蟻の王 坂水×亜久里四郎 title by 21 さよならは、また、今度 「ボクですか? 枕田さんじゃなくて?」 根古が頷くのを待って、坂水は枕田をふり返った。線の細い、枕田の肩がすくめられる。ついさっきまで、坂水は枕田にのしかかられていた。 四郎を共有しようと言う枕田の提案を、坂水が涙と共に蹴ってから数分。枕田が膝からおり、涙の止まらない坂水が落ち着くのを待っていると、根古が現れて長椅子から背を起こしたばかりの坂水に声を向けた。坂水の泣きはらした目元について、根古はいぶかしむどころか気づいた気配すら見せなかった。 「はい。四郎様は坂水殿をお呼びでした」 根古があらためてそう伝えると、トンと隣から軽く押される。枕田が「ホラ見なさい」とばかりに、揺らした腰で坂水をこづいてきた。ちゃんと四郎の頭数に入れられている。励ますような所作と視線に、泣いたばかりの坂水は困ったように笑った。 「どうせパシリだよ」 そうして坂水は枕田に軽く手をふって、根古に並ぶ。教会の扉をくぐるあたりで、根古が口を開いたのは枕田に聞こえることをはばかってのことだろうか。 「いつの間にか、仲のおよろしいことで」 声には、坂水の泣き顔を見たときにはなかった驚きの粒子が混じっている。出会いがしらから、坂水は少年Mにおびえつづけていたのだから無理もない。さすがの根古にも、読み取れないものがあるとわかって坂水はおかしかった。 「ボクらは、同志だそうですよ」 照れたように、しかしほがらかに坂水が笑う。枕田の手で涙をぬぐわれ、自分でも服の袖で乱暴にこすった目のまわりが、ヒリヒリと痛むがかまわなかった。そんな坂水に、眼鏡の奥で根古の瞳がまるくなる。この老紳士に気にかけてもらえることもまた、坂水の気持ちを上向かせた。 教会の外に、四郎の姿は見当たらなかった。どこにいても、坂水の視線をひきよせてやまない背中を捜す坂水に、根古が案内したのは、教会近くの休憩所だった。 「四郎様。坂水殿です」 小屋を模した小さな建物の入り口で、根古が中に声をかける。さんさんとそそぐ陽光から逃れて、屋根のある暗がりのベンチでは、四郎がこちらに背中を向けて横になっていた。どことなく、機嫌が悪い。顔を見なくても、筋肉の張り方でそれがわかる坂水は、休憩所には入らず先手を打つことにした。 「普通のですか、それとも限定版?」 坂水のセリフに、四郎の肩がピクリと反応した。肩越しにふりかえった横顔には、やはり不機嫌な青筋が立っている。眉をひそめたまま、発せられる声は低かった。 「なんの話だ」 「ゴリゴリ君アイス。買ってきて欲しくて呼んだんじゃないんですか」 目立たず、誰にも気にとめられず、目が合っても覚えられることすらなく。子どものお使いのように、四郎が欲しいものを買ってくる。そのくらいしか役に立てることがないと、胸に秘めた自嘲が声に滲まないように坂水は祈った。 体を起こした、四郎の眉間にはまだ深いシワがあった。四郎が、こんなにもあからさまに、根古もいる前で坂水をにらみつけることは珍しい。良くも悪くも、坂水は人前で四郎の怒りの矛先を向けられた経験がすくなかった。二人きりのときは、よく怒られるけれど。睦みあった記憶さえ、遠い思い出に感じられて坂水の胸が重くなった。 怖い顔で、ベンチに座る四郎は自分の隣を指差す。座れ、という無言の命令だった。 坂水は「はて」と内心で首をかしげた。どうやらパシリの用件ではなかったらしい。かといって、根古がいるのに六道に関することをあえて坂水にふる道理はなかった。思い通りにことが運ばなくて、おまけに外は暑くて、八つ当たりで坂水を殴りたいのなら隣に座れという指示はおかしい。 脳内シミュレートはどれもしっくりとこず、坂水は悩みながらも小屋に足を踏み入れる。屋根の下にはいっただけで、すっと空気が冷えた気がした。四郎の脇に腰を降ろすと、なおのことそれを強く感じる。目の前に見える噴水の景色、ときおりそよぐ風が、水しぶきを運んできてくれるようできもちいい。まだ外に立ち尽くして、微動だにしない根古とは体感温度にどれほどの差が出ているのか。 これがおなじ都内なのか、と坂水が感嘆の息をもらしかけたとき、視界の隅でなにかが傾いて膝に落ちた。ぱっと視線をおろすと、四郎の頭が乗っている。 「亜久里さん?」 「いい按配だからこのまま寝るぜ」 「まじっすか」 用件ってそれか、と坂水が驚いている間に四郎はまぶたを下ろす。幼い寝顔に、どきりとした。 「お昼寝をご所望でしたか、四郎様。膝枕でしたらこの長吉が」 「ジジイの抹香くせぇ膝はお呼びじゃねぇ!」 いとけなかったはずの寝顔は、般若の顔つきになって根古を睨みつける。この炎天下に老人を立たせたあげく、若者二人は日陰にすわって、おまけにひとりは膝枕で寝ようとしている。理不尽だし、不道徳だ。だがそんな理屈は、「悪党」を自認する四郎に鼻で笑われておわりだろう。ミハルの父ほど敬虔にはなれない坂水は、四郎の機嫌を優先することにした。 「枕田さんを、呼びましょうか」 おなじ膝枕でも、坂水と枕田では雲泥の差だ。アニマに通じた枕田の、手触りのよさとかぐわしい香りを坂水は知っている。坂水はそそられないけれど、あの甘いにおいは眠りたい四郎の神経をほぐせるに違いない。万が一、賞金狙いの不良が現れても、枕田が一緒なら大丈夫だ。 「教会にいますよ。さっきまで話してましたから、ボクら」 「知ってる」 妙案だと思った枕田の膝枕は、四郎の機嫌を上向かせない。四郎の声はより低くなった。 「アイツじゃ寝首をかかれかねねぇ。おちおち眠れやしねぇよ」 枕田への不信感を露にする四郎に、坂水は眉をひそめた。 「えー、それはないと思いますよ。枕田さん、亜久里さんに一途じゃないですか」 「さぁ、どうかね」 「うーん……。それじゃあ、ミハルちゃん?」 ミハルなら頼めばやってくれそうだ。あの清純ぶりからして、においもイイに違いない。問題は小鉢が可哀そうすぎることと、枕田の嫉妬が本格的にこわい点だ。坂水は男でタチだから見逃されたが、若い女のミハルに枕田は容赦しない。とはいえ売店のおばちゃんは身重だしな、とブツブツと坂水は四郎の女っけのなさに頭を悩ませる。それでも、男の、しかも坂水の膝枕よりはマシだろうと、四郎のためを坂水は考える。 「うるせーぞ。枕がしゃべんな」 坂水の思案は、四郎の声でぴしゃりと打ち切られる。四郎の中で、すでに坂水の膝で眠ることは決定事項であるらしい。こんな筋ばったかたい膝で、それでもどうにか居心地のいい場所を探そうとする四郎の意地に、坂水はもう何もいえない。頼みの綱の根古でさえ、気づけば背中が遠く見える場所にいた。 どうも虫の居所が悪いらしい。意固地になった四郎は、泣きわめく赤ん坊よりやっかいだ。こういうときは、腹をくくって付き合うしかない。もうすっかり覚えた四郎の扱いかたに、坂水はあきらめの笑顔をこぼした。 「30分で、起こせばいいですか」 「俺がいいっつーまでだよ」 「はいはい……」 どこまでもわがままな暴君を貫く四郎に、あきれぎみの坂水だが瞳の色はおだやかだった。勇気を出して、そっと四郎の髪を撫でてみる。四郎はなにも言わなかった。しばらくして、呼吸が深い寝息に変わっていく。 本当は、この膝にかかる重みを、坂水は誰にも譲りたくない。頭が膝に落ちてくるときに感じた、四郎の香りも手放したくない。四郎の声に、息遣いに、真夏の空気を隔てても伝わる体温に、坂水の肌は震えっぱなしだ。 あてになど、されていない。いてもいなくても、おなじ。「一緒に来い」と呼ばれたことにこだわっているのは坂水だけ。そう、身の程をわきまえようとしているのに。 『ボクは、キミたちの邪魔にはならないよ』 枕田にあんなことまで言ってしまったのに、肝心の四郎の頭は坂水の膝の上にある。無防備な寝顔はいとけなくて、母親でもないのに命に代えても守りたくなる。そんな坂水の心のありようを、見抜いた上での人選だろうか。それとも、ただ単に、四郎が、そうありたいと願ってのこの時間なのだろうか。 「ずるいなぁ」 信頼されてるようで、期待したくなる。 四郎の寝顔を見下ろして、坂水は切なげに口角をあげた。 ++++++++++ 超悪党ヅラの四郎くんと、枕田さんに見せた無邪気な笑顔の四郎くんのギャップがたまりません。 |
2016/05/17(火)
蟻の王
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