過去作品倉庫とは

過去ジャンルの作品置き場です。
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 くそ、またかよ

 振っても揺すってもウンともスンとも言わない。明らかに誤った数字を差して固まったままの針に、荒垣は小さく悪態をついた。耳元から離した手には、古ぼけた懐中時計が沈黙と共におさまっている。文字盤まで錆びついた、アンティークよりラビッシュというのが似合いの品だ。
 金銭的な価値に乏しく、道具としても無益な金属の塊を弄びながら、荒垣はため息をひとつ。

 なんで捨てれねぇもんかね

 三桁でももう少しまともな時計が買えるご時世で、とうにガタの来ているものに執着するのは、荒垣にとってこれが現在時間を確認するだけのものではないのだと認めなければ説明がつかない。
 長い長い戦いが終わって、どういうわけだか捨てたはずの命を死神から返品されて生きながらえた今だというのに、記憶も定かでない過去を後生大事に抱える自分は女々しく思うのは荒垣の頭半分だけ。

 動かねぇんだが、直せるか

 もう半分は、機械いじりが得意という後輩に修理を依頼するという行動を荒垣に取らせていた。人の心は謎ばかりだと、荒垣は心底思う。

 この懐中時計、荒垣先輩の
 あぁ、できるか

 仲間内でも華奢な風花の白い手におさまると、使い込まれたオモチャのようだった時計は急に重厚になる。おそらく大した価値もないガラクタを、風花は慎重な手つきで裏返し、傷だらけで輝きも鈍い表面を指先で撫でた。

 たぶん、大丈夫ですよ
 面倒頼んで、悪ぃな
 いえ、こういうの好きですから

 言葉どおり嫌なそぶり一つ見せず、風花は笑って荒垣を自室に招き入れる。一瞬戸惑ったものの、荒垣は風花の好意を黙って受けた。意識するのもかえっておかしい。
 淡い緑に染まった部屋は、控えめだが少女らしい風花という存在をよく反映している。棚に飾られた花やナチュラルなカーペットに、闖入者の荒垣は馴染めるはずもなく落ち着かない。席を勧められても、クッションや鏡台のイスは不似合いで、ましてやベッドになど近づけやしないと荒垣は扉近くで立つことを選んだ。
 風花が臨むライティングデスクは、作業用の鶯色したランチョンマットを敷いただけなのに、荒垣の部屋と同じ製品かと疑いたくなる。内装も間取りも飾り方一つでこうも変わるものかと、荒垣は壁に背を預けながら息をついた。

 すぐ済みますから

 そう言って風花は引き出しから取り出した新緑のプラスチックケースを開く。内側に敷かれたダークグレイのスポンジマットの上には、時計修理専用とおぼしき道具がずらりと並んでいた。そのものものしさに、荒垣は思わず口を開く。

 似合わねぇな

 針のように先の尖ったピンセットも、極細のドライバーも、細長いハンマーも、いぶし銀に光る工具は小さいながらひどく無骨で、おおよそ眼前の少女とも部屋の雰囲気ともマッチしない。荒垣の指摘を、しかし風花は気にしたふうもなく返した。

 先輩のお料理と交換できたらいいですね
 確かに

 趣味がイメージとそぐわない点で風花と同類であることに、荒垣は肩をすくめて口角を上げる。

 わぁ

 不意に、風花の声が上がった。とっさに荒垣の背が浮く。ちょうど緑のマットの上で、風花が時計の裏盤を外したところだ。なにか問題かと色めく荒垣に、風花が慌てて顔の前で手を振って見せた。

 ごめんなさい、大丈夫。思ってたよりずっと綺麗だったから

 風花の感嘆混じりの釈明に、荒垣は怪訝に片眉を上げる。風花の熱い視線が注がれた先にあるのは、せまい枠に丸やS字の大小さまざまなパーツがひしめいているだけで、綺麗と褒められる理由が荒垣にはわからない。顔を上げて荒垣に向けられた風花の丸い瞳のほうが、部品がはねた光を受けてキラキラと輝いていた。

 この時計、きっと良い品ですよ、どうされたんですか

 風花からの手放しの賞賛と無垢な好奇心を、予想もしていなかった荒垣はうろたえる。遠い記憶がざわめき、春風が吹いていた胸はあっというまに砂嵐に満たされた。
 年季ものの出所は、荒垣の幼少時代と密接にリンクしている。自分を語る術に慣れていない荒垣は、苦渋に眉を顰めた。

 いいだろ、どうでも

 表情そのままの低い声音に、気立ての良い少女の顔がこわばる。凍った笑顔が、荒垣の良心に呵責を促した。今の今まであった、優しい雰囲気が嘘のようにしおれていくのを肌で感じる。
 荒垣の胸の奥の柔らかくて脆い場所。セピア色の境界に踏み込まれると、反射的に萎縮し全身の毛を逆立てて威嚇する。寝食を共にする仲間たちと、懸命に一線を画していた頃の癖がまだ抜けていないせいだ。
 机の上に向く、風花の誠実な横顔には隠しようのない後悔が滲んでいる。強い力で突き放された可哀想な鼻梁のラインを眺めながら、荒垣は臍を噛んだ。

 これで、しばらくは大丈夫だと思いますけど

 結局、荒垣が招いた気まずい沈黙は、時計の裏盤が閉じられるまで続いた。再び荒垣の手に戻った時計は、何事もなかったかのように正しいリズムを刻んでいる。捨ててしまえといきがって、けれども甦った小さな音に安堵する身勝手さ。荒垣はさしたる時もかけず、希望を叶えてくれた小さな白い手に感謝をした。先ほどのやりとりを気にしてか、風花は目蓋を伏せたまま荒垣の顔を見ない。荒垣の胸がまた、後悔に揺れた。そしてひとつの決意に、荒垣は手の中の思い出を握る。祈るように、勇気を貰うように、荒垣は自分から一歩踏み出した。

 俺が今の家に行くとき、院の先生が寄越したんだ

 ことさら意識した甲斐あって、喉に響く声はおだやかだ。傷と錆びだらけの縁をなぞる親指の向こうで、風花が顔を上げた。

 たぶん、形見ってヤツなんだろうな

 記憶にもない、本当の両親、血の繋がった家族。記録を辿る方法も知らず、そのつもりもない荒垣にとって、以来肌身離さず持ち続けたガラクタがたったひとつの繋がりだ。自分がどこの誰なのか、最後の最後で縋る拠り所だ。だから死を覚悟したとたん、初めて失くしたことが自然の摂理のように感じた。ある人物を介して戻ってきた重みに、心が帰ってきたようで胸が熱くなった。
 生きてくださいと、彼女に、あの赤い瞳に望まれた気がした。

 そう、だったんですね

 うっかり自分の中に沈みこみかけた荒垣を、引き上げたのは風花だった。鈴の鳴る声に混じるかすかな驚きに、むしろ荒垣がいぶかしむ。

 アキから聞いてねぇのか

 明彦は、お涙頂戴の身の上話を吹聴して回るタイプではない。その点は荒垣と同じだが、明彦は取り繕うことを知らない。仲間の面前で交わした会話だけでも、明彦の言葉の端々から二人の生い立ちは想像に容易いだろう。荒垣の疑問に、風花は頭をふる。荒垣の手にすっぽりとおさまりそうな、小さな頭に短い髪がサラサラと揺れる。

 いえ、そうじゃなくて、先輩の口からそんなお話が聞けるなんて思ってなかったから

 ほんの少し言葉に迷い、風花は改めて荒垣を見上げ、照れたように微笑んだ。

 びっくりして、でも、嬉しいなって

 頬を染めた笑顔が、荒垣の視界に咲く。グラニュー糖をまぶした甘い光景が広がった。
 風花は女子の中でも小柄で、とりわけ荒垣と対面すれば、胸の辺りにようやく届く身長差が強調される。そんなことに今更気づいて、いやがうえでも守ってやりたくなる存在感に、荒垣の心の、さっきまでとは違う部分が締め付けられる。跳ねる鼓動が外からでも聞こえそうだ。

 と、とにかく、助かった。手間かけたな
 私でよければいつでもどうぞ、先輩の役に立ててよかった

 矢継ぎ早に贈られる好意と飾り気のない笑顔に眩暈がする。荒垣は脱兎の如く風花の部屋を飛び出した。けれど、次に目が合ったのはよりにもよって自販機の前に立つ順平だった。

 先輩、顔赤いッスよ

 のほほんと指摘した荒垣の顔と、今しがた出てきたばかりの扉の前を順平の目が行き来する。次第にわけ知り顔に変わっていく順平を前に、今日は厄日かと荒垣が毒づくのも無理はない。にやにやとだらしない口が何か言う前に、荒垣は問答無用で順平の頭を小突いた。

 キジも鳴かずば撃たれまいってな、憶えとけ

 無理やり順平を黙らせ、ほうほうの体で逃げ込んだ自室の扉を背に、荒垣は頭を抱えて座り込む。何もない床に風花の笑顔が映った気がして、きつく目をつぶった。何だこれは。
 もともと可愛いもの、小動物には弱い自覚があるし、情にももろいほうだ。だから懸命に、命を預けあう仲間にさえ距離をとっていた。未練、執着、想い出。何一つ残してはいけないと決めたから。
 けれど全てが終わってみれば、死神に渡したはずの命はあっけなく返品され、天田にさえつき返された。生きることを赦されるという、自分にはもったいないほどの熨斗つきで。
 そうしたらどうだ。
 まるで封印でも解かれたように、荒垣の心臓は、頭は、生き生きと動き出す。ペルソナ制御剤に蝕まれた体も息を吹き返しつつあった。これまで押し込めていた反動のように、荒垣の中で生命が燃えている。
 一度は手を離れた懐中時計。赤い瞳の少女が見つけてくれた懐中時計。この部屋で触れた彼女の温もりもまだ生々しいうちに、永い眠りについた彼女が目覚めないうちに、もう別の少女に心惹かれている。まさか自分が、こんなに惚れっぽい男だとは荒垣は信じられなかった。

 めちゃくちゃかっこ悪いな

 与えられた人生を、自分はもっと硬派に生きるべきだろうに。だいたい、目覚めたとき彼女にどんな顔をして、何と打ち明ければ良いのか。

 ダッセェにもほどがあるぜ

 握り締めた手の中で、一度止まった懐中時計は再び時を刻んでいる。カチカチと囁くその音が、まだ格好のついていたあの頃には戻れないと、荒垣に教えていた。




ペルソナ3ポータブル(NL) 2016/05/08(日)
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