過去作品倉庫とは

過去ジャンルの作品置き場です。
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19.10.2011 旧ブログ初掲載




 養成所時代、いっとき、同期の間でくだらない遊びが流行った。
「あいつってさ、からかって困らせたくなるタイプだよな」
 話のきっかけは、確か狼自身がふったように思う。。ブラッディ・マリーなんて小洒落たカクテルなんか頼むから、らしくねえなと肘で小突いら、もう一人がにやにやとお世辞にも品がいいとは言えない顔つきでそう切り出したのだ。
「アイツって?」
「馬鹿。お前のルームメイトに決まってんだろ」
「・・・・・・・・・・そうか?」
確かにルームメイトは狼に比べればはるかに真面目で、同期の中の誰よりも真摯に仕事に向き合っているように見えた。そしてそういう人間は冗談も本気にとりかねないから、振り回してみたくなる気持ちも分かる。けれど、彼の持つ張り詰めた謹厳さは、触れどころ間違えればたちまち崩れ落ちてしまいそうで、狼はとても肩を並べる悪友たちのように彼を軽々しく扱おうとは思えなかった。
 歯に物を詰めたような顔を続ける狼に、悪友の一人はとっておきの秘密を打ち明ける。それは、今、彼らの間で流行っているちょっとした「遊び」についてだった。
 ある人物と酒の席についたら、必ずブラッディ・マリーを注文する。
 誰が始めたかは知らない。悪ふざけの標的にどうして彼が選ばれたのかも、正直狼は興味がない。だが、ただそれだけのたわいのない冗談が、狼にはひどく腹立たしくて、場が白けるのも承知ではき捨てた。
「くだらねえ」
他人の信念を、生き方を、指差して笑う権利は誰にもない。ましてやそれが、自己矛盾の上に成り立っているのならなおのこと。
 言葉少ない彼が秘めた葛藤を、知りもしないくせに。
 そして、何も知らないのは同じはずなのに、穏やかではいられない自分が、狼は不思議だった。
 付き合いは決して悪くなかったルームメイトが、酒の席だけは拒むようになったのは、例えばそんなことがあってからだ。



 よく彼は、隣接するレタスの部屋に逃げ込んできた。
「ここは気持ちが落ち着くんだ」
線の細い金色にかたどられた秀麗な顔にそう呟かれれば、空間と時間を提供している身として悪い気はしない。けれどその真意が、彼にとって自分が無害であり、空気も同然の存在感だったのだとレタスが気づくのは随分後のことで、そのころにはもう彼はレタスの手の届かない遠いところへと旅立ってしまっていた。
 何も知らなかった当時、レタスは彼の言葉を無垢な信頼と受け止める。
「私は何もしてやれないがな」
「君は、私の隣でブラッディ・マリーを頼んだりしないだろう?」
動揺、躊躇、呆然といった類を普段一切表に出さないアイスブルーが、この時ばかりはとても饒舌に彼の胸のうちを語る。あぁ、あの一部のバカどのもガキっぽい悪戯に、そうだと知りつつも彼が心を痛めているのだと、レタスは吐露された繊細な心情に寄り添う。彼がほしいのは、励ましか、慰めか。
 いずれにせよ、彼の一番の味方は別にいる。
「もう一人、そういうのが嫌いなのがいるだろう」
レタスでさえ沈黙を通した悪ふざけに正面きって怒りを顕わにしたその人物は、自らの人生に枷を科して生きる苦しみを、実は誰よりもよく理解しているのかもしれない。その人物自身が、眼前の友人の枷をより重くしているのだとわかっているのかは別としても、自由な野生の獣のように見える存在もまた、大きな宿命を背負ってこの場所にいた。
「私がここにいる理由は、それだよ、レタス」
理解されればされた分だけ、歩み寄られればその分だけ、彼はその人物に心を閉ざし、後退さる。そしてその度に、悩める彼はここに逃げてきた。
 すまないと、彼は言った。ぐっと眉を顰め、泣きそうな顔もそのままに、それでも控えめに笑う唇はそれっきり、堅く閉じたまま動かなくなった。



 「君は太陽だ。だから、迷うな」
万感の想いを込めて告げた言葉に、彼の鳶色の瞳がわずかに揺れた。凡庸な自分の言葉にも少なからず、彼に影響を及ぼす力があるのだと思えば、アクビーの頬には自然の笑みがのぼる。
「君は、太陽だ」
安直な連想を許す稚拙な賞賛は、彼にとって驚きに値しない。けれどこれは事実だ。腕を磨こうと背伸びをしようと、アクビーの指先が掠りもしない高みは確かに存在し、そこに彼はいた。
「だから、迷うんじゃない」
偉人の多くは、強いられて偉大になった。だが世の中には、強いられることすら求められないちっぽけな存在が無数にいる。強いられこそすれ、偉大になりそこねた存在も。
 彼は違う。
 彼が今抱える苦悶は、彼に乗り越えられるためにある。そして彼は、さらなる高みへと昇っていく。
 見上げるしかない輝きは、アクビーを照らし、生きる力を与えてくれる。そして強すぎる光への恋慕は、求めすぎればアクビーの心を焼き殺す。やはり彼は、太陽に似ていた。
 だから、信念を迷うな。
 出生を疑い信仰にすがり、その信仰にさえ忠実であれない自分とは違うのだから。
 その目も眩む光彩を放つアポローンの似姿が、迷うなと繰り返すアクビーに苦笑いを向けた。
「オレが太陽なら、アンタは水に映ったお月さんってとこか」
闊達な彼に似合わない憂いの影も、寂しさを滲ませた言葉の意味も、わからないアクビーは微笑を消してわずかに首をかしげるしかない。
 沈黙が昼と夜、天と地を隔てるように、深く高く二人の間に横たわった。



 連れ立って入ったとあるバーで、今日は気分を変えようと何気なくオーダーしたブラッディ・マリーに、御剣の隣のスツールで彼が顔色を変えた。
「どうかしたのか」
「・・・いや」
否定の言葉と仕草に反して、華奢なカクテルグラスに佇む赤に注がれる熱心な眼差しが、御剣には気に食わない。彼はまた、御剣になんの断りもなくタイムトラベルの魔法にかかったようだ。彼の時間旅行は往々に、過去に向かって出発する。
 過去は、もう終わってしまった彼の葛藤と進化の跡地。御剣の手の届かない、永遠の聖地。いつまでも美しい、セピア色の風景。
 今、君の隣にいるのは私だ。
 ブラッディ・マリーの赤に浮かぶ、照明の丸い光ではない。
 そう突きつけてやるためなら、御剣は手段も言葉も選ばないことにしている。それほどまでに、彼の意識はしばしば逆流を起こしてきた。
「私は君の何なのだ」
藪から棒で、危機感を漂わせた問いかけに、目論見どおり彼の魔法はとけ、鳶色の瞳が今に戻ってくる。大きく瞬いて、御剣の愛する鋭く精悍な目元がこちらを向いた。
 御剣は顎をあげ、居丈高にもう一度答えを求める。
「私は、君の、何だ?」
過去は互いに等しく存在し、膝をつき合わせて語り合ったことが無いのもまた同じであるというのに、なぜ彼ばかりがこうも過去に誘われて行ってしまうのか。
 過ぎた後悔よりも今の前進を望む共感まで否定されたくないのだと、御剣は胸に渦巻く悋気を気づかれまいとすり変える。
 話題の深刻さに、けれど彼はおかしそうに笑って答えを口にした。
「綺麗なお月さんっつったら、アンタ怒るだろ」
 バカな。
 オオカミに月と喩えられて、悪い気などするものか。
 隠した焼餅はとうに見抜かれていて、読み違えることなく差し出された彼の正解に、御剣の胸中にあったもやもやは綺麗サッパリ消えうせてしまった。



逆転検事(BL) 2016/05/08(日)
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