HONEY

※未来時制。カルロはイタリア空軍の士官学校の士官候補生です。カルブレは15~16歳のイメージで。
※イタリア料理に関する記述は、グーグル先生に頼りきりです。
※カルロの過去ねつ造。
※タイトルは「21」さまより。






 最後の母の思い出は、あたたかい。
 だからカルロは、あたたかいものが大嫌いだった。



 HONEY



 両親が離婚したのは、カルロが四歳のころだ。憶えているのは、家の扉を出ていく父の背中の影と、何かを吐き捨てるような声。聞くにたえない罵詈雑言だったのだろうと、今なら簡単に予想がつくが、幼いばかりのカルロには父の声を思い出す貴重なよすがだった。
 しばらくは母と子の二人暮らしが続いた。母は働いて、働いて、働きづめで、そのせいか次第にカルロに冷たくなっていった。目が合わない。返事がない。消極的な無関心が、暴言や暴力にシフトするのに時間はかからなかったように思う。
 そんなある日、小さなカルロは熱を出した。子どもはよく熱を出すものだが、面倒をかけるたびに襲いくる母の癇癪が恐ろしくて、カルロはベッドの中でおびえる。外では、イタリアの夏に珍しいあたたかな雨が降っていた。
 カルロのおびえに反して、その日の母は優しかった。カルロの額に手を当て、汗に指を濡らしても文句ひとつこぼさなかった。頬を撫でて笑いかけてくれる母、カルロのためにキッチンに立つ母の姿を、カルロは久しぶりに見た。
『風邪にはこれが一番よ』
 と、母が出してくれたのはオニオンスープだった。スプーンですくうとあたたかい湯気がのぼる。口に触れてもあたたかかくて、体は熱で熱いのに、スープが喉を通って胃袋に落ちるのがわかるくらいだった。
 母の優しさは夜まで続いた。カルロが眠る時にはベッドに寄り添い、絵本を読み聞かせてくれた。母のおだやかな声を子守唄に、幼いカルロはこんな日が明日も明後日も、ずっと続けばいいと願って眠った。
 翌朝、すっかり風邪の抜けたカルロが見たものは、誰もいない家とベッドサイドに置かれた一通の封筒。中には、二枚の紙幣と一葉の便箋。四歳のカルロに、母の短い書置きは読めなかった。
 母の手紙は読めずとも、カルロは母が二度と戻らないことを理解した。昨日の優しさは、母のうしろめたさの裏返しだったのだと察することができたのは、もっと後のことになる。
 以来、カルロはあたたかなものが大嫌いになった。穏やかな笑顔。優しい言葉。誰かの体温。夏の雨。中でも一番嫌いなのは、自分以外の手でつくられた食事だった。
 そんなカルロであるから、日々の食事はすべて自分で用意してきた。生ごみをあさることもその一つだ。ロッソストラーダのオーナーに拾われ、部屋を与えられ、仕事を与えられたあとは自炊を覚えた。節約にもつながり、より効率的に体の餓えを慰めることができる。日本やアメリカで参加したミニ四駆世界グランプリの間ですら、カルロはすすんでキッチンに立つ。オーナーからあらゆる手配がされていても、カルロの頑なさは崩れなかった。
 他人は信用できない。
 黙々と料理をつくるカルロを、ロッソのメンバーはそう解釈していたようだが、カルロはそんな彼らをひそかに哂った。誰かが毒を盛るとでもいうのか。そんな度胸のあるメンバーはいない。いればとっくにカルロに排除してリーダーに成り代わっているだろう。噛みつき癖のあるルキノですら、カルロとはレースでしか勝負しなかったのだから。
 しかしメンバーからの馬鹿馬鹿しい理解を、カルロは訂正しなかった。そう思ってくれている方が、何かとあしらいやすかった。
 これでいい。
 自分でつくったものを咀嚼しながら、カルロはいつも言い聞かせていた。自分の糧は自分で得る、自分の体は自分でつくる。そこにあたたかさはいらなかった。冷えていようと、他人の手が関わっていなかろうと、腹は膨れる。次の食事を求めて、動き出すことができる。
 これでいい。俺は、これでいい。
 そう信じていた。



「パスタかよ」
 キッチンに立つブレットの手元を覗き込んで、カルロは言った。
「悪いか?」
 数か月ぶりの逢瀬に見るシニカルな笑みは、妙に色っぽい。煽られるがまま、素直にカルロも口角を上げた。
「今日は新作だぜ」
 トリエステ郊外にある、イタリア空軍の士官学校。その敷地内にあるカルロの寮を訪れると、ブレットは手料理をふるまう。今日も今日とて、イタリアの地を踏んだその足でブレットはマーケットに赴き、寮の食堂のキッチンを我が物顔で使用していた。
「相当の自信だな」
「食えばわかる」
 ブレットの料理の腕前が、その口ぶりに反しないことをカルロは知っている。プレティーンでMITを卒業した天才は(その頭脳のおかげなのかはさておいて)たいていのことは秀才並にこなす。料理に関しては、大学が遠方でワシントンD.C.の生家からは通えず、祖父母の家にやっかいになっていたこともブレットは理由に挙げた。
『良い食事は良い人間の素っていうのが、俺のグランマの持論だ』
 キッチンに踏み台を持ち込んで、小さなブレットは祖母手ずから、料理の手ほどきをうけていたらしい。
 ブレットのあたたかな生い立ちは、カルロのあたたかいものアレルギーを刺激する。交際のかなり早い時期、カルロはブレットがふるまう食事を口にすることができなかった。
『ひとくちでいいから』
 頼みこむブレットに、そのひとくちが致命傷になるのだとどう伝えればいいのか、まだ心の蝶番が錆びついていたカルロにはわからなかった。苛立ちのあまり、二人の空間を飛び出してしまったことすらある。それがこうしてブレットの手料理を待っていられるようになったのだから、諦めなかったブレットの根気強さに脱帽だった。
『メシなら自分でつくれる』
 カルロが何度言っても、ブレットは譲らない。食事を作っては、手を付けられないまま冷え切った皿を片付けることを繰り返して、それでもブレットはカルロに願いつづけた。
『ひとくちでいいんだ』
 その優しさに、苛立ちよりも応えたいという気持ちが勝ったある日のこと。カルロは文字通り死に物狂いで、ブレットの料理を口に運んだ。その日のメニューは、よりにもよってオニオンスープ。粉チーズが浮いただけのシンプルなあたたかさは、母の最後の優しさと同じように、カルロの喉を滑り、胃の腑の底にじんわりと広がっていった。
 吐きそうだ、そう思った瞬間、
『どうだ?』
 ムーン・グレイの瞳をきらきらと輝かせて、ブレットが感想を求めてきた。彼の眼差しを受けたとたん、カルロの胸のつかえが嘘のように消えた。そして、舌が味を知覚する。玉ねぎと、塩とそれから、これはバターか? ブレットのオニオンスープは、またたくまにカルロの中に陣取っていた母のオニオンスープを駆逐してしまった。
 舌に残る熱に、カルロの舌は痺る。うまい、の一言を言ってやれない。もうひとくち啜って、やはり感じる玉ねぎの味にざわめく胸の内を落ち着かせる。そうして最後にどうにか答えられたのは、『オニオンスープならカラバッチャにしろ』というかわいげのない言葉だった。
『カラバッチャ? イタリアではそう呼ぶのか? よし、わかった、レシピを調べておく』
 うんうん、と何度も頷くブレットのひどく嬉しそうな顔は、彼のつくる食事を待ちわびるようになった今でも忘れられそうにない。次の機会には、ブレットはパーフェクトなレシピでカラバッチャをふるまってくれた。
 以来、カルロのあたたかいものアレルギーが、ブレットの手料理に発動されたことはない。
「ボウヤがプッタネスカ(娼婦)とはね」
 フライパンに散るアンチョビに黒オリーブ、数種類のハーブ、ニンニク、そして鷹の爪がオリーブオイルで炒められていく。隣のコンロで煮立つトマトソースがこれに合わさるのだろう。娼婦だなんていかがわしい名前を持つソースを、品行方正なエリート青年がつくっている姿はなんともちぐはぐに思えた。
「パスタの名前に娼婦とはな。由来は?」
「俺が知るかよ。客にでも食わせたんじゃねぇか」
「男をひっかける旨さか。いいな、お前をひっかけたい俺にはぴったりだ」
「N△S△の箱入り息子はいつからそんなアバズレになったんだよ」
「誰のせいだろうな」
 顔を見合わせて、笑う。そうしている間にも、トマトソースがフライパンに投入され、そろそろトマト味の娼婦も仕事の身支度が整う頃だ。
「カルロ」
「おうよ」
 ブレットの呼びかけに、隣に並んだカルロがパスタ鍋を取り出し、空いたコンロに乗せる。パスタのゆで具合だけは、ブレットもカルロに適わないと見て譲るのだ。



 ブレットが初めてこの寮を訪れた時、他の寮生がえらく騒ぎ立てたのをカルロは憶えている。Tシャツにジーンズというラフな格好でもにじみでる「品の良さ」というものがあるらしく、明らかに毛色の違う人種(しかもそれを伴うのが一匹オオカミを気取るカルロという事実)に、カルロとは似たり寄ったりの境遇が多い寮生からの好奇の目が集中した。カルロがちょっと目を離した隙に寮室や食堂にひとだかりができた時には、さすがにうんざりして天を仰いだものだ。
『人気者だな、お前』
 その時N△S△の箱入り息子からのズレた評価も、カルロの疲労感を上乗せしたことをここに明かしておこう。
『いいか、いくら寮内でもひとりでうろつくんじゃねえぞ』
 カルロがブレットに厳重に釘を刺し、外野を執拗に追い払いつづけたおかげで、どうにか静かに二人の時間を持てるようになったのは前回の逢瀬でのこと。
 時間帯を考えれば不思議なくらい人気のない食堂の、ダイニングテーブルの片隅に二人分の皿が置かれる。ブレットの髪にも似た黄色のリングイネが、赤いプッタネスカにこれ見よがしに口説かれていた。
 ブレットが席に着くのを見計らって、カルロも向かいに腰を下ろす。向かい合った二人の前髪を、それぞれの皿からのぼる湯気が揺らした。
「Bon appétit(召し上がれ)」
 気障な物言いで、ブレットはフォークを手に取る。カルロもそれにならった。
「また腕上げたんじゃねぇか」
「だから言ったろ、『食えばわかる』って」
 惚れた欲目を差し引いても、ブレットのプッタネスカは旨かった。毎日やれ訓練だ、やれ研究だと追われているアストロノーツくせに、いったいいつ料理するひまがあるのか。カルロの疑問に、ブレットはしたり顔で答える。
「人間、忙しい方が時間を有効に使えるんだ。気分転換にもいいんだぜ」
 ただ一緒に食べる相手がいないことだけが寂しいと、ブレットはカルロを責めるように見やる。湯気越しの月光に、彼がこの時間を楽しんでいてしょうがないことが伝わってきて、カルロは面映ゆさに目線を背けて顔をしかめた。忙しいのはお互い様だが、カルロが経済的に自立できていないだけ、大西洋を越えた逢瀬の機会はブレットの厚意に甘えなければひねりだせない現状には変わりない。
「てめぇんとこのデカブツはどうした」
「デカブツって……、ハマーか?」
 アメリカでのブレットのパートナーは、旧アストロレンジャーズの五番手だ。あくまでもN△S△が決めたルームシェアのパートナーであって、特別な意味はない。意味はないが、レーサー時代を思い出せば、アドリブに極端に弱かったあの男が自分より多くブレットと食事をしているかと思うとむかっ腹が立つ。
「あいつとは味覚が合わない。パスタが嫌いなんだ」
 信じられない、とブレットは自前のプッタネスカをほおばる。お前だってパスタを食べつけるようになったのも俺と付き合ってからじゃないか、と言いかけてカルロはやめる。皮肉交じりの口説き文句ならいくらでも出せるが、こういうぬるま湯にとけこんだ愛情を確かめるような言葉は、まだまだカルロには恥ずかしさが先に立つ。
 だが、そんなカルロのためらいをぶち壊すのが、目の前のアストロノーツは大得意だ。
「お前が毎日食べてくれたらいいんだがな」
 パスタを巻く、カルロのフォークの手が止まった。向かいでは、爆弾を落とした自覚のない恋人が首を傾げてこちらをうかがっている。リングイネの山にフォークを突き刺したままの状態で、固まってしまったカルロは思った。
 こいつ、なに言いやがった。
 父親は政府関係者、愛情深い母親に歳の離れた姉が二人。見せてもらった家族写真には、毛並みの良い大型犬とハイソでエレガントな彼の生家が写っていた。幼いころから天才少年と言われ、スキップにスキップを重ねて大学に入れば、寄宿した先では祖父母に猫っ可愛がられて育ってきた少年時代。今ではN△S△なんて御大層な組織に守られている、貴重な宇宙飛行士候補生だ。箱入りも箱入り、世の中の光が当たった部分でしか生きてこなかった男は、自分がのたまったセリフが俗に言う「プロポーズ」に酷似ていることを理解しているだろうか。
 俺が何を食べればいいって? お前の手料理を? どのくらいの頻度で? 毎日? 作るのか? 誰が? お前が?
 俺のためだけに?
 どうか頼むから、その賢い頭で、自分が言ったセリフが相手にどう受け止められるのか、そしてどんな影響を与えるのか、きちんとシミュレートしてほしい。その上で発言してほしい。でなければ、自分の心臓がもたないと、直球な愛情表現になれないカルロは生命の危機さえ感じるのだった。だがカルロがそれ願いを口に出したとして、きっと彼は頭にクエスチョンマークを並べるだけだろう。どっちに転んでも、カルロの徒労に終わる。
 俺にどう答えろってんだ……!
 だから逃げるに限るのだ。ブレットとの付き合いで、衝突するばかりが解決策でないことをカルロは学んだ。
「てめぇの飯に慣れたら、軍のが食えなくなっちまう」
「イタリアの軍隊食は、旨そうなイメージがあるけどな」
 ブレットの受け答えは相変わらずどこかズレていて、誤魔化せたことにほっとするような、なんで追及してこないんだと不平を言いたくなるような、よくわからない感覚に陥る。そうした会話も、舌の上をすべるソースのあたたかさも、ブレットと共にいるのだという実感をカルロに与え続ける。
 食事は、腹が膨れればよかった。士官学校(ここ)での食事はさすがに自分ではまかなわせてくれないけれど、体の餓えを満たすために食べている点ではひとりでつくる食事と変わらなかった。
 口に入れて、噛んで、飲み込む。同じ摂食行為のはずなのに、ブレットが目の前にいると膨れていく場所がどこか違う。そうして満たされていく何かに、カルロのあたたかいものアレルギーが、少しずつ、癒されていく。
 カルロが食べる姿を、嬉しそうに見つめる恋人は言った。
「俺の飯が恋しくて、お前が『帰りたい』って思うなら成功だな」
 どこから、とは言わなかった。どこへ、とも。
 だがカルロは、ブレットが長い時間と心をつくして、食事をふるまってきた理由がようやくわかる。
「餌付けかよ」
 高い高い、空に飛び立つ日が来ても。
 たとえいつか、戦地にいくことになっても。
「パブロフの犬さ」
 必ず『彼』の元に戻るよう、帰巣本能に植え付ける。ベルによだれを垂らす犬にも似たそれは、日々の何気ない食事にブレットの味を思い出させる条件付けだ。
「いつだって作ってやるよ、お前が『帰ってくる』ならな」
 母が消えた時、自分の帰る場所もなくなったのだと思った。あたたかい食事も、優しい手も、穏やかな声も、手の届かないところに行ってしまったのだと。あの日から十年がたって、カルロが失くしたと思っていたものを、二度と触れるまいと誓っていたものを、ブレットは差し出して、怖くないよと手のひらに押しつけてくる。その度に、ぱらり、ぱらりと、カルロの胸の蝶番が錆を落としていった。
 あたたかいものは、今でも嫌いなものが多い。夏の雨は特に憂鬱だ。それでも、ブレットが一緒に傘をさしてくれるのなら、悪くはないなと思えるのだ。
「帰るさ、絶対な」
 だから飯を作れとは、言わない。カルロが口に出さなくても、きっとブレットは嬉々としてキッチンに立つのだから。
 ブレットの作るあたたかなプッタネスカ(娼婦)は、確かに、カルロの心をひっかけることに成功していた。





 HONEY
 (世界中のあたたかいものを、俺に教え続けてくれよ。なぁ、ハニー?)





++++++++
ブレットもちゃんと宇宙から帰ってくるのよ!!!
ブレットの料理というか、生活能力ってどのくらいなんだろう。
なんでもそつなくこなせちゃうブレットが理想ですが(実は音痴とかでもいいよ)、
勉強とアストロノーツに関すること以外は、ほとんとダメダメなブレットも嫌いじゃない。

カルロはややうじうじ期卒業か?
前作とは特に時系列上の一致を考えていませんので、別箇の世界観だと思ってください。

カルロの入軍設定は書いてて楽しいんですが、どうも陰が残るので。レーサー設定で書いてみたら、明るい話が書けるだろうか。
2015/02/18 サイト初出。


2015/02/18(水) レツゴ:チョコレートナイフ(カルブレ)
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