※カルロ24歳、ブレット25歳
※「精一杯のポーカーフェイス」の続き。「リアリストの狂信」とリンク。カルロが二輪ロードレーサーです。
※ブレットの誕生日に更新しましたが、まるで関係のない話です。
※ロードレースに関することはデタラメです。また、当SS時制(2010年ごろ)ではMoto3は125㏄クラスという名称ですが、わかりやすさを優先してMotoGP(500㏄)、Moto2(250㏄)に合わせてMoto3と表記しています。
※犬も食わない話(でもブレットがカルロ好きすぎてキモいです)。





 『部外者は黙ってろ』
 インカム越しの声とディスプレイに映し出される口の動きは、間違いなくカルロのそれだ。彼から告げられた「部外者」の三文字に瞬間沸騰したブレットは、スカイプ(WEB電話)の通信を相手の了解もなく一方的に切断する。
「勝手にしろ!」
 アンドロイドかと思わせる日頃の冷静さごと、ブレットは頭からむしりとったインカムを何も映さないディスプレイに叩きつけた。




 ハローハローグッバイ!




 自己マネージメントに関して、カルロ・セレーニは卓越した才能の持ち主だ。それはプレティーンのころから、ロッソストラーダというプロまがいの集団で生計を得ていたことからも十分にうかがい知れる。しかし日本のWGPで彼と出会ったブレットが、その能力を目の当たりにしたのはカルロがミニ四駆を辞めてからのことだった。
「軍隊しかねえだろ」
 カルロはそう言って、ブレットにイタリア空軍の士官学校への受験を打ち明けた。ドイツでの三回大会を最後にミニ四駆レースを引退する彼にとって、それは今後の生活を左右する重大な決断だった。
 衣食住と教育、カルロは誰に言われるまでもなく、これから生きていく上で自分に足りないものを正確に把握していた。それらを一番手っ取り早く手に入れられる進路として軍隊に思い至ったことに、ブレットは純粋に感動する。つまり、これがカルロの自己マネージメント能力にブレットが初めて触れた瞬間だった。
 二度目は、その軍隊すら引退し、ロードレースで頂点を目指すと告げられた時(いや、ブレットが正しく真実を知るのはもう少し後)だ。イタリアはトリエステに構える彼の住まいでその話を聞かされた当初、ブレットは退役後のカルロの行動について、草レースで腕試しをした後、国内のレースでこつこつ名を売っていくのだろうと考えていた。だが実際のカルロの動きは、ブレットの予想を完全に裏切ることになる。
 カルロから正式な空軍退役の連絡を受けた一か月後、彼はとあるバイクメーカーのサテライトチームにレーサーとして籍を置いていた。出来たばかりの無名チームだが、れっきとしたスーパーバイク世界選手権(市販車ベースの改造バイクレース、通称WSB)への出場枠を持ったチームだ。そしてカルロ自身は早々にメインレーサーとしてデビューを果たす。レース結果は言うまでもない。全てが終わった後になって届いたカルロからの諸々の報告を、ブレットは唖然とした表情で受け止めていた。
 現在サーキットを沸かすロードレーサーのほとんどは、現役を退いた父親をもつ二世選手だ。彼らは幼いころからポケットバイクを与えられ、小さな体にロードレーサーとしての英才教育を施されてきた。そんなエリートたちの中にあって、ミニ四駆を走らせ、飛行機を飛ばしていたカルロは全くの新参者。ツテも持たない彼が一体いつの間に相手を見つけ、交渉を終えていたのか。いや、それ以前に彼はいつからロードレースの世界を視野に入れ、かつ準備を始めていたのか。どう計算してみても、ブレットに打ち明ける一年以上前からでなければ辻褄が合わないのだ。
 カルロが空軍退役を決める数か月前、ブレットはシャトルの事故で宇宙ステーションに取り残され、同じ空を飛ぶ仕事でありながら何もしてやれないという苦悶をカルロに味あわせた。そのことがカルロに飛行機乗りを辞めさせる遠因だとばかり思っていたブレットにとって、あの頃すでにカルロは水面下でバイクチームとの交渉を進めていて、ブレットの事故があろうとなかろうと飛行機からバイクに乗り換えるつもりだった事実は少なからずショックだった。
「この嘘つきイタチ野郎」
 ことカルロのやることなすことに関しては、相当に広い心を持つブレットもさすがに立腹せざるをえない。イタチ野郎とはすなわち「卑怯者」ということだ。
「それがボウヤが必死で考えた悪口かと思うと、お上品さに涙が出るぜ」
 カルロに平気の平左で受け流され、さらに「必死で考えた」と図星をさされて、ブレットのヘソがますます曲がる。理詰めの口論なら完膚なきまでに叩きのめしてやれるが、こういった感情的な喧嘩でカルロに勝てた試しがなかった。おかげ口喧嘩における二人の勝率は見事に五分五分だ。
「だいたい『嘘』はついてねえだろ」
「相手が誤解することを知りながらあえて足りない言葉を補わないのは、単独虚偽表示だ。また重要な事項を意図的に黙っているとわかった場合、詐欺行為に問われることもあるぞ。せいぜい気を付けるんだな」
「どこまで理屈っぽいんだよ、てめぇは」
 この諍いは、カルロが(実に投げやりに)謝罪することで一応の決着は得た。このころからブレットは、カルロの(秘密主義とまでは言い過ぎだが)事後報告主義なところに警戒心を抱くようになっている。「やりたいことをやりたいときにやりたいようにやる」それがカルロの信条であり、ミニ四駆を捨てて以後、この傾向は顕著になる一方だった。
 無論、カルロもすんなりとブレットに頭を下げたわけではない。基本的に欧米人は自分に100%非があるのでない限り、そう簡単に謝ったりしないものだ。
 カルロの言い分はこうだ。世の中、何事も正面突破では角が立ち、敵を作る。搦め手も使いようで、とりわけ力関係では弱い立場に立たされがちの人間には重要なポイントだ。これまでの交渉でカルロが切ったカードには、品行方正な世界で生きてきたブレットが眉をひそめるようなネタも混じっている。もし前もって全てを説明していたとしたら、ブレットは必ずカルロを止めるだろう。それはもうMIT首席卒業のロジックとボキャブラリーを駆使して。正直なところ、カルロにとって非常に煩わしいプロセスだ。
「邪魔はしないが口は出す」
 ブレットがカルロの信条を受け入れているように、カルロもブレットのこの要望を一度は受け入れている。となれば、カルロとしてはある程度道が固まるまでは、詳細を伏せるしかなかったのだ。
 結果として、カルロは所属チームとメインレーサーという地位だけでなく、カルロのモデルばりのルックスに商品価値を見出し、元空軍パイロットという異色の経歴を面白がるスポンサーまで見つけ出していた。一流エージェントも真っ青な見事な手腕だ。
 ちなみにブレットはカルロのライダー姿を、キャットスーツの峰不○子に負けないくらいセクシーだと思っている。とりわけレース直後の汗にまみれた彼の色気は、興奮にギラつくスターサファイアの瞳とあいまって不○子も霞む。いつかあの格好のカルロとシャワーもなしでセックスがしたい。
「お前が邪魔なわけじゃねえ。お前を、何にも知らない甘ちゃんだとも思ってねえ」
 ブレットが自分の仕事姿に不埒な願望を抱いているとはつゆ知らず、カルロはバツが悪そうにそう言い添える。彼はブレットが、第一線で活躍する有能な宇宙飛行士であることを忘れてはいなかった(余談ではあるが、ブレットの顔と名前と実績が世間に浸透するのに伴い、長年低迷していた宇宙飛行士人気が再燃、子どもの将来なりたい職業ランキングの上位復活を果たした。加えて第二第三のブレットを志す優秀な若者からのN△S△への就職志望が殺到。恒常的な人材不足に悩まされ続けていたN△S△にしてみればブレット様々、N△S△の広告塔として各方面に引っ張りだこである)。
 ブレットが宇宙飛行士として、またミッションリーダーとして有能であればあるほど、与えられるミッションは複雑さを増し、チームを組む相手のレベルも上がる。各分野のプロフェッショナルたちは、誰しもプライドの高さではブレットに引けを取らない。彼らと建設的な関係を築きチームをまとめあげるため、ブレットもこれまで数多くの「交渉」をこなしてきた。その事実を、カルロは決してないがしろにしない。
「それでもな、やっぱりお前は『お上品』すぎるんだよ」
 籍を置く組織も、その活動目的も集まる人材も、結局はブレットが生きてきた綺麗な世界を乱すものではない。自分の欲しいもののために人を蹴落とす、やられる前にやる、そんな論理の中で培われてきたカルロの思考とは、ブレットのそれは異なるのだ。そして、他でもないカルロの口から二人の決定的な差異を指摘されると、雄弁なはずのブレットの舌は反駁の言葉を紡ぐことを放棄してしまう。
 理屈はわかる。カルロの言いたいことは、痛いほど。ブレット自身、手を伸ばしても届かないカルロの深淵に、もどかしい気持ちを抱えてきたのだ。
「だからこそ、打ち明けてほしいんじゃないか」
 ブレットがわかっていないというのなら、カルロからの説明が欲しい。完璧には程遠くとも、理解する努力なら厭わない。
 わかりたいと願うブレットに、カルロはわかるはずがないと首を振る。努力が徒労に終わった時、互いに虚しさが残るだけだと慰めるカルロに、やってみなければわからないじゃないかとブレットが言い募る。希(こいねが)い、ぶつかり、なお求める、二人の恋はその繰り返しだ。
 頭に感情がついてこない。この不慣れな感覚を、ブレットはカルロとの恋の中で繰り返してきた。常に冷静沈着たれと叩き込まれる宇宙飛行士にはあるまじき状態だ。だがこれこそ自分が恋をしている証だと、ブレットは歓喜もする。カルロとの恋は訓練ではないと、実感できる瞬間が愛おしい。
「だがそれはそれ! これはこれだ!」
 スカイプでのやりとりを思い出すとほとばしる激情をそのままに、ブレットはデスクから立ち上がる。主を失った椅子がカラリと回り、肘掛にひっかかったコードがひっぱられてインカムが床に落ちた。怒りのままパソコンの電源まで落としてしまったので、カルロから呼び出しが入っていたとしても応じる気はない。第一彼は、ブレットが切った通信を回復させようとはしないだろう。ブレットが頭を冷やすのを待っている。その余裕がなおさら腹立たしい。
 そう、今回もまた、ブレットはカルロにしてやられた。スーパーバイク世界選手権(WSB)で異色の新星として名を売ったカルロは、イタリアで行われるMoto3レースのワイルドカード出場枠を狙って交渉を進めていたのだ。もちろん隠密行動だ。だがそれが今回、幸運にも(不幸にも?)ブレットの耳に入る。
「またか! お前は!」
 スカイプを繋いでの開口一番はこれだった。
 Moto3とは二輪ロードレースの最高峰・ロードレース世界選手権(通称MotoGP)に属している下位クラスのレースだ。Moto3を含めたMotoGPと、カルロが現在エントリーしているWSBとの最大の違いは、レース用に開発されたマシンとサーキットを使用する点にある。さしずめ、バイクレースにおけるF1と言ったところか。当然スピードやレースによって動く金の額はWSBの比ではない。最高クラスのMotoGPに至っては時速340kmを超すというのだから、ライダースーツをまとっただけのむき出しの体で、マシンを操るレーサーの危険は推して測るべし。
「どうせ今回も決まってから知らせるつもりだったんだろう? 何でお前はいつも事後報告なんだ!」
 カルロが狙うワイルドカードは、年間を通じて世界各国で行われる複数のGPレースのうち、特定の試合にのみ出場できるいわゆるゲスト枠だ。エントリーは主催者の推薦で決まる。カルロは、GPのスポンサーに三国コンツェルンの系列企業の名を見つけて交渉に乗り出した。なんとWGP時代のツテを利用し、三国藤吉に直接アタックしているらしい。「御曹司」というだけで藤吉を毛嫌いしていた当時を振り返れば、カルロもこの十数年で随分と宗旨替えした。
「藤吉君が、カルロ君に会ったらしいよ」
 藤吉とカルロの接触を教えてくれたのは、現在アメリカの大学にいる星馬烈だ。中学で渡米してきた烈にブレットは何かと世話を焼いてきたが、まさかこんな形で見返りを得られるとは思ってもみなかった。
『てめぇは俺のマンマか』
 問い詰めるブレットに、ディスプレイの中のカルロはげんなりとした様子を隠さなかった。
「母親なら24にもなる息子の行動に口を挟んだりするか。少なくとも俺の母はしないな。俺はお前のステディだから言ってるんだ」
『俺の人生好きにしろってセリフ、忘れたとは言わせねえぞ』
「邪魔しないが口は出すとも言ったぞ」
 ここはブレットには譲れない一線だ。何より今回、珍しくカルロが交渉にてこずっていることが気がかりだった。
 ワイルドカードは主催者推薦枠。ならば主催者にもっとも直接的な影響力を持つ出資者に口添えしてもらおうと言う魂胆は見え透いていたが、それ自体よくある話で交渉に悪影響を及ぼすものではない。問題は、藤吉が根強く抱えるカルロへの不信感だ。WGP時代のカルロのヒールぶりを、藤吉は決して忘れてはいなかった。
 天真爛漫なビクトリーズのメンバーの中でも、一度敵と認識した相手への猜疑心は強いのが三国藤吉という少年だ。青年実業家となった今では、その疑り深さはビジネスマン必須の慎重さへと昇華されているが、そのおかげでなかなか首を縦に振ってくれないらしい。そんな藤吉からカルロの名前を聞かされた烈は、ブレットに昔話のついでに打ち明けたのだろう。まさか彼は自分の不用意な一言が、大西洋をまたいでの痴話げんかの原因になったとは知るはずもない。
「トウキチなら俺の方が親しいし、彼も警戒心が薄いだろう。俺が出れば何とかなるんじゃないのか」
 正直なところ、藤吉と特別な親交を持ったことはない。だがまるでツテがないというわけでもなく、第一このままカルロが粘るよりはマシだ。自分も彼のために何か手伝えることはないかと思っての提案だったが、カルロはそうは受け取らなかった。部外者は引っ込んでいろとつっぱねられ、その一言で積もり積もった不満に火が付いたブレットが怒りを爆発させた。
 そして今、声も電波も届かないイタリアのカルロに、ブレットは憤懣やるかたない想いを抱えて苛立っているというわけだ。
「だいたい奴は昔かそうだった」
 最たる例が士官学校受験でのアレだ。あれは酷かったとしみじみ思う。
 カルロの士官学校受験を耳にした時、ブレットは素直に喜んだ。折しもドイツでのWGP3、カルロにとっては最後のWGPが終わったころのことだ。受験までどこでどう生活し、いかに準備を進めていくかについて共に考えたいのだろう、カルロがあてにしてくれているのだと期待していたブレットは、しかし続く彼の言葉に目を丸くした。
「受験先はトリエステだ、受験までの部屋も見つけてある」
 カルロはとっくにすべてを自分一人で決め、しかもドイツにいながら必要な諸々の手続きを済ませてしまっていた。あとは合格証書を手に入れるだけという状態になって、彼はようやくブレットにその事実を伝えたにすぎない。その上彼は、大事な元手であるロッソストラーダのオーナーから得た賞金を、この時点でほぼ使い果たしていた。カルロの置かれた状況に、ブレットは肝を冷やす。
 もし彼が合格できなければ、金のないカルロは住む場所を失う。オーナーとは縁切り済み、チームに戻るどころかミニ四駆の世界に関わることすら叶わないカルロは、再びストリートチルドレンに身を落すしかなくなるのだ。
「じゅ、受験はいつだ……?」
 柄にもなくブレットは動揺していた。9月始まりの多い欧米の教育機関では、入学試験はもっぱら夏に行われる。年明けすぐにWGPが終わって、来年の受験を狙うなら一年半の時間的猶予は稼げるはずだ。だがまたしても、カルロの考えはブレットの上を行った。
「今年だな。家賃が8月までしかもたねぇ」
「なっ、正気か! まったくお前って奴は……!」
 青ざめるのはブレットばかりで、カルロ当人は平然としている。受験まで半年と少し、それだけの期間で彼に初等教育の5、6年間で学ぶことを叩き込み、何が何でも合格させてやらなければいけない。
「だからお前に相談してんだろ」
 相談するにはタイミングが遅すぎるし、ここに至るまでにもっと先に打ち明けるべきことは山ほどあったはずだ。勉強するのも受験をするのも俺じゃなくてお前なんだぞ、と言いたいことが次から次へと溢れてブレットは頭を抱える。だがパニックになっている暇はなかった。泣こうがわめこうが、カルロはすでに行動を起こしている。ならばやるしかない。腹をくくったブレットは、愛する者の将来のために心を鬼にすることを決めた。
「いいか、カルロ、よく聞け。犬のクソ以下に戻りたくなかったら、今日以降受験当日まで俺の指示に全て従え。スケジュールを乱すな、文句をいうな、泣き言はなしだ」
 幸いカルロは、WGP2の規定改正でレース出場権のかかった追試を喰らって以降、ブレットの指導の下でそれなりに勉強を進めていた。0から教える必要がないのであればまだ望みがある。少しでも早く試験対策を講じ、かつなるべく多くの試験経験を積ませなければならない。そこでブレットは、カルロに士官学校の過去問題を十年分集めるよう命じた。
「学校に併設されている図書館なら保存されているはずだ。司書がダメだと言えばそいつを口説き落としてでも手に入れて来い。老若男女構うな。今回だけは浮気にカウントしないでやる」
 ブレットはブレットで、遠いアメリカの地でできることはないかと奔走する。世には試験マニアという人種がいて、ネット上で彼らとコンタクトをとり、士官学校の教員が手掛けたありとあらゆる問題を入手した。カルロの過去問と試験マニアの資料からブレットは実際に問題を解き、模範解答を作成、さらには傾向と対策を踏まえた受験用予想問題集まで作ってやったのだ。その間、カルロには徹底したスケジュールで基礎知識を叩き込むように命じている。そしてカルロはブレットが厳命したスケジュールを見事に守り切った。
「……お前、俺のこと殺してえのか」
 ブレットからの「宿題」を提出するたびに、げっそりとした顔でカルロは恨み言を言うが、構ってはいられなかった。だいたいカルロだってよくやったが、この時期、ブレットは彼に輪をかけて多忙だったのだ。なにせ博士号と最年少宇宙フライトへの切符がかかった年である。けれど、「二年以内に宇宙に出たかったら、今年中に博士号を取れ」というN△S△の理不尽な要求とカルロへの愛情を両立させた努力を褒めてくれる人は誰もいなかった。
 そのブレットをカルロは「部外者」扱いした。ブレットの逆鱗に触れるのも当然だ。
 何はともあれ、努力のかいあってカルロは士官学校に合格した。カルロからの合格の知らせに、ブレットは自分の博士号取得祝いもそっちのけで喜んだものだ。
「受かった」
 そう、ぶっきらぼうな声が、ブレットの胸を震わせたあの晩夏の通話。心底安堵した様子のカルロの声が、ブレットの記憶によみがえる。あの時はまだカルロのパソコン操作が怪しくて、メールやチャットより電話でのやりとりが多かったな、国際電話の通話料をカルロは良く気にしていた、などと過去を懐かしめば自然と胸があたたかくなる。
「…………」
 どんなに不満と不平を募らせてみても、最後にはカルロ可愛さがまさる。あれから十年以上の歳月を経て改めて気づかされる自分が持つ彼への情の深さに、イライラとパソコンの前で徘徊していた足を止めてブレットは短く息を吐いた。そして左手の人差し指と中指をクロスさせ、瞼を下ろして深呼吸を三回。幸運を祈るポーズは、精神をコントロールするためのブレット特有のジェスチャーだ。クロスを解き、再び瞼を上げた月色の瞳には凪いだ輝きが戻っていた。
 感情を発露させることは大切だ。だがそれをいつまでも引きずるのは子どもの所業でしかない。カルロの恋人気分半分、クールでクレバーな宇宙飛行士気分を半分に、ブレットはキーボードの隣に置かれたスマートフォンを取り上げた。慣れた手つきでとある番号を呼び出し、最新モデルのブラックベリーを耳に当てる。
 カルロがあくまでもカルロの流儀を通すなら、ブレットはブレットの流儀で割り込んでやればいい。今更、嫌われたらどうしようだとか、そんなちんけな不安や遠慮が頭をもたげる関係ではないのだから。
 ブラックベリーで繋いだ相手は、数コールと待たずに応答する。ブレットは即座に、インテリ好みのさわやかな声音を舌にのせた。
「アロー、Mr.ミクニ? ブレット・アスティアです。いつぞやは楽しい席をありがとうございました」
 ブラックベリーの向こうから豪快な笑い声が聞こえる。三国は三国でも、ブレットの話し相手は藤吉ではなく彼の父親、菊乃丞の方だ。あまり知られていないが、世界的大企業三国コンツェルンの総帥と、国内外で絶大な人気を誇るN△S△の若き宇宙飛行士はマサチューセッツ工科大学での先輩後輩にあたる。ブレットと菊乃丞が初めて口をきいたのは数年前のMITのOB会でのことだが、年齢や在籍時期は違えど共に首席卒業であること、またブレットが彼の愛息子とWGPでしのぎを削った仲であるとわかって以来、二人は息子以上に意気投合し、菊乃丞が渡米するたびに何かと時間を作っては顔を合わせていた。
「いえ、今日はビジネスの話で。少しお時間をいただいても?」
 カルロの武器が時勢を読む能力と搦め手も辞さない交渉術だというのなら、ブレットの武器は優秀で知名度抜群の宇宙飛行士と言う社会的信用とそれに付随するコネクションだ。大企業のトップやどこかの国の貴族、政府要人とコンタクトが取れる(そして誰もが相手がブレットだとわかればすんなりと応じてくれる)ブラックベリーは、ブレットにあってカルロに無いもののひとつだろう。
「カルロ・セレーニというオートレーサーをご存知でしょうか。ええ、はい……、今年活躍のめざましいレーサーで、ご子息がMoto3のワイルドカード枠に推薦を検討中だとか……ええ、そうです」
 現在の三国コンツェルンは、モータースポーツ部門筆頭に多くを藤吉が取り仕切っている。とはいえグループの総帥の座は今なお父親である菊乃丞のもとにあった。彼を味方につければ、藤吉もカルロへの態度を軟化させるに違いない。
「実は彼とは親しい友人で……、はい、素晴らしいレーサーだと保証できます。お疑いならヴァイツゼッカー家のミハエル氏やシューマッハ家のシュミット氏にでもお確かめください。ええ、ドイツの、そうです。彼らとも古い付き合いですから」
 菊乃丞の反応は上々だ。自分もMr.ミクニもMITで良かったな、とブレットは日頃関心を払わない「学閥」というものに心からの感謝を捧げた。
「どうです、セレーニ氏を肴に食事でも……、はい、もちろん、明日の夜でしたら……、ええ、俺も楽しみです」
 この電話から一か月後、ブレットの元にカルロからしつこくスカイプの呼び出しコールが入る。約束もないのに彼から連絡を寄こしてくるのは非常に稀なことだ。散々じらした挙句、五度目の呼び出しにブレットは顔に無表情を作って応じた。「部外者」というカルロのセリフにキレて以来の通信に、カルロの用件などわかりきっていたブレットはあえて沈黙を通す。ディスプレイの向こうでは、ブレットの出方をカルロが神妙な表情で伺っていたが、それでもブレットがだんまりを決め込むので、ついにカルロが先に白旗を上げた。
『お節介野郎め』
「それがお前の悪口とは、意外と可愛いところもあるじゃないか」
『てめえ……』
 どんなに見つめ合っても視線の合わない(カメラとディスプレイの位置のせいだ)カルロの顔が歪む。だが今回ばかりはブレットがどれほど横柄な態度をとろうと、カルロが強く出られないことは明らかだった。とはいえブレットとて、自分でもどうしようもない感情を湧き起こさせる貴重な存在に憎まれるのは本意ではない。だからわずかに目を伏せて口角を下げ、無表情の仮面を引きはがした後の、わかりやすい「拗ね」を見せつけてやる。それはブレットの譲歩であり、今回の喧嘩の落としどころはここだと示す行為に他ならない。
「邪魔はしていない。俺にもこのくらいさせろ」
 ブレットが菊乃丞にかけた電話は、思った通りの効力を発揮した。菊乃丞とブレットがヒューストンで食事をした数日後、カルロはMoto3のワイルドカード枠を取得、イタリアでの一戦限りとはいえグランプリデビューを果たした。実際のレースでも見事上位入賞、カルロの走りをその目で確かめた藤吉の推薦によって、三国コンツェルン系列のチームへの移籍を決めている。これはロッソストラーダのオーナーとの因縁から、地元イタリアチームを避け続けていたカルロにとってはこの上ない渡りに船だった。
 ちなみに、カルロが地元チームを忌避しなければいけない現状に関して、ブレットは非常に強い憤りを感じている。過去はどうあれ今は真っ当な人生を歩んでいるカルロが、なぜ祖国で肩身の狭い思いをしなければいけないのか。
『お前のその「正論ちゃん」なとこに、俺が困ってんだってそろそろ気づきな、ボウヤ』
 寝ている犬は起こすな、そういう話だとカルロは気にした風もない。
 それはさておき、三国コンツェルンのサテライトチーム入りはカルロにもう一つ朗報をもたらした。移籍先が、オートレースの最高峰MotoGPへの出場枠を持ったチームだったのだ。今回カルロがワイルドカードで出場したMoto3にまずはフル出場、それからMoto2への昇格をめざし、最終的には最高クラスMotoGPへ。世界最速という、カルロの夢は現実へと繋がりつつあった。
 しかし、夢への足掛かりを得たはずのカルロの表情はさえない。問いただせば、苦虫をかみつぶしたような顔で、彼は唸った。
『これじゃ、オヤジさんと一緒じゃねえか』
 ブレットは首を傾げる。
「オヤジって俺のか?」
 カルロのロードレース参戦と自分の父がどう結びつくのかがわからない。しかしそこは十歳かそこらでMITに在籍していた天才少年、すぐさまキーワードとなる記憶にたどり着いた。それはWGP2で追試から逃げたがるカルロを説得するために、ブレットが父の半生をカルロに語ってやった思い出だ。コネもなく財力もなく、下積みで苦労していた父。その父が母と言う生涯の伴侶を得、同時に大物官僚だった母の祖父の後押しで官界での出世を果たしたというサクセスストーリーだ。
 ブレットの父とカルロは、苦労した境遇が似ている。では「父と同じ」というカルロのセリフのこころとは? ブレットは思考を集中させようと眉をひそめた。そしてN△S△期待の天才少年と呼ばれた頭脳は、十数年後の今も変わらない明晰さで答えをはじき出す。
「んん?」
 父がカルロだとすると、父を援助した曽祖父は三国親子(もしくは三国コンツェルン)で、その二つを繋いだ母の存在はブレットだ。そして父にとって、母は紛うことなき「生涯の伴侶」である。
 その連想にブレットの顔色がさっと変わる。変化を目の当たりにした、カルロがディスプレイの向こうで目を丸くした。
『お前、顔赤……』
「Shut up(黙れ)!」
 ブレットは顔を見て、タイムラグもほとんどなく会話できる通信技術の発達を恨んだ。生まれて初めて恨んだ。そして早口の別れの挨拶を言いきらないうちに、またしても通信を切ってしまう。ディスプレイからカルロの姿が消えて、代わりにうっすらと自分の顔が映っている。カルロの指摘通りのど赤面を見ていられなくなって、ブレットはその場でデスクに突っ伏した。
 こんなあからさまに動揺を表に出すなんて、宇宙飛行士失格だ。
「落ち着け、落ち着け落ち着け、俺!」
 指をクロスさせることも、深呼吸することも忘れてブレットは顔を覆ったままうめき声を上げる。スカイプがカルロからの再着信を告げているけれど、彼がブレットをからかう気満々なのはわかりきっていて応答する気にはとてもなれない。「相変わらず直球に弱いな」なんてニヤけた面を見た暁には、液晶画面ごと殴ってしまうに決まっていた。
「ちくしょう……っ!」
 犬も食わない諍いは、どうやらカルロの勝ちのようだ。




 ハローハローグッバイ!
 (両親の真似ごとなんて冗談じゃない!)





++++++++++
ブレット誕生日おめ!!!
今年でブレットは31歳なのかな?
レツゴ無印は96年開始だからそこを基準にすると31歳で、WGPの97年開始を基準にしたら30歳? RRだと32歳??
なんにせよ三十代かぁ……さぞやクールでクレバーでセクシーな宇宙飛行士になってくれていることでしょう(悦)

さて、
藤吉パパとブレットが先輩後輩なんだよネタを使いたくて書き始めた話が、いつしか「カルロが大好きで大好きで大好きでたまらないブレット」の話兼痴話げんかネタになってしまった、解せぬ(いつものこと)
でもやっとロードレーサー・カルロの話が書けてようございました。
「精一杯のポーカフェイス」でカルロがマシンを自分でカスタムするようなことをブレットに話してますが、あれはこっそりやってた交渉が失敗した時用のいわゆるプランBってやつだったんでしょう、たぶん(後付)
カルロの個人スポンサーは「不実な苺」の紳士……かもしれない。

「峰不○子とキャットスーツが嫌いな男はいない」そうなので(誰の発言だっけ)、ブレットもきっと不○子は好きだろう。カルロはどうだろうか。カルロをガチゲイにするか、あくまで人肌アレルギーであってポルノなら女性OKなのかはまだ決めてません。書く方としては前者の方が書きやすいのですが、そしたらジュリオとキャラかぶっちゃうしねぇ。イタリアチームほもばっか!ってのもなぁ……。

烈くんはカルロと同い年の24歳ですね。欧米は大学卒業に何年もかかるのはザラなので、一応まだ学生ということで。もしかしたら大学院にいるのかもね。それとも日本で社会人やりつつ留学して来てるのかも。あとあとネタに使いたくなっても困らないように、設定はぼかしてあります(笑)
藤吉くんはバリバリ働いてますよ! ぼっちゃま!! かっこいい!!!
星馬兄弟+カルブレ話も書きたいなぁ。

「やりたいことをやりたいときにやりたいようにやる。」ー「21」さまより。

2015/06/02 サイト初出。

2015/06/02(火) レツゴ:チョコレートナイフ(カルブレ)
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