蟻の王 坂水×亜久里四郎
title by 21



真昼の真実



 坂水は暑さに強い。本人にたしかめたわけではなくて、この暑いさかりに上着も脱がないことから、四郎が勝手に決めつけた。今も、四郎の頭を膝に乗せて、袖をまくるでもなくゆうゆうとベンチに腰を下ろしている。いくらここに屋根があって風通しがよくても、夏の真昼をナメた坂水とおなじ格好を、四郎なら五分と耐えていられないだろう。
「こりねぇよな、小鉢も」
 朝から小鉢を見かけていないと、坂水は言った。膝の上の四郎が、小鉢は父親の見舞いに出かけたミハルについていったと教えた。「もしかして、あの二人進展しました?」と坂水はトンチンカンな推測で微笑むから、四郎は「そんなわけねぇだろ」と舌を打つ。相変わらず、ミハルに声をかける勇気のない小鉢は、コソコソとあとをつけていったのだ。
「ボクは、わかるけどなあ。小鉢くんの気持ち」
 肉原の件を経ても成長しない小鉢に、坂水が同情をよせたことに四郎は目をぱちくりとさせた。
「てめぇもストーカー予備軍かよ」
「そういうんじゃなくて……」
 坂水は四郎を見下ろして、困ったように笑って首をふる。屋根の下にいる坂水は、血の気がよく見える。日陰が目元のクマを隠すからだろうか。
「本当に好きなひとに出会えたら、見ているだけで幸せになるもんですよ。自分がちっぽけに思えて、そのひとが世界のすべてになる。だからますます届かなくて、見てるしかなくなるんです」
「わっかんねぇ。好きなんだろ? だったらどうにかして振り向かせろよ」
「お子様だなあ、亜久里さんは」
 肩を揺らして笑う、坂水の振動が膝まで伝わる。からかわれたことも、小鉢以下の子ども扱いされたことにも腹が立つ。だが、ふるふると波うつこの膝から、頭をあげてまで坂水をシメようとは思わなかった。
 坂水の視線が外れ、教会の庭に向けられる。伸びた首筋を、汗がひとしずく流れていくさまに四郎は目を奪われた。
 坂水も、暑さを感じている。けれど彼はめったなことでは、長袖の上着を脱がない。だから彼が水浴びやセックスのおりに、その身をさらけだすたびに四郎は高揚する。彼の手がジッパーにかかっただけで、条件づけされた犬みたいに、次に現れるものを期待して、息があがった。
「でも人間は欲深くて、見ていることに耐えられなくなる」
 またひとしずく、汗が坂水の首を流れ、シャツの下へと落ちていった。自分とおなじつくりの坂水の体に、汗がじかに流れていくさまを想像して四郎は唾を飲み下す。まさか汗ひとつで四郎を興奮させているとは知らない坂水は、ながめの前髪からのぞくまるい瞳を、噴水にむけたまましゃべり続けていた。
「初めは本当に見てるだけでよかったのに。すぐに足りなくなって……、そばにいたくなって、触りたくなって。しまいには、相手にもおなじだけ自分を見て欲しい、おなじだけ、欲しがられたいって願いだすんです」
 それが小鉢にとってのミハルだった。肉原のようにならないだけ、小鉢は紳士的なのだと坂水は彼をかばう。
 紳士的? 臆病の間違いだろうと嘲笑いたくなる四郎に反して、坂水は恋に挙動不審になる小鉢にとても同情的だった。坂水がそうなる事情を、四郎は深く考えることなく口にする。
「オマエにとって、俺みてぇな?」
 どう考えても、つまりはそういうことだろう。ホテルの最上階から、四郎を追ってダイブしてきてからの、坂水の言動を振り返って四郎はあっさりと結論づけた。なんの情緒もふくませない四郎の問いかけに、ようやく四郎に視線を戻した坂水はにっこりと笑う。
「そうですよ?」
 とぼけるように、すこし上ずる言葉尻。軽薄な答え方は、今まで続けてきた軽口の応酬に、坂水の本心を紛れ込ませようとする魂胆か。
 四郎は驚いた。坂水の言葉でも口調でもなく、四郎への恋を認める坂水の表情のうつろいに。坂水のあのまるい瞳が、四郎を映しながらその奥を眺めてかすんでいく。
 坂水は笑っている。四郎の問いにふざけるように答える前から、この瞬間に至るまで、五秒とかからないわずかな時間で、坂水の微笑みは四郎への想いの切なさを雄弁に語って見せた。
 それは何かに、諦めたような笑みだった。神の御業にひざまずく信徒のような、山頂に大岩を運んでは落とされる神話の男のような、賽の河原で石をつむ子どものような、届くことを、実ることを、望み疲れた顔だった。

『亜久里さんが、好きです』

 キスのとき、セックスのとき、いくどとなく四郎の耳に染み渡っていた告白を、このところ聞いていない。想いを紡ぐ言葉を、坂水の喉の奥にひきとめるものがある。その正体を、四郎は坂水のせつない微笑みに見つけた気がした。
「今更じゃないですか」
 つらく苦しい恋の屋根の下で、坂水は顔をほころばせていた。そのとぼけ方がまた、坂水を年上らしく見せて、普段はまるで意識していないことなのに、四郎から彼を遠ざける。
 頭の下には坂水の膝があって、上を向けば顔が見えて、口を開けば声と息が触れる。坂水はここにいる。昼寝の枕になれという、四郎の命令に従ってここにいる。
 こんなに傍にいるのに、伸ばした手が届かない気がした。窓から覗いた教会で、枕田にからまれている坂水を見たときと、限りなく近い感覚が四郎の胸にせまる。
 呼びつけて、膝を使わせて、誰にも邪魔できないように独占した。邪魔なものは排除する、欲しいものは力ずくで手に入れる。我流を通す四郎の前で、しかし坂水は小鉢なんかの話をする。

 オマエは、俺だけ見てればいいんだ。

 小鉢の恋に心を寄せて、枕田の前で涙をこぼす。そんな坂水は四郎の前では笑っている。そのことが、四郎はひどく気に入らなかった。
 まるい頭をつかんで、唇を奪って、きょろきょろと注意力が散漫な瞳を自分に釘付けにしておきたいのに、肝心の腕が動かない。こんな気持ちだろうか。好きなのに、欲しいのに、振り向かせたいのに、その一歩が踏み出せない男のもどかしさは。
 四郎は頭の中で首をふる。そんなヘタれた精神は、亜久里四郎にはそなわっていない。これはきっと、頭を乗せた坂水の膝が気持ちよすぎるせいだ。おまけに、坂水の指が、四郎の髪にわけいって優しくなでてくる。四郎を気持ちよくするやり方を、坂水はよく心得ていた。
「寝てください。外に出るには、暑すぎるから」
 そういう坂水は、暑くないのか。四郎が寝込んでしまっても、困らないのか。坂水が何を苦しんでいるのか、四郎にはわかりそうもない。

 ちくしょう、覚えてろよ。

 四郎の放った悪態は、正しく発音されただろうか。坂水に届いたか聞き届けないうちに、四郎の意識は夢に落ちた。




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いったん、坂四はこれでおしまい。4巻の発売を待ちます。はー、すっきりした。
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2016/05/18(水) 蟻の王
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