過去作品倉庫とは

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20.09.2011 旧ブログ初掲載




「酷い顔だな」
アクビーの遠慮ない開口一番に、狼はしかめていた顔をより一層渋くする。湧き上がる大きな欠伸が、彼が寝入り端だったことを如実に物語っていた。
「当たり前だろ、何時に帰ったと思ってんだ」
「寝ていないところを悪いが、緊急招集だ。30分後にオフィス5でミーティングがある」
「勘弁しろよ、15分で支度しろってか」
「だから私が呼びに来たんだ。ホラ、着替えて。資料は読み聞かせてやるから」
「ありがてぇな、涙が出る」
任務完了に帰宅早々の呼び出しは、狼やアクビーにとっては日常茶飯事であり、自己の有能さを肯定する要素でしかない。睡眠不足も名誉なことだと、アクビーに背を向けた狼の腕は身支度に動き始めている。ドアを閉めて改めて室内に振り返れば、狼の裸の背中が晒されていた。
 もう、これしきのことで動揺はしない。
 伊達に丸二年、国際警察の養成所で彼と寝食を共にしたわけではなかった。狼が部屋着のシャツやボトムスを脱ぎ捨てていく間、アクビーはリビングに置かれたソファに腰を下ろして、会議の要項を読み上げていく。相槌一つなくとも、狼が聞いていない心配はしていなかった。
 入室から5分も立たず、アクビーの座る左隣が深く沈む。手許の紙から顔を上げれば、きっちりいつものスタイルを整えた狼がいた。無精ひげにまで手が届かなかったのは、この短時間では仕方がない。
 早いな。では早速行こうか。
 そう狼を促して、アクビーが立ち上がることは叶わなかった。隣から、狼の姿が消えた。そして膝と腰が異様に重い。手に持った書類の端から、明るい茶髪が覗いている。
 消えたと思った狼の身体はソファに横たわっていた。アクビーの膝と腰にかかる重圧は、太ももの上に乗った狼の頭のせいに他ならない。
 さすがに、アクビーは悲鳴をあげそうになった。逃げ出したい気持ちと立ち上がれない重みに、アクビーの体が身じろぐ。
「10分」
その声は膝の上から聞こえた。アクビーの狼狽をなだめるような、ただ単に眠気をたっぷり含んだだけのような、ゆったりとした声音だった。
「10分したら・・・、ダッシュでヒゲ剃って、資料読んで・・・、バイクでかっ飛ばすから・・・」
だから寝かせろという続きは、たちまちアクビーの膝の上で寝息に変わっていった。
 狼は独身だ。生家は祖国の名家だから、この部屋は仮住まいにすぎない。独身で仕事一筋の男の部屋は、雑然としていて、静かだった。ソファの肘掛に投げ出されたシャツ、テーブルの上に置きっぱなしになっている新聞の日付は一週間前。規則的に深く短く繰り返される狼の呼吸は、アクビーの鼓動と噛み合わない。
 狼の部屋で、ただアクビーひとりが異質だった。
 部屋を見渡すだけで突きつけられる違和感に、アクビーは思わず視線を落とす。それが最大の失策だったと気づいたのは、自分の膝の上で眠る男の横顔を視界に入れた後では遅すぎた。
 見えたのはあまりにも、幼けない寝顔だった。眉は凛々しさを捨て、瞳は鋭さを隠し、唇は緊張を失っている。
 その幼さが、アクビーの胸を打つ。
(初めて、見たわけではないだろう・・・?)
 そう言い聞かせるのが滑稽なほど、裸体より、布越しに膝にかかる吐息より、驚くほどのあどけなさを取り戻した横顔が、アクビーの情動を激しく揺さぶる。
(君はそんな顔で、私に全てを委ねるのか)

 時よ留まれ。
 お前は美しい。

 狼に許された10分を一秒でも引き延ばせるなら、メフィストに魂を売り渡すファウストが確かにアクビーの中には存在した。
 欲望に忠実なもう一人のアクビーを消し去るために、アクビーはこう言うしかない。
「10分だけだからな」
ああとも、そうだなともつかない無垢な声が、アクビーの膝の上から零れ落ちた。




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タイトルはお題サイト「21」さまより拝借。

逆転検事(BL) 2016/05/08(日)
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