過去作品倉庫とは

過去ジャンルの作品置き場です。
基本的に更新を終了しています。
25.10.2011 旧ブログ初掲載




 「留守番でもかまわないが」
休日のうちに済ましておかなければならない買出しに、照はこちらが誘ったわけでもなく自主的に同伴を選んだ。スーパーマーケットの磨かれた床の上を、カラカラと音を立てて進むカートを押しながら、ステファンは左側に並ぶ肩を興味深く受け入れる。日本から来た期間限定のパートナーはその立場をものともせず、出会って三日を過ぎて、ステファンの日常に組み込まれつつあった。
 生鮮食品クーラーボックスにも、セールの札が貼られた日用品の棚にも目もくれず、ステファンは客足がぽっかりと限定された棚の間でカートを止める。
「買うべきものの最優先は、それか」
サイドから投げかけられる照の声に、呆れが混じっているのは決して聞き違いではない。ステファンは、缶詰、ビニールパック、紙袋と様々にパッケージされた無数の商品のラベルに目を走らせながら、その一つを手に取った。
「シンディはグルメなんだ」
成猫用と銘打たれたそれは、ステファンがこの世で唯一気を許すレディのためのもの。パッケージには、彼女と同じ毛長で凛々しい顔をしたメインクーンがプリントされていた。
「真の美食家は、健康にも気を遣わないとな」
低カロリーフードを手に笑いかけても、ステファンに向けられた照の目元はぴくりとも動かない。これが焼餅なら可愛いのだけれどと、ステファンは初対面以来の照とシンディの関係に思いをはせる。照の病的なまての規則正しさをすでに目の当たりにしているステファンの見立てでは、照は猫より犬派なのは疑いようが無い。
 ミルクのボトル、バター、チーズ、フレークの箱に、トマト、セロリ、ニンジン、タマネギ。猫の額のような魚コーナーは一瞥もせずスルーして、ベーコン、牛肉を大量に放り込む。リノリウムの上でキュルキュルとあがるキャスターの悲鳴を無視して、飲料水、洗剤やソープの類をカートに乗せていった。
 大量生産大量消費こそ、アメリカンスタイルの象徴。それにふさわしい大量の買い物を続けながら、ステファンはこっそりと、無駄口一つたたかず随伴する日本人を観察している。そして、彼の行動にひそかな感嘆を覚えていた。
 カートなんて、レジに着くまで商品を乗せて置ければいい。支払いが済めば、またざっくりとカートに乗せて、車まで運ぶだけのこと。そんなステファンの常識に、照は真っ向から挑みかかっていた。形状、硬度、重さ、使用目的を考慮して、80センチ四方も無いかごの中で、商品がみごとにレイアウトされていく。卵の下でセロリがひしゃげることも、ミネラルウォーターの先端がはみ出ることも、洗濯洗剤のボトルの隣に生肉が並ぶことさえなかった。そのあまりの整然さに、ステファンは今自分が押しているものがプラスチック製のチープなバスケットだということさえ忘れそうになる。
「魅上は器用だな」
ステファンがフレークの箱の上に乗せた歯ブラシと歯磨き粉を、照は無駄の無い動きで、ボディソープとシャンプーの間に差し込む。青色のチューブが、まるで誂えたかのように二つのボトルの間で落ち着いた。
「君に言われても皮肉にしか聞こえない」
「僕はボトルシップは得意だが、ジグソーパズルは好きじゃないんだ」
ステファンは次にヘアワックスとデオドラントを掴んだ手を、カートに置くことなく真上で止める。そしてほんの少し、カートを挟んで向かいに立つ照に向けて差し出した。ステファンの長い指に挟まれた二つとステファンの顔の間で、照の視線が物言いたげに上下する。
「任せる」
照の無言の問いに、ステファンはシンプルに答える。照はしばし沈黙した後、両手で受け取ったそれらをやはり最もふさわしい場所へ置いていった。
 開店前の陳列棚よりも乱れのない、システマティックなカートの中身に、ステファンは思わずため息をもらす。きっと照の世界は、このカートと同じくらい美しく、秩序に満ちているのだろう。そしてその世界のバランスを保つことに手間隙を惜しまないひたむきさが、特別な宝物を守る子どものようで、ステファンにはひどく可愛らしく見えた。



 休日の大型スーパーのレジには、長蛇の列ができる。どのカートも、ステファンのそれと同じく、一週間もしくはそれ以上の期間を恙無く過ごすために必要なものたちで溢れていた。結果、遅々としてレジに近づかない列の中で、ステファンの関心は、不平一つ言わず隣に控える照に向けられる。先ほどから、照の視線は落ち着かない。列の前後左右に限らず、勘定を終えた客たちの行く先まで追っていた。
 ステファンの知る照は、いつも沈着としていて、予想外の事態に際してもそれをあからさまにしない。照らしくない素振りに、問うよりもまず観察し、推理しようとしてしまうのはステファンの職業病か。ステファンたちの前に立つのは、家族連れで、こちらは進まない列に退屈した、翼でもついているような子どもたちを抑えるのに親たちが必死になっている。背後は振り返らずとも、若いカップルの発する、悩ましげな声や雰囲気にあてられそうだ。年齢、人数の構成は異なれど、レジの周囲にごった返す人々は概ねそのような事情で、男二人連れのステファンたちが少し浮いているように見えなくもなかった。
 そこでようやくステファンは、照の怜悧な双眸が眼鏡越しに追う先に検討がついた。そしてそれを確かめるために、ステファンはやや肩を下げて、照の長めの黒髪に隠れた耳に声をひそめて囁く。
「意外にいないと、思ったんだろ」
ステファンの周囲をはばかる様子を、聡明な照は正しく汲み取って耳打ちを返す。
「この国は、そういうことに寛容という認識がある」
「隣人がそうなら、認めるしかないだけさ」
投げかけられる照の視線が、通り抜ける眼鏡のレンズには曇り一つない。クリアな眼差しに、ステファンはほんのわずか揺れる程度に首を左右に振った。
 この国は、決して同性愛に寛容なわけではない。差別防止の法律も、パートナー制度も、共存のための手段だ。
 ステファンは必要以上に顔を寄せる。不自然な至近距離に、引きかけた照の肩を掴んだ。
「キスしようか。きっと面白いものが見れる」
ステファンはちらりと背後に目線をやれば、つられて照が肩越しに後ろを見る。真後ろにはやはり若いカップルがいた。そしてその後ろに立つ妙齢の婦人が、お互いしか見えていない男女の隙間からこちらを見ている。そのアッシュグレイの瞳には、訝しの色がはっきりと見て取れる。
 照が動揺する気配は無い。リアクションを通り越したのか、からかいすぎたかと体を起こして掴んでいた肩を解放すれば、思いの外明瞭な声が飛び込んできた。
「男が好きなのか、女がダメなのか」
包み隠す気の無い声量に、結局不意をつかれたのはステファンの方だ。スクランブルエッグが好きかポーチドエッグが好きか、そんなたまごの料理法を尋ねるかのような気安さに、ステファンは一瞬返す言葉に詰まる。
 堂々としていれば後ろめたいことなど何も無いのだと、照の仮借ない眼差しと澄明な声が訴える。ステファンは、照の並べたカートの中を思い浮かべた。照の思考規律は、「正しい」か「正しくない」かのふたつだけ。ステファンとの関係は後者にカテゴライズされず、従って照には恥じ入る必要ないのだ。
 おそらくここでステファンがキスにおよんだとして、照が指摘するのは行為そのものではなく、場がふさわしく無いという点なのだろう。
「きっかけから言えば、後者だな」
ようやく出したステファンの返事の声は、照のそれと等しく音量になっていた。
 気づけば数歩分空いていた前との距離を、ステファンはカートを押して詰める。レジはまだ遠い。
「母の死に方が結構キツかった。姉は今でも引きずってる」
休日の大型スーパーのレジを待つ列で、家族連れやカップルに挟まれながら、交わされる話題はステファンの過去にのしかかる重い影だ。
「今の仕事を、選んだことにも関係するのか」
照は不思議と、ステファンについて聞きたがる。彼には彼の世界があり、共有できない他者には興味が無いとばかり思っていた。それとも、自分は今、彼の世界に受け入れられつつあるのだろうかと、ステファンは頭の片隅で思料する。
「そうかもしれない」
平穏で退屈な日々の象徴のようなこの場所は肉親の死別やトラウマとは不似合いすぎて、同時に仮に二人の会話を耳にするものが居たとしても、この場限りで済む存在であるが故に、口に出してしまうのにふさわしいようにすら感じられた。
 それでも、先ほどの意趣返しならば、随分と趣味が悪いと、不意にステファンの心に影が差す。一方的に、相手のペースに引き込まれるのは好ましくなく、ステファンは照を見ずに話を進めた。
「じゃ、僕にも質問させろよ。魅上の母親は?どうして死んだ?」
ステファンと同様、照が母親と他界していることを知ったのは今朝のことだ。似たもの同士、割り切った部分と一生抱え続けるだろう心の隙間をもてあましていることは容易に推察することができた。だからこそ、その時は避けた話題を持ち出してしまったのは、売り言葉に買い言葉なのか、それとも、自分が自覚する以上に照を理解したい情動に突き動かされたのか。いずれにせよ、一度口から出た言葉は取り消せない。百も承知で犯したミスに、ステファンは口の中で舌を打った。
 そうこうしている間に、逃してしまったのは、話を打ち切るタイミング。ステファンよりも、照の口が先に開いた。
「・・・事故だ」
照の声が硬い。聞いたことの無いような硬度の高い、重々しい声音に、ステファンはやはり触れるべき話題ではなかったのだと、眉を顰めた。
「そうか」
照の淡々とした語り口は続く。ステファンにとっては、聞くに堪えない静けさだった。
「未成年の無免許運転に巻き込まれた」
「わかった」
「乗っていた四人と一緒に母も死んだ」
「もういい」
止めさせようと照に顔を向けたステファンを迎えたのは、ひどくこわばった照の形相だ。ステファンにとって、それはひどく見覚えのある面差しだ。
「だから検事になった」
デ・ジャヴだった。まるで世界中が敵だと言わんばかりの、悲しみも痛みも通り越した決意を秘めた危うい眼光は、かつてステファンが鏡に映る自分の中に見つけたもの。
「これでいいか」
日常の鉄面皮を食い破り、顔を出した照の過去は、警戒心をむき出しにした満身創痍の猫のように、ステファンに牙をむく。
「あぁ、充分だ・・・」
ステファンは、不用意に照の傷に触れたことを後悔する。あの冷静で泰然とした照の顔つきを、思慮分別を欠いた自分の言葉が豹変させてしまったのだと。
 いつの間にか、前の家族がレジで支払いを始めている。二人は自然と口をつぐんだ。自分たちの番が来ても、荷物を車に積み込んでも、二人の沈黙は続いていた。
 助手席の照をバックミラーで気にしながら、エンジンをかけるステファンはまだ知らない。ここで引いてしまったことが、後々の二人の不幸に繋がることを。
 照の言葉の行間を読みきろうとしなかったことを、検事になるまでの照の心の軌跡を追わなかったことを、照の二者択一しか存在し無い価値観がもたらす歪みに気づけなかったことを、ステファンが心の底から悔いることになるのは、もっとずっと後のことになった。




きっとその先には何も無い。
(あの時、君の狂気に気づいていたら)




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タイトルはやはり「21」さまより拝借。

デスノート(BL) 2016/05/08(日)
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