蟻の王 坂水×亜久里四郎
title by 21



切なさが呼ぶから



 「薬指のながい男って、絶倫って言うじゃない?」
 蝶の羽のように、ながいまつげをはためかせて枕田はほほえむ。眉をひそめた悩ましげな表情は、なぜか坂水に向けられていた。
「は、はぁ」
「亜久里クンの指は節が太くて、たくましいの。でも全然曲がってない。自分を傷めない、殴り方を知ってるのよ。ねぇ、アナタ、どう思う?」
「どうって、言われても……」
「亜久里クンのアソコも、おなじな気がしない?」
 裁ちバサミをつきたてるように、枕田がえぐりこんできたきわどい話題に坂水の喉がつまる。言葉を失う坂水の手を、枕田はとった。すくいあげる、という表現がふさわしいほど、白い繊手は優しく坂水の手をつつむ。
「アラ。アナタも薬指、ながいのね」
 上目遣いで、クスリと笑う美貌はどこからどう見ても女性のソレで、坂水の手を好きにする細い指もなめらかに動く。しゃべり、動き、ほほえむ。枕田が動くたびに、あまい芳香が坂水の鼻をつつみこんだ。
 枕田ほど、性差の境を曖昧にされる存在を坂水は知らない。上着の胸元からのぞくシャツに、枕田の手がふれた瞬間は悲鳴がもれかけた。やすい生地ごしに、枕田のてのひらが坂水の胸板をなぞっていく。
「着やせするタイプ?」
 きれいなアーモンド型をした瞳が、坂水の体つきにおどろいている。まじまじと坂水を見あげる美貌が、愉快げに華やいだ。
「かわいい顔して、実は亜久里クン並のマッチョマンじゃない。ギャップがますます素敵よ、ふふっ。下のほうはどうかしら?」
「か、勘弁してください……!」
 ベタベタと体をさわられることも猥談も、相手が男なら坂水も受け流せる。もちろん目の前にいる美人もたしかに男なのだけれど、男、男と呪文のようにとなえていなければ信じられないほど、枕田はそこいらの女性以上に「女」であることを主張する。そのくせ、枕田の意中の相手は坂水ではない。

 遊ばれてる……!

 ながいいじめられっこ歴が磨いた、かなしい性が坂水に警鐘を鳴らす。逃げたい。一刻も早く。脱兎のごとく飛び出したい坂水の衝動を、他でもない枕田が引き止める。
「そんなへっぴり腰で、亜久里クンを満足させられてるの?」
 耳に届いた声は、変声期を過ぎたにしてはやや高い、けれど間違いなく男の響きをしていた。枕田の、本当の声に坂水の背が凍る。
「知って……」
「亜久里クンのことなら、何でもわかるの」
 女にはない、幅のある声は続いている。氷の張った湖に、突き落とされて坂水は青ざめた。
「だって、お嫁さんだもん」
 美しい少年はほほえみ、きれいな女性に戻った。声のトーンはもちろん高く、頬は赤くそまり、唇はゆるく弧を描いている。だが、その目は笑っていない。全国指名手配の少年殺人鬼が、四郎にただならぬ情愛を寄せていると知ったときから、坂水はこの瞬間に怯えてすごした。
「旦那の浮気の刃傷沙汰って、妻が愛人を刺しちゃうパターンが多いんですって」
 トン、と胸を押された。教会の長椅子が、枕田に味方して坂水の膝裏を折る。ぺたんと座り込んでしまった坂水の頭上では、枕田の裁ちバサミが鋭利な先端を光らせていた。
 坂水は死を覚悟した。助けを呼んでも、無駄だと思った。根古に頼るには、四郎との関係を暴露しなければいけない。家来のごとく四郎に付き従うかの人に、それを知られるのは別の意味で怖い。
 心臓が冷えていくのを感じながら、坂水はじっと、振り下ろされる刃先の行方を見つめていた。
「ウソよ」
 大きな刃はくるりと回って、枕田のショルダーバックの中へと消える。ただの、一見美女の美少年にもどった枕田は、カツラの髪をさらりと流して首をかたむけた。
「だってアナタ、タチなんでしょ?」
「た、たち?」
「男同士でするとき、男役になるヒトのこと。知らないなんて、男は亜久里クンが初めてかしら」
 枕田は、殺意がないことを証明するように、坂水の足元に座り込んだ。首の皮一枚で、坂水の命は繋がった。枕田は、坂水の膝頭をいたわるように撫でている。
「アタシはネコなの」
 ネコの説明はいらないでしょ、と言われたので頷いておく。否が応にもあの老紳士の顔がちらついて、四郎がネコなら根古はなんなんだとわけのわからないことを連想しだすからたまらない。先走る思考を、坂水はあわてて引きとめて枕田を見た。
「どうして、わかったの。その、ボクらの……」
「だって坂水クン、亜久里クンのお尻ばっかり見てるもの。ネコならどうしたって股間に目が行っちゃうわ」
 坂水が聞きたかったことと、枕田が答えたことはすこしちがう。けれど問題の要点はわかった。どこにいても、坂水には四郎を目で追いかける癖がある。自覚はあっても、見つめる部位までは気が回らなかった。今はケイタやミハルがいる。次からは気をつけようと、坂水は心に誓う。

 これからはもう、見つめることしかできないから。

「手を組みましょう」
 坂水の心に、どうしようもないせつなさがわきあがったとき、枕田の提案はなされた。手を組む。言葉の意味はわかっても、意図するところがわからずに坂水はまるい目をぱちくりとさせる。
「アナタはタチ、アタシはネコ。アタシたちは競合しない、亜久里クンが大好きな同志。だから、二人で亜久里クンを満たしてあげるの」
 気づけば膝の上に、枕田がにじりよっていた。華奢な体は膝に乗られても苦しい重みを感じさせない。まさに、羽のように軽かった。
 美しく迫る、枕田の白い手が坂水の頬をつつむ。とがった枕田の鼻先が、すぐ目の前にとどいていた。
「そのためにも、お互いの相性は知っておかなくちゃね。安心して。アタシはSだけど、痛くないご奉仕も抜群に上手よ」
 何の話かわかりたくない。坂水が思考をひきとめている間に、枕田の背景がまわって教会の天井が目に入る。背中がかたいのは、長椅子の上に押し倒されているからだ。
 真上に留まる枕田の細い肩から、髪が重力に従って流れ落ちる。カツラだなんて信じられないきれいな毛先が、坂水の頬をなでる。香水だろうか、甘いにおいが鼻をついた。
 十九人、いや、二十人の男が騙されたのも頷ける。アニマなんて言葉がこの世にはあるけれど、枕田の演じる女性はまさに男の理想の究極形だ。女より、女らしく。そういう意味で、枕田は「男」だった。
 坂水は、同性として枕田をその目に映す。二人を、四郎を慕う同志と形容した彼に、坂水は本心を告げることにした。
「そんなに警戒しなくても、ボクはキミたちの邪魔にはならないよ」
 至近距離にせまる、枕田の瞳には微笑みに凪いだ自分の顔が映っている。対する枕田の表情は、口のはたから笑みを消し、ながいまつげに縁取られたまなじりをすこし膨らませたくらいの、小さな変化でとどまった。
 その隙に、坂水はそっと枕田の手から主導権をかすめとる。かたい椅子に乗せた頭をすこしズラして、坂水は自分が無害であることをアピールする。
「亜久里さんの頭数に、ボクは入れてもらえない」

『オマエ、何の役にも立たねぇな』

 病院の駐車場で四郎に投げつけられた言葉は、今も返しのついたトゲとなって坂水の胸に残っている。何かの折につけて、揺れるそのトゲは、じくじくと痛んで坂水を追いつめる。
 枕田に凶器を向けられたとき、四郎を呼ぶ、という選択肢は、坂水の頭に浮かんでこなかった。この光景を目の当たりにした、四郎が坂水を守らないことはわかりきっていた。
「それは、ないんじゃない?」
 坂水の苦悩を、感じ取った枕田が身を起こす。坂水に同情しているのか、坂水を四郎をめぐるライバルとみなした自分のカンが外れたことを認めたくないからか、枕田の視線だけではわからなかった。
「病院で、アナタ大活躍したでしょ。亜久里クンも笑ってたわ」
「あれはなんていうか、根古さんにハッパをかけられたマグレで……」

『いなくていいじゃん』

「正しいのはいつも、亜久里さんで」
 その四郎がいらないというのなら、坂水はもう彼には必要ないのだろう。
 今日まで必死についてきたけれど、泣きそうになりながらも不安と恐怖に耐えてきたけれど、なるほど、坂水でなければと四郎が認める行動を坂水が見せたことは一度もなかった。
「今なら、キミがいるし」
 腕も頼れる、興奮や熱を分かち合うこともできる。だって、枕田はこんなにきれいだ。いいにおいがして、人殺しだけど、とても優しい感触がする。自分が持たない枕田の美点を思うと、坂水の視界がにじんで、すぐにこめかみをなまぬるいものが伝った。
 枕田がどんなにきれいでも、いいにおいをふりまいても、坂水の情動を揺り動かさない。それができるのは四郎だけだ。彼の声、香り、気配、彼の作る光と影が坂水の心を動かすすべてだった。
「いつから、こんなに……欲深くなったんだろ……」
 心に任せて、キスをした。押しつけた唇は意外にもあっさりと受け入れられた。もっと深い部分で繋がって、たあいなくじゃれあって、不道徳を楽しんだ。身の程もわきまえず、浮かれていたバチに当たって、坂水は震えている。
「見てるだけで、よかったのにな……」
 独り占めしたい。枕田に負けたくない。お前がいい、と呼ばれたい。
 それなのに、あの亜久里四郎をひきとめる光をもたない自分が、悔しくて情けなくて、坂水はひとり静かにのたうちまわっている。
「それでも、教会(ここ)を離れないのね」
 さすがSを自称するだけあって、枕田の追及は容赦なかった。胸のど真ん中をえぐられ、坂水は痛みに顔をくしゃくしゃにする。
 ジムの岩吉からは、「覚悟がない」と叱られた。四郎にも「不良の才能がない」と切り捨てられた。根古に月としての人生を示されたけれど、本当に闇に落ちる決意ができるかはわからない。ただついてくるだけでは足手まといとわかっている。でも「去れ」とまでは、まだ言われていないことに必死ですがる。
「亜久里さんを、見ていたいから」
 つまるところは、ふりだしにもどる。最上階から飛び降りる、勇気をくれた想いはまだ色あせない。
「アナタも心底、尽くすタイプね」
 形は違っても気持ちはわかると、滲んだ視界で枕田はたおやかに微笑んだ。




++++++++++
枕田くんが魅力的に書けない。難しい。
個人的に四郎くんには、原作内できちんと恋をしてほしい。枕田くんでもいいけど、できれば女性で。シャーロック・ホームズにおけるアイリーン・アドラーみたいな。そんなお相手が登場してくれたら、またこういう坂水くんを書きたいです。

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2016/05/17(火) 蟻の王
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