過去作品倉庫とは

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21.02.2013 旧ブログ初掲載




 私、荒垣先輩としちゃってるの

 彼女はそう、さらりと言った。だから風花も、

 だと思った

 とさらりと答える。喫茶シャガールの片隅、二人用の小さなテーブルを挟んで風花を見る彼女の瞳に後ろめたさの影はなく、窓辺の夕陽を受けて彼女に向かう風花の胸にも強がりは咲いていない。年頃の少女が口にするセンシブルな話題は、ジャジーな喧騒にまぎれてしまう。それでも、どこかで誰かが聞き耳を立てているかもしれない。風花がちらりと抱えた懸念も、どこ吹く風の彼女の唇はなめらかに動く。

 あの時、私には、先輩の優しさが必要だったの

 言い訳じみて聞こえないのは、彼女の赤い眼差しの潔さのせいだ。日暮れの空もものともしない、本当の赤。最高グレードのルビーを思わせる双眸が放つエネルギーを風花は知っている。勇気と慈愛を兼ね備えた、なんてまるでこどもが大好きな菓子パンのヒーローみたい。忘れないで夢を、こぼさないで涙。ヒーローの歌そっくりに、彼女はあの戦いの最初から最後まで一度も泣かなかった。少なくとも風花の前で、真紅の瞳が潤むことすらなかった。
 先輩の腕の中では、泣いたのかしら。
 10月のあの日の後は、どうしていたのかしら。
 未知、不穏、不気味、と三拍子揃った戦いの日々で、否応なく圧し掛かる不安と重圧。不自然なほど和気藹々と肩を寄せ合った仲間の存在は、心が殺伐とした方に傾くのを留める唯一の支えだった。とりわけリーダーの任を負った彼女と、深緑の暗がりで癒えない傷を抱えていた彼が、互いに寄りかかる何かを求め惹かれあうのは当然の成り行きのように思える。その何かが、肉体の温もりだったということ、と風花は素直に彼女の告白を受け入れた。風花たちが夜の闇を恐れ、月の満ち欠けに胸を波立たせてきた一年は、それほど過酷だった。
 黒と緑に分断されたあの塔の中で、先頭に立ち続けた少女は、ありふれた学生服を無難に着こなし、どこにでもあるような喫茶店のコーヒーにミルクと砂糖をたっぷりと入れている。カチャカチャとティースプーンで奏でる指先の爪は綺麗な桜色で、羨ましい。

 でももう、終わったから。風花が見たとおり

 何の変哲もない日常の風景に、見事にとけ込んでいる彼女は、風花の前で微笑んでみせる。

 さっき、先輩に何を渡していたの
 時計よ

 風花の問いに、彼女の目蓋が少し落ちる。彼女がこの場で初めて見せた逡巡。指先の桜貝が白いコーヒーカップの縁を撫でる。

 先輩に、もらったの、前に

 言葉どおり、制服の袖からむき出しになった、彼女の左手首には何もない。以前そこにどんな時計が巻かれていたのか、風花は憶えていなかった。憶えているのは、放課後の校舎で目の当たりにしたイメージばかりだ。
 料理部を終えて家庭科室を教員に明け渡した後、いつまでたっても現れない荒垣を探して道を引き返した風花の目に、映るのは二つのシルエット。良く見知った姿に正体は嫌でもわかる。背の高い男と華奢な少女の輪郭が、斜陽にかたどられた影絵はひどくロマンチックで、風花はひとり息を飲んだ。
 高い位置にある彼の顔を、見上げた彼女の口元が動く。聞きなれた声が、風花の耳にも届いた。

 迷惑かけてごめんなさい。でも、ありがとうございました

 甘くて優しい、コンペイトウみたいなチャーミングな声が他に人気のない廊下にこだまする。応えるのは、少しだけハスキーな、けれど彼女と同じくらい優しい低音。

 迷惑だなんて、思っちゃいねぇよ。礼なんかよせ、気色わりぃ
 うん、でも先輩は優しいけど怖がりなところがあるから、私からちゃんと言わなきゃいけないって思ったんです
 誰が怖がりだ、誰が
 ふふ、そういうことにしておきます
 相変わらず、わけわかんねぇ女だな

 交わされる軽口は二人だけの世界でのみ成立をしていて、声がはっきりと聞こえる距離にありながら透明なガラス壁にでも隔てられている心地に、風花は息を殺して耳を澄ますことしかできない。彼女の意味深な言葉に、不快に顔をしかめているのか、仕方ないなと笑っているのか、荒垣の横顔から表情を読むには逆光が強すぎる。そのことに感謝すべきか否か、風花は迷い、迷ったことに胸が軋んだ。
 さっきまで、ずっとずっと近くにいたのに。風花の手際の悪さに助け舟を出してくれる手も、ぞんざいなようで的確な助言を乗せた声も、もう、こんなに遠い。
 風花ひとりの料理同好会は、立ち上げから一年と少しがたった今、ほぼひとりではなくなりつつある。まな板とコンロに格闘する風花の一挙手一投足を見守る寡黙な気配が、ゆっくり、確実に、風花の背中に馴染んでいた。
 無防備に背後をとられることも、日暮れの帰り道を半歩下がって歩くこともできる。けれどまだ風花は、荒垣と対面して言葉を交わすことをほとんど経験していない。あぁなりたい、ようやく手が届きそうで、夢や理想というには大げさな憧景が、風花を爪弾きにして転がっている。
 それでも、口惜しさや羨望より先に、風花の心が掬い上げたのは納得だった。
 やっぱりね。
 特別だったものね。
 彼女も、荒垣も、特別課外活動部で一種独特の存在感を放っていたから。
 波間に別々に浮かぶボートに乗ったまま、近づいてはすれ違って遠ざかるを繰り返している風花と違い、彼女は一足飛びで荒垣のボートに乗り込むことが出来たのだ。持ち前の勇気と愛で。
 二人の会話の中身がどうであれ、あそこに自分が許される居場所はないと、風花は黙って立ち去ることを決意する。まだ二人の意識は、互いにだけに注がれている。上手くいくはずだった。彼女と目が合わなければ。

 風花

 彼女の視線と声に、荒垣の影が動く。陽射しの加減が変わって、ニット帽を脱ぎ、襟足を切った彼の顔が風花に向けられる。やまぎし、と彼の薄い唇が風花をかたどるのが見えた。
 そこから先はあっという間だった。タルタロスで薙刀を振りまわしていた俊敏さをそのままに、彼女はまたたく間に荒垣の傍らから離れ、風花との距離を縮める。風花の腕を取り、一緒に帰ろうと言うかと思えば、荒垣先輩さようなら、とついに風花に一言も発せさせないまま、彼女は荒垣を橙色の廊下に置き去りにした。
 途惑う風花に彼女はそっと耳打ちする。

 ちゃんと、話しておきたいことがあるの

 そうしてシャガールの片隅で、風花は彼女が荒垣に捧げた純情話の一端を、てらいのない言葉で語るのを拝聴した。

 じゃあ私が見たのは、別れ話だったの
 もうとっくに別れてたみたいなものだけどね

 荒垣との関係は一度きり。戦いが終わってからは、荒垣の回復が長引いたことや彼女自身の不調も相まって、二人で言葉を交わすことさえ数えるほどだったと彼女は打ち明けた。そして、少しだけ声のトーンを落として続ける。

 私は、先輩の喉に刺さった、小骨だったの

 優しいけど怖がりな人、そう彼女は荒垣を評した。戦いぶりからも、天田のために命を投げ出した覚悟からも、おおよそ恐怖とは無縁そうな彼を彼女がそう表すだけの理由を、風花は汲み取ろうとする。
 関係のけじめを彼女から着けなければ、荒垣は次に進めない。戦いの次に訪れた平穏に、赦された未来に、新しい恋に。そんな、優しくて、臆病な人。
 風花がなんとかたどり着いた答えを後押しするように、顔を上げた彼女はにっこりと笑う。

 風花にも、迷惑かけてごめんね。でも、もう大丈夫だから。二人の邪魔はしないから

 愛くるしい笑顔にもさっぱりとした言葉にも、けれんみはない。風花の胸をハッカを噛んだような風がすっと通り抜ける。彼女を邪魔だなんて、一度も自覚したことはなかったけれど、胸のつかえが取れたこの爽やかさを風花は誤魔化せない。
 ガラスの壁はもう現れない。荒垣のボートから彼女は降りた。風花が乗り込むことも、彼が風花のボートに向かって波を飛び越えてくれることもできるかもしれない。
 風花はシャガールの窓から外を見た。話し込んだ感覚はないが、人々が行き交う頭上で、夕焼け空はもうとっぷり暮れている。けれど、怯える必要はないのだ。
 影時間はもう来ない。夜が緑に染まることはない。そしては彼女は、自分が荒垣に遺した影をきちんと引き取っていった。彼女は彼女の、荒垣は荒垣の、風花は風花の、これからの日々を、本当の友情を、新しい恋を育むために。

 どうしてそんなに、かっこいいのかな

 ぽつりと呟いた風花の前で、彼女は笑ったまま首を傾げる。そんな姿まで可愛いなんて反則だから、負けないように、風花はとびっきりの笑顔を返した。

 
 

ペルソナ3ポータブル(NL) 2016/05/08(日)
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