと、ブレットが被ったこと、それらが二人の間のしこりとならないようにするには、一番わかりやすい方法だと考えた。膝を折り、カルロの視線の高さまでしゃがみこんで、ブレットは改めて図鑑を見せる。
「エーリッヒとユーリががんばってくれた。独露合作だ、すごいだろ」
「……何か怖えよ」
ようやく声を発したカルロは、口角をわずかに上げる。そうして、ブレットが持つ図鑑におずおずと腕を伸ばした。その手に、あの日のナイフは握られていない。カルロの白くて細い指先が、ハードカバーの傷跡を這った。
「残っちまったな」
サファイアの瞳が、後悔に揺れる。
「顔のほうはきれいさっぱりだ」
ブレットの返答に、カルロの青い目が図鑑からブレットの顔に移る。一週間前、ナイフの刃先が掠めたあたりをカルロの視線が何度も往復しているのがわかった。
「刃先が鋭かったおかげだ」
「これでもかってくらい、研いでたからな」
カルロの自白は、あの凶行が衝動的なものではなく、ずっと以前から計画されていたことだと認めている。ブレットの目元に緊張が走る。
「あれは……」
本題に入ろうとすれば、自然と声が固くなる。それでも、シュミットが導いてくれた答えから、今度こそ目を背けるわけにはいかなかった。
「ロッソのオーナーに言われてのことか」
滑稽なほど、あからさまにカルロの目が泳ぐ。猫かぶりが上手く、必要とあれば心にもないことをいくらでも取り繕えるカルロには珍しいことだ。それだけ、ブレットの質問は核心をついている。カルロにも一歩踏み出す勇気を持ってほしくて、ブレットは天体図鑑の上に残るカルロの手に自分のそれを重ねた。
冷たい。
高地にあるソルトレイクシティは9月ともなると気温も下がり、日没前からぐっと冷え込む。吹きさらしの場所に、カルロはどれだけとどまっていたのか。血の気の薄い彼の手を、ブレットはぎゅっと握った。すると、カルロの唇が痙攣を起こす。後を追うように、ブレットの耳に届いたのは蚊の鳴くようなかすかな声だった。
「お前の、オヤジさん……」
そこまで告げて、カルロはまた口を閉ざす。オフィシャルに尋問されても、ロッソストラーダのメンバーは彼らのオーナーについて口を割らなかった。それほど強い支配・被支配関係がオーナーと彼らの間にはある。生かすも殺すも、すべてはその人物の一存で決まる。まさしく、ロッソのオーナーはカルロたちの「所有者」だった。
腐れダーゴ(イタリア人の蔑称)め!
ロッソのオーナーに対する猛烈な怒りが、イタリア人を侮蔑する言葉と共に沸き起こる。同時に、シュミットによって曇りを取り払われた思考は、冷徹なまでにカルロの口にしたヒントから答えを導き出そうとしていた。
「……俺を、守るためにやったのか」
ブレットの手の中の、カルロの手が震える。Yesの返事に、ブレットはわけのわからない苦しさで胸がいっぱいになる。カルロの、帰る場所のない、悪魔より孤独な心を抱きしめてやりたかった。
「俺のために、この本を壊したのか」
「お前を……怒らせる、方法が……、他に、思いつかなかった……」
ブレットと繋がっていないほうの手で、カルロは自分の目を覆った。ブレットに何もかも見透かされていると観念したのか、吃音を患ったようなたどたどしい声で真実を告白し始める。オーナーからブレットに取り入るように指示されたこと、アメリカ政府高官であるブレットの父の弱みを握るためだったこと、オーナーの命令にカルロは拒否権を持たなかったこと。
ブレットを危険から遠ざけるためには、オーナーが目を付けた二人の蜜月をなかったことにしなければいけない。だがカルロがちょっと噛みついたりひっかいたりしたくらいでは、ブレットがカルロを見捨てないことは火を見るよりも明らかだった。ならばブレットの方から、カルロと距離を取るように仕向けるしかない。ブレットに、どうにかして嫌われなければ。そうやって、追い詰められた精神と思考がカルロにあの事件を起こさせた。
祖父からもらった天体図鑑は、ブレットの宝物だ。そう知っていたからこそ壊した。この世に二つとない宝物で、しかし所詮、物は物。カルロにとって安全かつ確実な計画は、ブレットが不用意に本を庇ってナイフの前に身を割り込ませたことで狂い出す。
「誰にも……怪我……、させる気なんて……」
ましてや、ブレット本人を傷つけるつもりなんてあるはずがない。
カルロも、怖かったのだ。
自分が振り回したナイフが、守るはずの相手の肌を切り裂き、赤い血が流れた。見ていた者たちの怒声に、自分を捕えようとする追手たち。オフィシャルによって小さな部屋に閉じ込められた後は、チームメイトやオーナーから、失望の声をぶつけられたに違いない。
震えるカルロの肩に、ブレットは触れる。天体図鑑は床に寝かせておいた。目を覆って俯いた、カルロの額に自分のそれを重ねて囁く。
「バカだな、お前は」
本当に、どうしようもないバカだ。自分のした行動と結果をちゃんと考えろと、いつもブレットに口酸っぱく言ってくるくせに、自分のこととなるとまるで棚上げだ。
「せっかく周りがお前を見直しかけてたっていうのに、全部台無しにして」
そうまでして、カルロが守りたかったものが自分であることに、不謹慎ながらブレットの唇がほころぶ。だらしない表情が、カルロには見えないことを良しとした。
文字通り、ブレットを守るためにカルロはすべてを賭けた。オーナーやチームメイトからの評価も、グランプリレーサーからの信頼もどぶに捨てた。警察沙汰にならなかった幸運も、オフィシャルのことなかれ主義とブレットのフォローがなければ危うかった。
「カルロ」
カルロが覚悟を、次はブレットが引き受ける番だ。笑みを引っ込めて、額越しの提案をした。
「俺の父を、頼る気はないか」
カルロの顔が、手から上がる。至近距離で、カルロのサファイアブルーの瞳にブレットのムーングレイが浮かんでいるのが良く見えた。
「オーナーのことを、父に話してくれ」
ロッソのオーナーはブレットの父親の弱みを握ろうとした。父の存在が邪魔になるようなことを、あのダーゴはこの国でやろうとしている。そのことについてカルロが証言してくれれば、ブレットの父はカルロの安全を保障してくれるだろう。
「父はFBIにも顔が効く。証人保護プログラムだとか、何かあるだろう。俺はあまり詳しくないが、父なら力になってくれるはずだ」
ブレットは懸命にカルロを口説いた。端から、ロッソストラーダのオーナーなる人物に好感は持っていない。レースに賞金を出したり、マシンに積極的なバトル改造を施す面を知るだけでも、かの人物は子どもやホビースポーツを食い物にする「悪い大人」だ。今回の件でそれがはっきりと証明された。オーナーの元に居続けることは、カルロに良い影響を与えない。
アメリカ大会に至って、バトルをやめ、勉学にも興味を示しだしたカルロの更生の道にオーナーが立ちふさがるのなら、その「悪い大人」に対抗できる「善き大人」がカルロを守ってやるべきだ。その「善き大人」が父であるとブレットは信じた。
「父に助けてもらうんだ」
ブレットは今日までの人生で、政府の要人であるらしい父親の権力を笠に着たことはない。だがこの時ばかりは、父に頼ることを迷わなかった。父の存在がカルロを追い詰めたのなら、彼を救うのも父であってほしい。天才少年ともてはやされようと、「悪い大人」の前では無力な自分に代わって、「善き大人」である父の力でカルロに償いたかった。
ブレットの提案に、思いがけずもたらされた希望に、カルロの目に光が宿る。ブレットはカルロが頷くのを待った。けれど、カルロが選んだのは違う道だった。
「いいさ。お前が、そこまですることはねえ」
確かに彼のサファイアは明るく輝いていたのに、目の焦点は次第に遠のき、夢を垣間見た感動は瞼の下に隠される。長い睫の下で見え隠れする青は、ゆっくりと光を失っていった。カルロの選択が、ブレットには信じられない。
「どうしてだ、オーナーに未練でもあるのか」
「そんなんじゃねえ」
「なら今すぐにでもダッドに助けを求めるべきだ。また、同じことを繰り返すぞ」
「安心しろ。もうドンはお前に手出したりしねえ。ジュリオの野郎がうまいこと言いくるめやがったからな」
カルロは自分の引き起こした騒動が、どういう経路を辿ってドンの耳に入るのかを正しく予測していた。事件が起きたラウンジに、ロッソのメンバーは寄り付かない。結果又聞きになる情報を、ドンが鵜呑みにしないことまでカルロはきちんと計算に入れていた。
『お前に、まだハニートラップは荷が勝ちすぎたか』
案の定、ドンはカルロのした弁解の方に信を置いた。そこには、ジュリオの口添えも影響している。
『ドンがヘンなこと言い出すから、慣れないアンタがパニくってヘマやらかしたってことにしといたわよ。感謝してちょうだいよね』
カルロが抱えるブレットへの執着に、ジュリオが気づいていたからこそできたフォローだ。
「実際テンパってたのはマジだから、文句も言えねえよ」
自分とは種類の異なる、カルロの用意周到さにブレットは舌を巻く。ジュリオが肩を持つことも想定の範囲内なら、大した才能だ。同時にブレットは、カルロとジュリオの間における、阿吽の呼吸というか、彼ら独特の信頼関係のようなものに嫉妬心を疼かせていた。シュミットとエーリッヒには決して抱かない、緑色をした感情だった。
付き合いの長さでは、ブレットはジュリオに絶対勝てない。同じ国の、同じスラムで育ったのだから当然だ。その当たり前のことに、無性に妬けてしまう自分がいる。
くやしい。くやしい。カルロのことを一番に知っている人間は自分でありたい。嫉妬は、独占欲の双子の片割れだ。
そこでふと、ブレットは気づいた。同じ感情を、カルロもまたステラに抱いた可能性はなかったかと。旧友との再会に(結末は残念なものだったとはいえ)多少なりとも浮かれていた自分の行動は、実はカルロにとても残酷な光景を見せつけていたことになりはしなかったかと。
「大丈夫だ」
気づけば下がっていたブレットの口角をどう誤解したのか、カルロは問題ないことを繰り返し口にする。オーナーの興味はブレットから失せ、カルロの評価も据え置かれた現状に、カルロが大丈夫と言うのならブレットは信じるしかない。ジュリオへの嫉視やステラとの一件もまずは脇に置いて、ブレットは念押しした。
「やばいと思ったらいつでも俺に言えよ。ダッドなら電話一本で動いてくれる」
「愛されてんな、お坊ちゃん」
カルロの目が細くなり、口角がはっきりと持ち上がる。カルロの見せたまともな笑みに、少し安堵したブレットは彼の隣に移動した。フェンスに背を預けていると、思った以上に風が吹きつけてくる。
身震いをするブレットの傍らで、カルロは腕を抱えて丸くなっていた。その寒々とした姿に、あたためてやりたいと思うのはブレットにとっては当たり前な感情の帰結だ。互いに触れ合っている方の腕をカルロの肩に回し、抱え込む。腕や肩をさすってやりながら、ブレットはよりカルロに密着した。自然と、カルロの顔がすぐそばにくる。
傾いた太陽を背後に、彼の怜悧な輪郭がハレーションを起こしていた。
カルロの尖った鼻先が、ブレットをふり返る。真っ直ぐにむけられる青の眼差しから、ブレットは目をそらさなかった。黙って見つめ合う時間は、一瞬のようにも永遠のようにも思える。そのうちに、カルロのブルーの中にブレットのグレイが溶け込みはじめた。
カルロの目を、ブレットは綺麗だなと思う。
一年前に忘れ去った眼差しと同じ光に、ブレットはもう恐怖を感じない。彼の中に自分がいることが嬉しくて、切なくて、夜の闇を思わせる青に浮かぶ月影のイメージに引き寄せられる。角度の違う鼻梁が交差し、唇にカルロの息が触れても、逃げようなんて考えは1ミリも浮かばなかった。
キスまでの最後の1センチは、カルロによって縮められた。唇の薄い皮膚に、触れた何かはひどく頼りない。
すぐに、遠慮がちに引いたカルロを、ブレットは首を伸ばして追いかけた。二度目のキスはブレットから。少し強引さの残ったキスに、カルロの顔には小さな驚きがあった。
「こんなとき、イタリア人は何て言うんだ」
顔面の筋肉がとけていくのを感じながら、ブレットは笑う。月明かりのようなまろやかな微笑に、カルロは泣いた顔で笑うような複雑な表情を見せた。
「……知らねえよ」
「イタリア語に愛の言葉がないわけないだろ」
この歳で、愛を口走るのには勇気がいる。だからブレットは、「イタリア人はアマーレ、カンターレ、マンジャーレだろ」とカルロに教わったイタリア語を混ぜて照れを誤魔化した。
そして宣言する。
「次はお前の番だからな」
ブレットの言葉に怪訝そうなカルロに、ブレットは「それが順序ってものだろう」と得意そうに敷衍する。
最初にカルロが、次にブレットがキスをして互いの気持ちを伝え合った。次はカルロの言葉が欲しいと、直截な願いに当のカルロが挙動不審になる。視線を右往左往させ、手を握ったり開いたりするのを繰り返した挙句、カルロはせっかくのキスを台無しにするようなことまで言いだした。
「忘れろ、全部忘れろ。無かったことに」
「そんなの無理だ!」
今更何を言うんだ、とカルロのあんまりなセリフにカチンときたブレットは声を上げる。せっかく想いが通じたのに、カルロはつないだ手をほどくようにブレットの腕まで押しのけようとする。だから負けじとブレットもカルロの腕を掴み返した。腕をつっぱったり引き寄せたり、傍から見ればじゃれ合うような攻防が続く。そのうちカルロが先に折れて、腕を下ろした。けれど眉をぎゅっとひそめた顔は苦悶に満ちていて、ブレットは切ないやら悲しいやら、頭ではなく胸の方ばかりが騒がしくなる。
「嫌だ、俺は嫌だぞ、カルロ」
「忘れるのは、得意じゃねえのかよ」
釣れないカルロの言葉に、ブレットはふるふると首を振る。
「忘れたくない」
カルロは、ブレットを守ろうとしてくれた。そのために彼が払った犠牲を忘れていいはずがない。彼の葛藤も決心も、あますことなくすくいあげて、宝箱にでもしまって置きたいくらいだ。中でも一番大切にとっておきたい、カルロの想いをブレットは代弁する。
「お前は、俺に惚れてるんだろ」
カルロはぎょっと目をむいた。キスまでしたくせに、往生際が悪いとブレットはカルロを囲い込む。
「俺もそうだ。つまり両想いだ。忘れる必要なんてどこにある」
そうだ、俺たちは両想いだ。男同士だけど、友情にしては妙に恥じらいや動悸が先に立つこの心の動きは、恋というやつなのだろう。
選手宣誓ように胸を張るブレットに、はっ、とカルロは短く笑った。
「クールになろうぜ、アストロノート」
ブレットの口癖をまねるカルロに、ブレットは首を振る。
「何せ初恋でな。クールでなんかいられるか」
舞い上がった勢いで、今ならジョーとも恋バナが出来そうだ。両想いだの恋だのと、曖昧な心のざわめきも言葉にしてしまえば確固たる輪郭を持つ。手で触れて抱きしめられそうなその何かは、カルロの頑なな防御壁まで取り払ってしいく。
「いっぺん触れたら、離せねえぞ」
カルロの最後通告に、ブレットは口角を上げる。挑発的なアルカイックスマイルはブレットのとっておきで、カルロのジャブにも受けて立つ気概を表していた。その口元にカルロの顔が近づく。
三度目のキスは、間違いなくカルロから与えられた。力強いキスに、ブレットの全身が総毛立ち、確信する。
無いものねだりなんかじゃない。
自分が持たない何かなんて漠然としたものではない。ブレットが欲しいのは、今こうして自分に触れている「カルロ」という名の少年だ。
手を握る、肩を抱く、肩を寄せ合う。どれも肌と肌との触れあいなのに、唇と唇を合わせること以上に心が高ぶるものはないのはなぜだろう。重ね合わせた場所から、びりびりと静電気のような愛しさが響いてくる。いつまでもいつまでも、くっついていたい心地よさにブレットの頭の中がふわふわと揺れた。
軽く唇を食まれて、キスは終わった。離れていく唇を惜しむように見つめていれば、カルロの額を寄せられる。「頼みがある」と彼の声が額の骨を伝わって、頭の中に響いた。
「もっぺん、歌えよ」
あの、アメイジンググレースをもう一度聴きたいとカルロはねだった。
「気に入ったのか?」
「ああ、すごく」
素直なカルロの言葉が嬉しい。探るようにさまよわせていた手を、カルロが握り返してくれたことも。
額をこすりあわせて、ブレットは大きく息を吸った。
Amazing grace how sweet the sound
That saved a wretch like me.
I once was lost but now am found,
Was blind but now I see.
'Twas grace that taught my heart to fear,
And grace my fears relieved,
How precious did that grace appear,
The hour I first believed...
カルロは目を閉じ、ブレットの声に耳を澄ませている。長い睫の下で、何かが光って見えたけれど、ブレットは夕陽に目が眩んだふりをして歌い続けた。
歌う間も、歌い終えてからも、ブレットはカルロの手を握ったまま。カルロもまた離さない。カルロの指先がぬくもりを取り戻すまで、二人はいつまでもそのままでいた。
天才は無知であるという前提
(知ってしまえば、無知でなくなる)
+++++++++++++
うあああああぁぁぁぁぁっ!!!!!
告白までたどりついたぁぁぁぁぁぁっ!!!!!!
カルブレ両想いおめぇぇぇぇぇぇぇっ!!!!!!
カ ル ブ レ です!!!(二回目) 誰がなんと言おうとカルブレです!
ここにたどり着くまで書いててしんどかった。カルロ苛め辛い。
WGP2の8月以前のお話の伏線を回収してまわるのも思った以上に大変でした。なんか小道具多いんだもん!!いわゆる二次設定・ねつ造設定も多かったね!!なんだろうね!!好き勝手書きすぎたね!!!!
一通り回収できたと思っているのですが、回収漏れがありましたら、こっそりやさしく教えてください。つぎのSSのネタにします。
カルブレ時系列ページにありますWGP2のサブタイトル「トワイライトハレーション」はこの話にかかっています。
トワイライトは日の出前や日没後の薄明かりを指しまして、当SSは日没前の斜陽ですのでちょっと違いますが、カルロの人生にとってこの日のやりとりがトワイライト(日の出前)であることにちなんで、こちらのタイトルと使用させていただきました。「21」さまのお題にはいつも創作意欲をかきたてられております。
(ちなみに、WGP1のサブタイトル「恋の1秒(つまりそれは永遠と言う意味)」はブレット視点といいますか「ふる、る、るる」や「罅割れた空、その向こうにファンタジー」でカルロの見せた反応(雨が嫌いって言った瞬間とか、ブレットの目を月に喩えたりとか)にブレットが無自覚にときめいていた一瞬を指していたりします。この辺も説明しないで伝えられる筆力が欲しい)
ロッソのドン、なのかオーナーなのか。
あの人物をどうとらえるかはかなり想像の余地が広いと思うのですが、このシリーズではシンプルに「悪役」です。
身寄りのない子どもたちを囲い、マインドコントロールして食い物にしている「悪い大人」の象徴です。無印時代の大神博士のような。
とりわけカルロはマインドコントロールの影響を色濃く受けています。彼がマインドコントロールから抜け出すには、ブレットの存在が不可欠となりますがさてどうなりますやら。
ドンに対抗する「善き大人」=ブレットのパパですが、果たしてブレットのパパはどのくらい偉いんだろう。現代版英国探偵の傘兄みたいなジョーカー的存在だと私得。さすがにそれはないか……
ダーゴ(ダゴ)はイタリア人など南欧の人を侮蔑しての呼び名だそうです。
ああ、しかし何はともあれ、両想いまでたどり着けました。ありがとうございます。
(実はここがチョコレートナイフシリーズの隠れ分岐点で、「カルロがブレットの申し入れを受けて、彼の父親の権力でアメリカにて保護。アスティア夫妻が親代わりとなって、カルロがワシントンに住む」裏ルートがあったりします)
【引用歌詞和訳】
アメイジング・グレース
何と美しい響きであろうか
私のような者までも救ってくださる
道を踏み外しさまよっていた私を
神は救い上げてくださり
今まで見えなかった神の恵みを
今は見出すことができる
神の恵みこそが 私の恐れる心を諭し
その恐れから心を解き放ち給う
信じる事を始めたその時の
神の恵みのなんと尊いことか...
残りの話はおまけというか、二人の後日談です。最後までお付き合いいただけましたら幸いです。
2015/08/01 サイト初出。
※カルロ12歳、ブレット13歳、WGP2inアメリカ
※「断罪のマリア」(前後編)「最善の悪意」(前後編)「天才は無知であるという前提」(前篇)を踏まえてお読みください。
※タイトルは「21」さまより。
シュミットの部屋から、目指したのは屋上だった。一階から休むことなく駆け上がる。その先にカルロがいると、ブレットは信じていた。
天才は無知であるという前提
「ビンゴ……!」
夢中で駆けあがった欧州寮の屋上に、座り込んだ小さなカルロの姿を見つけてブレットは呟く。謹慎中のカルロが寮外に出る可能性は除外していたが、自室よりこちらだと踏んだ自分の勘の良さにブレットは歓喜した。
肩で息をするブレットの、気配を察したカルロがこちらをふり返る。一週間ぶりに見る彼の顔は相変わらず端正で、しかしそこに今までとは違う魅力を感じてブレットの心拍数が跳ねあがった。6階分の階段をのぼったばかりの呼吸とは別に、ブレットは募る恋しさに息を飲む。
カルロ、カルロ……!
出ていたはずの、声が出ない。ブレットの姿をおさめたカルロの青い目が見開かれ、その濃い色合いにすらブレットの胸はときめき、高山病にでもかかったかのようにますます息が苦しくなる。ソルトレイクシティは海抜高度4000フィートの高地にあるが、ブレットの呼吸とは無関係だ。
カルロの顔は、どこか寂しそうだった。西から差し込む斜陽さえ寒々しいこの場所で、転落防止用のフェンスの足元でうずくまっているせいかもしれない。オレンジ色の光に染まる銀髪ごとカルロが融けてしまいそうで、焦燥感がブレットの喉を突いて声となった。
「カ、ルロ……」
名を紡ぐだけで、涙腺が痺れる。カルロの唇が動き、「ボウヤ」とかたどるのを目の当たりにしてしまえば、一層胸が痛んだ。
サンフランシスコにいた頃、カルロから「本当はステラに気があったんじゃないか」と尋ねられたことがある。わからないとブレットがとぼけると、レース以外には何事にも淡白な彼が珍しく食い下がってきた。ブレットが自慢の手製のクロスワードパズル、そのニックネームは「STELLA」。イタリア語で「星」を意味する名前に、「STELLA」はステラのことじゃないのかと聞かれて、奇妙な偶然に初めて気づいたブレットは瞠目した。この反応にカルロは腑に落ちないと仏頂面を見せ、ブレットも気の利いた弁解をしてやることが出来なかった。
けれど今なら、カルロの疑問に答えてやれる。ステラに、ブレットがこうしてカルロに抱いているような動悸や、泣き出しそうな衝動を感じたことは一度もない。他の誰にもない。たかだか一週間ぶりの再会に、舌がもつれ、呼吸もままならないほどのときめきに胸を締め付けられたことなどなかった。
カルロだけだ。
カルロが、ブレットの初めてだ。
そのカルロが、屋上の片隅で小さくなったままこちらを見ている。ブレットは深呼吸をした。背筋を整え、屋上に足を踏み入れる。アームストロング船長の「偉大な一歩」にも等しい一歩だ。踏み出すには、決意と勇気がいった。だが、一度踏み出してしまえばあとは歩き続けるだけだ。近づいていくブレットに、カルロはふいと顔をそむける。拒むような態度に胸がチクリと痛んだけれど、その場から逃げ出すそぶりのないカルロにブレットは足を速めた。
「天体図鑑、直ったぞ」
しゃがんだままのカルロの前で、ブレットは立ち止まる。最初に何を言うべきか、迷った末にブレットはこう言った。手にはエーリッヒから返されたばかりの本を掲げて。
カルロのしたこと、ブレットが被ったこと、それらが二人の間のしこりとならないようにするには、一番わかりやすい方法だと考えた。膝を折り、カルロの視線の高さまでしゃがみこんで、ブレットは改めて図鑑を見せる。
「エーリッヒとユーリががんばってくれた。独露合作だ、すごいだろ」
「……何か怖えよ」
ようやく声を発したカルロは、口角をわずかに上げる。そうして、ブレットが持つ図鑑におずおずと腕を伸ばした。その手に、あの日のナイフは握られていない。カルロの白くて細い指先が、ハードカバーの傷跡を這った。
「残っちまったな」
サファイアの瞳が、後悔に揺れる。
「顔のほうはきれいさっぱりだ」
ブレットの返答に、カルロの青い目が図鑑からブレットの顔に移る。一週間前、ナイフの刃先が掠めたあたりをカルロの視線が何度も往復しているのがわかった。
「刃先が鋭かったおかげだ」
「これでもかってくらい、研いでたからな」
カルロの自白は、あの凶行が衝動的なものではなく、ずっと以前から計画されていたことだと認めている。ブレットの目元に緊張が走る。
「あれは……」
本題に入ろうとすれば、自然と声が固くなる。それでも、シュミットが導いてくれた答えから、今度こそ目を背けるわけにはいかなかった。
「ロッソのオーナーに言われてのことか」
滑稽なほど、あからさまにカルロの目が泳ぐ。猫かぶりが上手く、必要とあれば心にもないことをいくらでも取り繕えるカルロには珍しいことだ。それだけ、ブレットの質問は核心をついている。カルロにも一歩踏み出す勇気を持ってほしくて、ブレットは天体図鑑の上に残るカルロの手に自分のそれを重ねた。
冷たい。
高地にあるソルトレイクシティは9月ともなると気温も下がり、日没前からぐっと冷え込む。吹きさらしの場所に、カルロはどれだけとどまっていたのか。血の気の薄い彼の手を、ブレットはぎゅっと握った。すると、カルロの唇が痙攣を起こす。後を追うように、ブレットの耳に届いたのは蚊の鳴くようなかすかな声だった。
「お前の、オヤジさん……」
そこまで告げて、カルロはまた口を閉ざす。オフィシャルに尋問されても、ロッソストラーダのメンバーは彼らのオーナーについて口を割らなかった。それほど強い支配・被支配関係がオーナーと彼らの間にはある。生かすも殺すも、すべてはその人物の一存で決まる。まさしく、ロッソのオーナーはカルロたちの「所有者」だった。
腐れダーゴ(イタリア人の蔑称)め!
ロッソのオーナーに対する猛烈な怒りが、イタリア人を侮蔑する言葉と共に沸き起こる。同時に、シュミットによって曇りを取り払われた思考は、冷徹なまでにカルロの口にしたヒントから答えを導き出そうとしていた。
「……俺を、守るためにやったのか」
ブレットの手の中の、カルロの手が震える。Yesの返事に、ブレットはわけのわからない苦しさで胸がいっぱいになる。カルロの、帰る場所のない、悪魔より孤独な心を抱きしめてやりたかった。
「俺のために、この本を壊したのか」
「お前を……怒らせる、方法が……、他に、思いつかなかった……」
ブレットと繋がっていないほうの手で、カルロは自分の目を覆った。ブレットに何もかも見透かされていると観念したのか、吃音を患ったようなたどたどしい声で真実を告白し始める。オーナーからブレットに取り入るように指示されたこと、アメリカ政府高官であるブレットの父の弱みを握るためだったこと、オーナーの命令にカルロは拒否権を持たなかったこと。
ブレットを危険から遠ざけるためには、オーナーが目を付けた二人の蜜月をなかったことにしなければいけない。だがカルロがちょっと噛みついたりひっかいたりしたくらいでは、ブレットがカルロを見捨てないことは火を見るよりも明らかだった。ならばブレットの方から、カルロと距離を取るように仕向けるしかない。ブレットに、どうにかして嫌われなければ。そうやって、追い詰められた精神と思考がカルロにあの事件を起こさせた。
祖父からもらった天体図鑑は、ブレットの宝物だ。そう知っていたからこそ壊した。この世に二つとない宝物で、しかし所詮、物は物。カルロにとって安全かつ確実な計画は、ブレットが不用意に本を庇ってナイフの前に身を割り込ませたことで狂い出す。
「誰にも……怪我……、させる気なんて……」
ましてや、ブレット本人を傷つけるつもりなんてあるはずがない。
カルロも、怖かったのだ。
自分が振り回したナイフが、守るはずの相手の肌を切り裂き、赤い血が流れた。見ていた者たちの怒声に、自分を捕えようとする追手たち。オフィシャルによって小さな部屋に閉じ込められた後は、チームメイトやオーナーから、失望の声をぶつけられたに違いない。
震えるカルロの肩に、ブレットは触れる。天体図鑑は床に寝かせておいた。目を覆って俯いた、カルロの額に自分のそれを重ねて囁く。
「バカだな、お前は」
本当に、どうしようもないバカだ。自分のした行動と結果をちゃんと考えろと、いつもブレットに口酸っぱく言ってくるくせに、自分のこととなるとまるで棚上げだ。
「せっかく周りがお前を見直しかけてたっていうのに、全部台無しにして」
そうまでして、カルロが守りたかったものが自分であることに、不謹慎ながらブレットの唇がほころぶ。だらしない表情が、カルロには見えないことを良しとした。
文字通り、ブレットを守るためにカルロはすべてを賭けた。オーナーやチームメイトからの評価も、グランプリレーサーからの信頼もどぶに捨てた。警察沙汰にならなかった幸運も、オフィシャルのことなかれ主義とブレットのフォローがなければ危うかった。
「カルロ」
カルロが覚悟を、次はブレットが引き受ける番だ。笑みを引っ込めて、額越しの提案をした。
「俺の父を、頼る気はないか」
カルロの顔が、手から上がる。至近距離で、カルロのサファイアブルーの瞳にブレットのムーングレイが浮かんでいるのが良く見えた。
「オーナーのことを、父に話してくれ」
ロッソのオーナーはブレットの父親の弱みを握ろうとした。父の存在が邪魔になるようなことを、あのダーゴはこの国でやろうとしている。そのことについてカルロが証言してくれれば、ブレットの父はカルロの安全を保障してくれるだろう。
「父はFBIにも顔が効く。証人保護プログラムだとか、何かあるだろう。俺はあまり詳しくないが、父なら力になってくれるはずだ」
ブレットは懸命にカルロを口説いた。端から、ロッソストラーダのオーナーなる人物に好感は持っていない。レースに賞金を出したり、マシンに積極的なバトル改造を施す面を知るだけでも、かの人物は子どもやホビースポーツを食い物にする「悪い大人」だ。今回の件でそれがはっきりと証明された。オーナーの元に居続けることは、カルロに良い影響を与えない。
アメリカ大会に至って、バトルをやめ、勉学にも興味を示しだしたカルロの更生の道にオーナーが立ちふさがるのなら、その「悪い大人」に対抗できる「善き大人」がカルロを守ってやるべきだ。その「善き大人」が父であるとブレットは信じた。
「父に助けてもらうんだ」
ブレットは今日までの人生で、政府の要人であるらしい父親の権力を笠に着たことはない。だがこの時ばかりは、父に頼ることを迷わなかった。父の存在がカルロを追い詰めたのなら、彼を救うのも父であってほしい。天才少年ともてはやされようと、「悪い大人」の前では無力な自分に代わって、「善き大人」である父の力でカルロに償いたかった。
ブレットの提案に、思いがけずもたらされた希望に、カルロの目に光が宿る。ブレットはカルロが頷くのを待った。けれど、カルロが選んだのは違う道だった。
「いいさ。お前が、そこまですることはねえ」
確かに彼のサファイアは明るく輝いていたのに、目の焦点は次第に遠のき、夢を垣間見た感動は瞼の下に隠される。長い睫の下で見え隠れする青は、ゆっくりと光を失っていった。カルロの選択が、ブレットには信じられない。
「どうしてだ、オーナーに未練でもあるのか」
「そんなんじゃねえ」
「なら今すぐにでもダッドに助けを求めるべきだ。また、同じことを繰り返すぞ」
「安心しろ。もうドンはお前に手出したりしねえ。ジュリオの野郎がうまいこと言いくるめやがったからな」
カルロは自分の引き起こした騒動が、どういう経路を辿ってドンの耳に入るのかを正しく予測していた。事件が起きたラウンジに、ロッソのメンバーは寄り付かない。結果又聞きになる情報を、ドンが鵜呑みにしないことまでカルロはきちんと計算に入れていた。
『お前に、まだハニートラップは荷が勝ちすぎたか』
案の定、ドンはカルロのした弁解の方に信を置いた。そこには、ジュリオの口添えも影響している。
『ドンがヘンなこと言い出すから、慣れないアンタがパニくってヘマやらかしたってことにしといたわよ。感謝してちょうだいよね』
カルロが抱えるブレットへの執着に、ジュリオが気づいていたからこそできたフォローだ。
「実際テンパってたのはマジだから、文句も言えねえよ」
自分とは種類の異なる、カルロの用意周到さにブレットは舌を巻く。ジュリオが肩を持つことも想定の範囲内なら、大した才能だ。同時にブレットは、カルロとジュリオの間における、阿吽の呼吸というか、彼ら独特の信頼関係のようなものに嫉妬心を疼かせていた。シュミットとエーリッヒには決して抱かない、緑色をした感情だった。
付き合いの長さでは、ブレットはジュリオに絶対勝てない。同じ国の、同じスラムで育ったのだから当然だ。その当たり前のことに、無性に妬けてしまう自分がいる。
くやしい。くやしい。カルロのことを一番に知っている人間は自分でありたい。嫉妬は、独占欲の双子の片割れだ。
そこでふと、ブレットは気づいた。同じ感情を、カルロもまたステラに抱いた可能性はなかったかと。旧友との再会に(結末は残念なものだったとはいえ)多少なりとも浮かれていた自分の行動は、実はカルロにとても残酷な光景を見せつけていたことになりはしなかったかと。
「大丈夫だ」
気づけば下がっていたブレットの口角をどう誤解したのか、カルロは問題ないことを繰り返し口にする。オーナーの興味はブレットから失せ、カルロの評価も据え置かれた現状に、カルロが大丈夫と言うのならブレットは信じるしかない。ジュリオへの嫉視やステラとの一件もまずは脇に置いて、ブレットは念押しした。
「やばいと思ったらいつでも俺に言えよ。ダッドなら電話一本で動いてくれる」
「愛されてんな、お坊ちゃん」
カルロの目が細くなり、口角がはっきりと持ち上がる。カルロの見せたまともな笑みに、少し安堵したブレットは彼の隣に移動した。フェンスに背を預けていると、思った以上に風が吹きつけてくる。
身震いをするブレットの傍らで、カルロは腕を抱えて丸くなっていた。その寒々とした姿に、あたためてやりたいと思うのはブレットにとっては当たり前な感情の帰結だ。互いに触れ合っている方の腕をカルロの肩に回し、抱え込む。腕や肩をさすってやりながら、ブレットはよりカルロに密着した。自然と、カルロの顔がすぐそばにくる。
傾いた太陽を背後に、彼の怜悧な輪郭がハレーションを起こしていた。
カルロの尖った鼻先が、ブレットをふり返る。真っ直ぐにむけられる青の眼差しから、ブレットは目をそらさなかった。黙って見つめ合う時間は、一瞬のようにも永遠のようにも思える。そのうちに、カルロのブルーの中にブレットのグレイが溶け込みはじめた。
カルロの目を、ブレットは綺麗だなと思う。
一年前に忘れ去った眼差しと同じ光に、ブレットはもう恐怖を感じない。彼の中に自分がいることが嬉しくて、切なくて、夜の闇を思わせる青に浮かぶ月影のイメージに引き寄せられる。角度の違う鼻梁が交差し、唇にカルロの息が触れても、逃げようなんて考えは1ミリも浮かばなかった。
キスまでの最後の1センチは、カルロによって縮められた。唇の薄い皮膚に、触れた何かはひどく頼りない。
すぐに、遠慮がちに引いたカルロを、ブレットは首を伸ばして追いかけた。二度目のキスはブレットから。少し強引さの残ったキスに、カルロの顔には小さな驚きがあった。
「こんなとき、イタリア人は何て言うんだ」
顔面の筋肉がとけていくのを感じながら、ブレットは笑う。月明かりのようなまろやかな微笑に、カルロは泣いた顔で笑うような複雑な表情を見せた。
「……知らねえよ」
「イタリア語に愛の言葉がないわけないだろ」
この歳で、愛を口走るのには勇気がいる。だからブレットは、「イタリア人はアマーレ、カンターレ、マンジャーレだろ」とカルロに教わったイタリア語を混ぜて照れを誤魔化した。
そして宣言する。
「次はお前の番だからな」
ブレットの言葉に怪訝そうなカルロに、ブレットは「それが順序ってものだろう」と得意そうに敷衍する。
最初にカルロが、次にブレットがキスをして互いの気持ちを伝え合った。次はカルロの言葉が欲しいと、直截な願いに当のカルロが挙動不審になる。視線を右往左往させ、手を握ったり開いたりするのを繰り返した挙句、カルロはせっかくのキスを台無しにするようなことまで言いだした。
「忘れろ、全部忘れろ。無かったことに」
「そんなの無理だ!」
今更何を言うんだ、とカルロのあんまりなセリフにカチンときたブレットは声を上げる。せっかく想いが通じたのに、カルロはつないだ手をほどくようにブレットの腕まで押しのけようとする。だから負けじとブレットもカルロの腕を掴み返した。腕をつっぱったり引き寄せたり、傍から見ればじゃれ合うような攻防が続く。そのうちカルロが先に折れて、腕を下ろした。けれど眉をぎゅっとひそめた顔は苦悶に満ちていて、ブレットは切ないやら悲しいやら、頭ではなく胸の方ばかりが騒がしくなる。
「嫌だ、俺は嫌だぞ、カルロ」
「忘れるのは、得意じゃねえのかよ」
釣れないカルロの言葉に、ブレットはふるふると首を振る。
「忘れたくない」
カルロは、ブレットを守ろうとしてくれた。そのために彼が払った犠牲を忘れていいはずがない。彼の葛藤も決心も、あますことなくすくいあげて、宝箱にでもしまって置きたいくらいだ。中でも一番大切にとっておきたい、カルロの想いをブレットは代弁する。
「お前は、俺に惚れてるんだろ」
カルロはぎょっと目をむいた。キスまでしたくせに、往生際が悪いとブレットはカルロを囲い込む。
「俺もそうだ。つまり両想いだ。忘れる必要なんてどこにある」
そうだ、俺たちは両想いだ。男同士だけど、友情にしては妙に恥じらいや動悸が先に立つこの心の動きは、恋というやつなのだろう。
選手宣誓ように胸を張るブレットに、はっ、とカルロは短く笑った。
「クールになろうぜ、アストロノート」
ブレットの口癖をまねるカルロに、ブレットは首を振る。
「何せ初恋でな。クールでなんかいられるか」
舞い上がった勢いで、今ならジョーとも恋バナが出来そうだ。両想いだの恋だのと、曖昧な心のざわめきも言葉にしてしまえば確固たる輪郭を持つ。手で触れて抱きしめられそうなその何かは、カルロの頑なな防御壁まで取り払ってしいく。
「いっぺん触れたら、離せねえぞ」
カルロの最後通告に、ブレットは口角を上げる。挑発的なアルカイックスマイルはブレットのとっておきで、カルロのジャブにも受けて立つ気概を表していた。その口元にカルロの顔が近づく。
三度目のキスは、間違いなくカルロから与えられた。力強いキスに、ブレットの全身が総毛立ち、確信する。
無いものねだりなんかじゃない。
自分が持たない何かなんて漠然としたものではない。ブレットが欲しいのは、今こうして自分に触れている「カルロ」という名の少年だ。
手を握る、肩を抱く、肩を寄せ合う。どれも肌と肌との触れあいなのに、唇と唇を合わせること以上に心が高ぶるものはないのはなぜだろう。重ね合わせた場所から、びりびりと静電気のような愛しさが響いてくる。いつまでもいつまでも、くっついていたい心地よさにブレットの頭の中がふわふわと揺れた。
軽く唇を食まれて、キスは終わった。離れていく唇を惜しむように見つめていれば、カルロの額を寄せられる。「頼みがある」と彼の声が額の骨を伝わって、頭の中に響いた。
「もっぺん、歌えよ」
あの、アメイジンググレースをもう一度聴きたいとカルロはねだった。
「気に入ったのか?」
「ああ、すごく」
素直なカルロの言葉が嬉しい。探るようにさまよわせていた手を、カルロが握り返してくれたことも。
額をこすりあわせて、ブレットは大きく息を吸った。
Amazing grace how sweet the sound
That saved a wretch like me.
I once was lost but now am found,
Was blind but now I see.
'Twas grace that taught my heart to fear,
And grace my fears relieved,
How precious did that grace appear,
The hour I first believed...
カルロは目を閉じ、ブレットの声に耳を澄ませている。長い睫の下で、何かが光って見えたけれど、ブレットは夕陽に目が眩んだふりをして歌い続けた。
歌う間も、歌い終えてからも、ブレットはカルロの手を握ったまま。カルロもまた離さない。カルロの指先がぬくもりを取り戻すまで、二人はいつまでもそのままでいた。
天才は無知であるという前提
(知ってしまえば、無知でなくなる)
+++++++++++++
うあああああぁぁぁぁぁっ!!!!!
告白までたどりついたぁぁぁぁぁぁっ!!!!!!
カルブレ両想いおめぇぇぇぇぇぇぇっ!!!!!!
カ ル ブ レ です!!!(二回目) 誰がなんと言おうとカルブレです!
ここにたどり着くまで書いててしんどかった。カルロ苛め辛い。
WGP2の8月以前のお話の伏線を回収してまわるのも思った以上に大変でした。なんか小道具多いんだもん!!いわゆる二次設定・ねつ造設定も多かったね!!なんだろうね!!好き勝手書きすぎたね!!!!
一通り回収できたと思っているのですが、回収漏れがありましたら、こっそりやさしく教えてください。つぎのSSのネタにします。
カルブレ時系列ページにありますWGP2のサブタイトル「トワイライトハレーション」はこの話にかかっています。
トワイライトは日の出前や日没後の薄明かりを指しまして、当SSは日没前の斜陽ですのでちょっと違いますが、カルロの人生にとってこの日のやりとりがトワイライト(日の出前)であることにちなんで、こちらのタイトルと使用させていただきました。「21」さまのお題にはいつも創作意欲をかきたてられております。
(ちなみに、WGP1のサブタイトル「恋の1秒(つまりそれは永遠と言う意味)」はブレット視点といいますか「ふる、る、るる」や「罅割れた空、その向こうにファンタジー」でカルロの見せた反応(雨が嫌いって言った瞬間とか、ブレットの目を月に喩えたりとか)にブレットが無自覚にときめいていた一瞬を指していたりします。この辺も説明しないで伝えられる筆力が欲しい)
ロッソのドン、なのかオーナーなのか。
あの人物をどうとらえるかはかなり想像の余地が広いと思うのですが、このシリーズではシンプルに「悪役」です。
身寄りのない子どもたちを囲い、マインドコントロールして食い物にしている「悪い大人」の象徴です。無印時代の大神博士のような。
とりわけカルロはマインドコントロールの影響を色濃く受けています。彼がマインドコントロールから抜け出すには、ブレットの存在が不可欠となりますがさてどうなりますやら。
ドンに対抗する「善き大人」=ブレットのパパですが、果たしてブレットのパパはどのくらい偉いんだろう。現代版英国探偵の傘兄みたいなジョーカー的存在だと私得。さすがにそれはないか……
ダーゴ(ダゴ)はイタリア人など南欧の人を侮蔑しての呼び名だそうです。
ああ、しかし何はともあれ、両想いまでたどり着けました。ありがとうございます。
(実はここがチョコレートナイフシリーズの隠れ分岐点で、「カルロがブレットの申し入れを受けて、彼の父親の権力でアメリカにて保護。アスティア夫妻が親代わりとなって、カルロがワシントンに住む」裏ルートがあったりします)
【引用歌詞和訳】
アメイジング・グレース
何と美しい響きであろうか
私のような者までも救ってくださる
道を踏み外しさまよっていた私を
神は救い上げてくださり
今まで見えなかった神の恵みを
今は見出すことができる
神の恵みこそが 私の恐れる心を諭し
その恐れから心を解き放ち給う
信じる事を始めたその時の
神の恵みのなんと尊いことか...
残りの話はおまけというか、二人の後日談です。最後までお付き合いいただけましたら幸いです。
2015/08/01 サイト初出。
2015/08/01(土)
レツゴ:ステラ事件(カルブレ)【完結】
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